第10話 悪い噂

2022年 2月 20日

 自身のラッキーナンバーである2並びの日に、ラマは2年後の退職願を提出した。早期退職手当を受け取るためには1年前でよかったが、前倒ししたのは、大学にその後の体制を考える十分な時間を与えるためだ。

 総務から確認の連絡があり、その旨を説明すると、「私も老後資金に目途が着いたら早期退職したいのですが、住宅ローンを完済して、子供も社会人になってから」と思わぬ愚痴を聞かされ、形式的にでも感謝の言葉を期待したラマは、あてが外れた。


2022年 3月 9日

 新年早々に理事長がぶち上げたという本学のネットワーク改修工事プロジェクトにからんで大学に突然現れた「International Thief Thief」(以下、ITT)という会社は、日本有数のネットワーク企業だ。

 一月に簡単な告知を受けたものの、その後、何の連絡もなく、情報センターは、ずっと蚊帳の外に置かれ、なにがどうなっているのかまったくわからない状態だったが、ある日突然、メディアセンター事務部から「ITTに各棟のネットワーク図面を見せてあげてほしい」という要請がなされた。

なんなんだと思いながらも、情報センターに訪ねてきたITT社の二人のスタッフに、バクはロッカーを公開し、ラマは情報センターのネットワーク管理システムについて、説明した。

 

 過去20年、鶴亀美術大学は毎年のように、新しい建物を増やしてきた。

 その竣工時に納品されたすべてのネットワーク図面を含む関連の資料は、1つのロッカーに保管されている。一方、日常的なネットワーク管理に必要な情報はそのごく一部なので、それらは必要に応じて、情報センター職員であるバクかラマがネットワーク管理ソフトに反映させてきているわけだが、故障による入れ替えやユーザーの要望などに応じた設定の更新情報は、この管理ソフトに保存され、メンテナンスされている。つまり、ネットワーク管理のための最新情報はあくまでも管理ソフトにあり、そこで情報が不足した場合に限り、ロッカー内の建築時の納品資料を参照することになる。

 

 事務部の要請に従い、そういったことを説明したのだが、二人のITT社員は管理ソフトによる管理方法の説明などにはろくに耳を貸さずに、ロッカー内だけを調べていった。

 後日になるが、にもかかわらず、彼らはロッカー内の資料が最新の状態でないということを理由に「情報センターのネットワーク管理に不備がある」と改革準備室経由で、大学に報告したという。

 唖然とするしかないような、この話を伝えてくれた猿渡事務室長によれば、他にも「50年前の建築図面がない」とか「情報センターが非協力的である」といったITT側のクレームを改革準備室が学内で吹聴しているらしい。

 そんなことを言われても、50年前にはネットワーク自体が存在していないので、ネットワーク敷設時の図はあっても建築図面まではない。こちらの説明を聞き流していたくせに非協力的だったと言われても、こちらとしては困惑するしかない。


 とはいえ、メディアセンター事務室長の猿渡は、これでは管理部門の責任が問われかねない事態と動揺したようで、猿渡事務室長と事務部全体を統括する朝熊事務局長が来訪し、情報センターのラウンドテーブルを囲むことになった。


 しかし、こちらが、改めて、できる限り懇切丁寧に説明を重ねても、猿渡事務室長も朝熊事務局長も二言目には、「技術的なことはわからないので」「あちら(ITT)は専門家だから」という話にしかならない。

 運用管理はネットワーク管理ソフトによって行っているので、最新情報はロッカーではなく、管理ソフトの中にあることは、はっきりITTに説明したとラマが言うと、「ああ、そういえば『メモみたいなものしかない』ってITTが言ってたのは、そのことか」と朝熊が言う有様だった。

 もしかすると、わからないのではなくて、わかりたくないのだろうか。 

これは技術的なことに関する情報センターの説明能力とか事務局側の理解力の問題ではないのかもしれない。

 そもそもから、なぜネットワーク絡みのプロジェクトで、そのネットワーク維持運営に携わってきた情報センターが排除されてきたのか。なぜ、同じ技術職であるはずのITT社員から、身に覚えのない中傷を受けなければならないのか。

 選んで技術畑だけを歩いてきて、学内政治には興味も関心もなかったラマだが、さすがに年初以来持ち続けてきた疑惑は、ここで確信に変わった。

 この不毛な打合せ後、改めて、猿渡事務室長から「ラマさんとバクさんにも可能な限りITTにご協力いただきたいです」というメールが送られてきて、バクは、

 「何度も申し上げたように、いわゆる『初期情報』はロッカーのなかで、最新情報は管理ソフトのデータが全てとしか言いようがありません。何か話が噛み合わない感じがするので、技術屋さんと直接、話した方が早い気がします」と不機嫌な返信をした。

 技術職員なりに言葉を尽くした説明を「技術的なことはわからないので」と一蹴しておきながら、「可能な限りITTにご協力」だけを念仏のように繰り返す猿渡事務室長に、「バックに改革準備室、鵜飼理事、そして理事長がいるITT様にご満足いただけるよう働きなさい」という無言の圧力を感じて、バクが反発しているようにラマには思えた。

 しかし、実のところ、それは不機嫌の真の原因ではない。


 情報センターの業務は、サーバー管理とネットワーク管理の2本柱からなる。

 純粋なサーバー管理としては、外部公開されたWEBやメールなどのセキュリティ対策を含む運用管理や、内部ではユーザーが誤ってファイルを消してしまった場合の復旧要請などのファイルサーバー管理等がある。

 一方、ネットワーク管理はネットワーク管理サーバーを通じて行われるが、その設計はサーバー管理の方に含まれている。

 ネットワーク管理サーバーを含む全てのサーバーを2006年に情報センターと共に構築をした協力会社であるS社は、一般に名前を知られてはいないが、一部上場企業のバックエンドで多くの実績を持ち、業界ではオープンソースの技術に定評のある企業として知られている。情報センターが2名の人員で2つのキャンパスのネットワークを20年以上にわたり、外部のサポート無しに管理することができたのは、(後述するNACという本学独自の制度と)S社と情報センターの綿密な設計会議を経て構築されたネットワーク管理サーバーに負うところが大きい。

 S社と共に3回のサーバー更新を手掛け、十数年にわたるブラッシュアップを重ねてきたネットワーク管理サーバーの設計と運用方法に、バクは自信を持っている。彼の不機嫌の根源にあるのは、それだ。

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