喜劇の誕生

第9話 技術職の愉楽

2022年 1月 5日

 新年の初出勤でラマがカレンダーを掛け変えている情報センターに、二人の来客が訪ねてきた。

「たった今、理事長の新年の挨拶で、私たち二人、ネットワーク改修工事のプロジェクトの特命を受けてきた所です」

 という相馬は教授職、牛尾は入職以来、広報部でウェブコンテンツを担当している。

「そういうことなら、まずはラマさんに挨拶に行かなきゃと、その足で早速、お伺いしました」

 相馬は教授らしい的確さで、ことの経緯を説明した。


 ラマは、学内で最初のネットワークが97年に敷設されて以来、2拠点のキャンパスで20を超える全ての建物のネットワーク設計と管理を担ってきている。にもかかわらず、まったく自分の知らないところで、一言の相談もなく、寝耳に水のプロジェクトが動き始めていることに驚いた。

 情報センターが端から除外されていることに、相馬はどこか気を遣っているように見え、一方、牛尾の方は得意げに見える。

 もっとも、大きなプロジェクトを開始するにあたっては、教授クラスや企画系の職員をまず担当者に任命するというのは、おかしな判断とまでは言い切れない。なにか不自然なものを感じながらも、現場仕事の技術職員であるラマとしては「まずは最初に」と、とりあえず挨拶に来てくれた二人に対しては、平静を装った。


 96年に大学に入職する以前、ラマはプログラムを書くソフトウェア・エンジニアだった。

 プログラムをゼロから設計したり、目まぐるしく誕生する新技術をくまなく追いかけるタイプではなかったが、米国で開発されたプログラムを改造する仕事は、純粋にロジックと戯れパズルを解くような喜びにあふれ、とくにデバッグと呼ばれるプログラムの矛盾(バグ)を探す作業は楽しく、ラマはバブルと呼ばれる年月を、後に巨大な通信事業者となる某社の総合研究所で、バグと戯れる享楽に耽るようにして過ごした。

 当時はまだ、ITエンジニアという言葉はなく、一般にソフトウェア・エンジニアは出世魚のように、システム・エンジニア、マネージャへと成長しなくてはならない。この既定路線に適応できないラマはアメリカで3ヶ月ほどプログラム開発をした後、「どうせ、『30歳定年説』に魅力を感じて飛び込んだ業界だ」と帰国して間もなく仕事を辞めて、四国を自転車で旅していたところ、師匠筋にあたる先輩から連絡があり鶴亀美術大学を紹介され、1994年に技術職として入職したのである。


 入職して3年後の1997年、情報系の新学科設立にともなうキャンパス・ネットワーク整備のため、ラマは、五島宮キャンパスから萩多寺キャンパスへ異動してきた。このとき、バクがこの新学科の助手として入職し、2002年にメディアセンターが設立されて以後は、メールやWEBサーバーなどの基幹系サーバーの管理と学内ネットワークの管理を主な業務とする情報センターでラマと共に働いている。

 このメディアセンターとは、ラマとバクが所属する情報センターのほかに、写真センター、木工センター、映像センターなど、複数のプロフェッショナル集団で構成される大学の付属施設である。各センターにはそれぞれ2名の技術職員が配属され、これらすべてを統括する事務局もまた、二人の事務員(と一人のパート職員)で構成されていた。


 2002年のメディアセンター設立時、不本意な人事異動で着任したらしい事務室長はこう言ったものだ。

「君たちには一生、昇進はない」

なんともサディスティックな宣告に反発を感じた技術職員が多いなか、出世に興味のないラマは、かえって幸運な運命に感謝した。

 この時、バクとラマが実現した基幹系サーバーのオープンソース化によるMacintoshとWindowsのユーザー認証統合化は、後に注目された東京大学よりも先駆的であったし、大幅な運用コスト減で大学に貢献した。


 インターネット時代が到来し、プログラムの仕事は無くなったが、ラマにとっては急速な進化を始めたネットワーク機器をいじる仕事は楽しく、黎明期特有の混乱と熱気は「やったもん勝ち」という自由にあふれていた。大学のドメインなども会議に諮ることもなく、ラマが勝手に考え取得したものだ。

 人間を管理するマネージャや、売上げを求める営業職が務まらないラマにとって、ミレニアムの幕開けは、時代と組織に恵まれた日々だったのである。

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