第19話 なんでコンフィグが出せないんですか

2022年 3月18日

 情報センターとITTとの初めての技術的打合せが開かれた。

 聞いていた話とは異なり、数々のことが縮小されている。

 ITT社は「末端まで10G」と言っていたはずだが、いつの間にか「最初からそんな話はありません」ということになっていた。また、工事は今年度できる範囲として、3棟に大幅縮小されている。ということは、今年度は3棟の棟間のみを10Gにするということか。

 打合せ前に遠藤は「3棟への縮小はITTさんも喜んでいましたよ」と言った。 

 ITTにしても、一度に全棟の工事まで行うのは負担が大きい。一方で、全棟分のネットワーク機器を納入してしまえば、次年度以降に先送りされた他棟の工事について、取り逃すことはない。また、現状に不満が大きいのは相馬教授の学科があるD棟だ。そこに至るルート上の2つの棟を含めて工事すれば、他学科から相馬教授がプロジェクトリーダーとして職権濫用しているとの非難を受けることもない。

 遠藤は、ボランチらしいボールさばきで、よい仕事をしているようだ。

 話が現実的なところまで落ちてきたことと、ようやくITTの技術者と話ができたことで、バクは嬉々として学内LANの構成を説明している。

 一方、ラマの方は、30年間への執着を捨てて以降、自分でも驚くほど、さっぱりとした気分になっていたこともあって、情報センターのラウンドテーブルで交わされる打合せを、遠藤、猿渡事務室長と共に、微笑ましく見守る。


 しかし、二時間ほどの打合せを終えて、3棟のうちの1棟の現地調査に同行したラマは、奇妙なことに気がついた。

「ここは露出でいいですか?」などといった業者の問いに「はい」と答えているのは、なぜか、メディアセンターの猿渡事務室長で、棟を実際に利用している油絵学科の職員がいない。それだけではない。「正式」化されたはずのプロジェクトのメンバー(相馬、牛尾、朝熊、遠藤)も一人もいない。営繕担当の総務職員さえいない。

「なんなんだ、これは?」

 学内における、ほとんどのWi-Fi工事に関わってきたラマにとって、それはとても不可思議なことだった。


 Wi-Fi電波を5階まで隈なく測定して見ると、すべての教室が廊下に設置されたWi-Fi電波を70~80%で拾っていた。Wi-Fi機器はNAC(助手)が設置してきたので、老朽化や性能不足の機器もあるだろう。であればWi-Fi機器だけを交換すればよい。にもかかわらず、ITT社は配線を含めて全て新規に引き直すのだという。

 さまざまなことが理解不能のまま、ラマが最後尾を歩く提灯行列の先頭で猿渡事務室長がテキパキと業者の質問に答えている。それがラマの目には、なにやらシュールな光景に映る。


 現地調査後、再度、事務棟に集まり打合せをおこなった。

 ITT、大学側とも出席者が増えている。そこに現れたITTの営業と思われる巨漢の男は3棟だけではなく、全ての棟のネットワーク機器のコンフィグ(設定情報)を寄越せと言い出した。

「要望する」ではない。「寄越せ」というのである。

 しかし、そもそも棟間配線工事にコンフィグは必要ないし、セキュリティ上、機密情報に類するものだ。

 要求内容の不合理さ以上に、その高圧的な態度にラマは肝をつぶした。いままで多くの業者と仕事をしてきたが、施主側の人間に向かって自分の部下に対する絶対命令のような口調で接する態度に面食らった。

 巨漢は「ITT社は大学とNDA(秘密保守契約)を結んだのだから、全て出せ」と言い募る。

 情報センターは業務の性質上、どのような小さな委託契約でも、業者に大学とのNDAを締結させているが、なぜそれを錦の御旗のように持ち出すのか理解できなかった。コンフィグ情報には、当然ながらネットワーク機器のすべての設定内容が含まれる。これが漏れれば外部からの攻撃で設定の脆弱性を突かれる可能性が高くなる。契約した警備会社に「金庫の鍵をよこせ」と迫られているようなものだ。

「NDAがあっても、必要が認められない情報は出せない。納得できる必要性を示してほしい」と答えるしかなかった。

 技術的とも思えない議論と馬鹿げた要求に改革準備室や大学側の人々が完全に沈黙していた。事務員が保身から沈黙を選択するのを見るのは、ラマにとって珍しいことではない。しかし、この沈黙が彼らにとって、興味がないからなのか、ITTのあまりの傲慢さにラマと同じように面食らっているのか、判断がつかない。


 打合せ後、再び、少人数で情報センターへ移動してラウンドテーブルを囲む。

「なぜ、全てのコンフィグが必要になるのですか」とラマが訊ねると、「正確な見積りを作成するのに必要なのです」とITTの技術者が答える。

 彼らが欲しいのは設定内容そのものではなくて、単に見積りのための機器のモデル名と機器の数だというのだ。そんなものは機密情報でもなんでもないし、そもそもそれをコンフィグとは言わない。ラマは脱力した。

「そんな情報なら、私たちの管理ソフトのデータを持っていったらよいです」と答えると、今度は「画面をキャプチャすると手入力作業が発生してヒューマンエラーになるのが心配です」という。

 それは自分たちの事情、作業が面倒くさいだけではないのか。さすがに頭にきたラマは、

「次に来るまでに管理ソフトのアカウントを作成しておくから、勝手にログインして好きなだけ情報収集していってください」と約束し、あとに続く「その管理ソフトで過去1年分の通信量をグラフで見ることができるから、御社調査による『ボトルネック』が本当に存在するかどうか、その目で見て確かめればいいのではないですか」という言葉を飲み込んだ。


 打合せが終わり、猿渡事務室長、バク、ラマの3人がラウンドテーブルに残された。

 「実は」と猿渡事務室長が切り出す。

 「朝熊さんから『ITTが欲しいという情報は全て出すように』と命令されていたんです」

 なんじゃその命令は?と思いながらもラマは、

 「おー、それを止めておいてくれたわけですね、ありがとうございます」

 と素直に感謝を述べながら、会議での事務職員たちの沈黙の理由が腑に落ちた。


 ITTが現地調査を終え、 4月8日付けで新たに提出した見積りは、5億から3億弱に減額されていた。2月1日の見積りが予算確保のための上振れしない概算だったとはいえ、大量導入されるSFPの単価が半額以下になっていたりする。ラマは心の中で呟いた。<半導体不足とはいえ、テキトーなもんだな>

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