第6話 天国と地獄は両立する

スプーンを一掬い。そうして口元に持っていく。

少しの間その状態のまま、覚悟を決める。

意を決した。男に二言はないのだから。

俺は紫色の得体のしれない料理を―――飲み込んだ―――



「今日は私が料理しておいたの」

「え?」

今後の俺たちについての話が何もまとまらなかった椎は、そう言って話題を変えた。

しかし俺には嫌な予感しかしなかった。椎は、というか俺たち二人は、カレーを作るのに失敗している。二人とも料理が下手だからである。

二人でやってもできなかったのに、椎一人でやってもできるわけがないだろう。そんな俺の不安はよそに、椎は間髪入れず話し始めた。

「一応、シチューのつもりなの。レシピ通りに作ったんだけど、ちょっと色味がおかしくなっちゃって。でも味は大丈夫なはず!」

椅子から立ち上がり、台所の方へ行き、ピンク色のエプロンをつけながらそう言う。

「結構うまく作れたと思うんだよね~野菜の切り方もうまくなったんだよ~」

あんまり自信満々にそういうので、俺はそれほど心配しなくていいのかな、と思い始めた。俺も椅子を立ち上がり、台所の鍋の前へ足を運んだ。

俺は驚愕した。

「シチュー…作ったんだよな?」

「? そうだよ?」

「クリームシチュー?ビーフシチュー?それとも…」

「やだなークリームシチューだって~。ね、なかなかおいしそうでしょ」

無理あるよ。

だって紫色だもん。クリームシチューは白色だよ。毒キノコシチューとかなら一周回って納得するかもしれない。

「…味見はした?」

「それがまだなの!だから晃弘にしてもらおうと思って!」

「いや俺⁉」

思わず自分を指さしながら聞き返す。

「え、うん。俺」

椎も俺を指さし、返答する。

「なに、嫌なの?」

目を細め、顔を覗き込んでくる。不機嫌そうな椎。不機嫌になりたいのはこっちであるが、そうも言ってられない。

どうやって味見を回避するか―――

俺の生き死にはこの一点にかかっていると言えるだろう。

頭を回した。これ以上ないくらいに。それはひとえにこの得体のしれない液体を摂取したくないというシンプルな思いからであった。

「あ、ごめん、俺ちょっとさっきからお腹痛いんだよね。ちょっとトイレ…」

「あ、そうなの?」

「そうそう、だから先に味見済ませちゃって大丈夫だよ」

俺はそう言ってトイレに駆け込んだ。

これで俺はなんとか一命をとりとめた。五分もすれば、台所で自分の作った毒に悶え苦しむ椎の姿が見れるに違いない。

そう信じて五分後、俺はトイレから出た―――のだが、

「あ、おかえり~。仕方ないからよそっといたよ!」

机の上にはお皿が一つ。紫色の液体が入った、お皿が一つ。

ほんっとうにこの女は余計なことをしてくれた。

椎はきらきらと目を輝かせている。

その目を見て、俺は父の言葉を思い出していた。


「親父、なんで親父はこんなに料理がうまいんだ?」

「母さんがな、初めて作った俺の料理を、美味しいって言ってくれたんだ。それが嬉しかった。でもあとになって自分でその料理を食べたら、超まずかったんだ。俺は悔しくてな。次はうまいものを、その次はもっとうまいものを…ってしてたら、こうなってた」


適当に聞き流した父の言葉がここになって俺の心にボディブローのように響いてきた。

俺は―――やるぞ―――

覚悟を決めた。

椅子に座り、用意されたスプーンを手に取る。

迷いはなかったが、一口分掬い上げ、いざ食べようとしたとき、腕が止まった。

「ふうぅぅぅー」

俺は今一度深呼吸をした。

椎の表情は変わらない。俺がシチューのような何かを食べて、「美味しい」と一言口にするのをクリスマスイブの子供のように待っている。

「いただきます」

そう言った俺に迷いはなかった。

俺は―――シチューを飲み込んだ。



辛い。いや、苦い。ん?いや、渋い?あ、酸っぱい。やっぱり苦い。辛い。

どんな味かはわからなかった。思い出したくもない。今まで食べたことのない新しい味であることと、非常にまずいということは確かである。

しかし、俺はこの窮地を乗り越えた。

「オ…オイ……オイシイ…」

滑らかな発音はできなかった。

「ホントに⁉」

椎は一層目に光が宿った。

「モ…モチロン…」

「よかったあ~!じゃあ、頑張って食べきってね!」

そうじゃん。

食べきらなきゃじゃん。でも無理だ。精神的にも、肉体的にも致死量である。

俺は必死に首を横にブンブンと振った。

「え、もう食べられないの?」

首を縦に振って肯定する。

「え~、でも残されても困るよ。頑張って食べてよ。お願いだからさ」

「い、いや、ほんろ、これいじょうは…」

俺は死にかけの舌と唇でなんとか発声した。

「も~しょうがないな~」

椎はそう言うとスプーンを手に取り、シチューを掬って僕の口元に近づける。

「はい、あ~ん」

俺は口を開いた。


残り全部、俺は椎にあーんされて、一皿分なんとか食べきった。

天国と地獄は両立するのだと、俺は知った。

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一つ屋根の下、二人で。 すいようえき @suiyo_eki07

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