集団の免疫反応

第18話 ボランチ登場

2022年 3月16日

 ボランチとはポルトガル語で「ハンドル」を意味する。サッカーではフィールドの中央で攻守に関わり試合の舵取りをする重要なポジションだ。

 停滞するネットワーク改修工事プロジェクトに突如、彗星の如く現れた遠藤は、その有能さにおいて右に出る者のない、総務部のエースだ。主にアカウント管理の業務で情報センターと関わる歴代総務部職員のなかでも、傑出した人物であると、ラマとバクの評価は一致している。

 その彼が、補助金担当という名目でプロジェクトに加わり、「ネットワーク環境改善及び、関連工事の実施に運営体制について、総務部の施設整備の一環として事業推進させていただきたい」つまり、「これから本プロジェクトは自分が仕切る」と関係者全員宛てのメールで、高らかに宣言したのだ。


 遠藤は入職からの数年を情報センターと同じフロアにある産学支援課で過ごしていたため、ラマとは度々、廊下で顔を合わせていた。彼が並々ならぬストレス耐性を持つことは多くの周辺情報から推察できていたし、それが総務部で開花したことを陰ながら祝福していた。

 プロジェクトの性質から見ても、相馬教授と広報の牛島だけではやはり、遂行が難しかったのだろう。膠着したゲーム展開を打開するべく、攻守にバランスの取れた名ボランチが、朝熊によりピッチに投入された。


「見事な采配だな、この状況では彼しかいないもんな」

ラマが他人事のように感心すると、

「そっすかね、今更どうなるもんでもないんじゃないですか」

状況をクールに眺めるのが、バクの性質だ。

「どうせ、ITTを儲けさせたいだけなんだろう」



2022年 3月17日

 改革準備室から理事会報告事項と題される書類を手に、猿渡事務室長がやってきた。

「萩多寺キャンパス・ネットワーク環境改善プロジェクト220316最終」と副題のついたその文書には、「2月にネットワークの物理構成など実際の現調を行ったところ、基幹サーバから各建屋間のスイッチ(ネットワーク機器)でボトルネックが発生していることが判明したことから、正式にプロジェクトを立ち上げ、ネットワーク環境の改善に取り組むこととした」とある。

 

 正月に相馬教授と牛尾が情報センターを訪れてから今日までは「正式」なプロジェクトではなかったらしい。以来、あいまいだった「ネットワーク改修工事プロジェクト」は、ようやく正式なものとなり、メンバーは相馬と牛尾に加え、朝熊事務局長、遠藤の4人に確定したようだ。形式上、情報センターへの話はすべて、メディアセンター事務室を経由することになる。

 これまで以上の中間管理職の苦難が待ち受けるであろう時期に異動になった幸運な猿渡事務室長に、ラマは疑問を投げかける。

「情報センターでは ネットワーク管理ソフトで、全ての機器の毎分の通信量を収集してトレンドを把握しています。これにより、授業が集中した際のアドビ向けの通信でインターネット出口がボトルネックになることを把握し、これへの対応として、夏のサーバー更改に向けたRFP(提案依頼書)では、この部分の強化を必須条件としてもいます。加えて、2月は入試の時期で授業用の高トラフィックは発生しないはず。ITT社がどのような調査を実施したのか疑問です」。


2箇所のボトルネック(図)

https://kakuyomu.jp/users/kuninamashe/news/16818093086101072096


 疑問を投げかけられた猿渡事務室長は「そうですかあ」とだけ答え「でも、この改革準備室から理事会への報告書は表題の付け方とか、ボクがたくさん修正してあげたんですよ」と得意げに胸を張る。


 遅れて出勤してきたバクが書類を見て「何を根拠にボトルネックと判定したのか」と猿渡事務室長にメールで問うと、

「添付資料の件ですが、改革準備室さんの方での報告用ですので、あちらでは、一応現状ではその認識をされている、ということ」と返信があった。


 ラマが帰宅したあと、入れ替わりに情報センターに現れた名ボランチ遠藤は、バクとラウンドテーブルを囲み、ネットワーク更新プロジェクトの技術的概略を話し合い、翌日には「自分の理解に間違いはないか」と書面の確認をメールで求めてきた。

 施主としての要件仕様が簡潔にまとめられた「2022年度鶴亀美術大学ネットワーク改修工事計画確認書」には、「現状の事務系/教育系ネットワークから学生用無線 LAN を切り離すことで、セキュリティの向上や基幹となる既存ネットワークに係る負荷を軽減させる」とある。

 Wi-Fi機器による通信は、そのほとんどが教育系のため、これを独立させれば同時に教育系への負荷が減る。授業で利用する教育系のための通信帯域確保は何より重要だ。問題の本質は、教育用のネットワークに接続されたWi-Fi機器に多くの学生のスマホが接続されていることにある。学生のスマホに快適なWi-Fi通信を提供するというよりは、教育系の通信速度確保のために、Wi-Fi通信に「出ていってもらう」ことが早晩必要になることは、情報センターがかねてより考え望んでいたことだ。

 情報センターがボトルネックとするインターネット回線は、サーバー更新と同時に実現するし、ITTがそれをやりたがるのであれば、条件次第で任せてもよい。2つのボトルネックが解消すれば、全体はより快適、D棟は特に快適な通信が確実に実現するはずだ。


工事確認書での提案(図)

https://kakuyomu.jp/users/kuninamashe/news/16818093086101168836


 何回説明しても理解できない(しない)人もいれば、一度の説明で翌日には技術屋の言葉を、総務から業者への要求仕様書へと落とし込むことができる人もいる。

 これならば、Wi-Fi機器の入れ替え以外にもITTがやりたがっている棟間配線工事も含まれる。そこからは「どうせカネを使うなら、少しでも有効に使いたい」という、二人の意図を汲み取ることができた。

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