第15話 これって、うつ?
2月頃から、妻の声がうまく聞き取れなくなってきた。耳鼻科に診てもらったが異常はない。
音声が聞こえないというよりは、咄嗟に言葉の意味が理解できず、反応がことごとく鈍くなる。それがだんだんひどくなり、「なに?もう一度、言って」が頻発するようになると、妻は苛立ちを隠さなくなり始めた。
心なしか滑舌も鈍っているような気がして、入浴中に落語の朗読をすることにした。
ある日、「文七元結」を朗読していると、突然、マグマのような何かが吹き出し、号泣してしまった。昔から好きな話で何度も読んだり聞いたりしたはずなのに、やはり心のどこかが変調を来しているようだ。
寝入るとすぐに、悪夢で目覚めてしまう。
朝までぐっすり眠りたくて、酒の量が増えていった。すると今度は、尿意を朝まで我慢できなくなる。そして深夜にトイレに起きると、そのまま眠れずに空が白み始める。
ああ、また眠れなかった。
そう思いながら目覚ましを消すと、今度は30分ほどの眠りに落ち、「仕事、行かないの?」と妻に起こされる。そういうことが続いた。
集中力も落ちてきたようだった。後ろから読み始める習慣の新聞が、社説のあたりから読むのが遅くなり、目が文字を追うだけになっていることに気がついては、また見出しから読み直す。気がつくと10分も政治面を開き、読み終わる頃には最初に読んだ運勢欄などは、すっかり忘れている。そして、新聞を閉じると今度は待っていたように睡魔に襲われる。
これはどうも、まずいことになっているな。メンタルにダメージを受けていることはラマにも理解できたが、診断がつくのが怖くて医者には行きたくない。
以前、病む人が続出する事務部門で疲れ果てている同僚に「残念だけれどこれからは、組織も部署も上司も同僚も期待しない方がいい。労基署と心療内科だけが、よすがだと思っていれば間違いない」と冗談混じりに忠告したことがある。
有言実行の時かと悩んだ末、「まだ、大丈夫」と自己診断を下した。その理由は、37年来の商売道具としてきた思考と、33年前に経験した小さな自我の変容にある。
大学時代に社会学を学んだラマは卒業後、興味の対象を内面世界に向けた。4年後、機が熟したことを感じて南インドを訪れた。渡航先にたいした意味はなく、思考について思考し観察することに集中できる場所と時間を求めてのことだった。そこでラマは、ささやかながら自我の変容を経験した。
「人の気持ちがわからない人」と言われ「確かにわからない」と自分でも思うようになったのは、それからだ。
遠い昔に変容した自我と、長く商売道具としてきた思考が、自身の心の底から何を見つけ出してくるのか。無意味な火遊びにも思えるが、もう少し様子を見ることにしたのだ。
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