第4話 お金貸してくれる人はみんな最高にいい人

家に知らない女を上げた。

俺たちはお互いのことを何一つとして知らなかったが、なんとなく、仕方のない、どうしようもない事情に巻き込まれているのであろうということを悟った。

安藤しいと名乗ったその女は、玄関を通り、リビングに入ると、しきりにあたりを見回し始めた。

「綺麗な部屋だね」

「ああ、どうも」

俺はそれだけ返して、目線と手のひらで椅子に座るよう促した。彼女はすんなり座った。俺も机をはさんだ向かいの椅子に座った。

「それで、どういう状況なの?」

「家が無くなったの」

「なんで?」

「お父さん、借金してたんだって」

なんだか聞き覚えがあるな。さっきも借金がどうとかって……あ、

「安藤…安藤って…親父を連帯保証人にしてた…」

「そう。私、安藤がいの娘よ」

俺は口があんぐりと開いて閉じられなかった。ある意味で目の敵のような奴が突然目の前に現れたことが信じられなかったのだ。

驚きながらも、俺は状況の確認を続ける。

「お父さんは、いまどこに?」

「古い友人と船に乗って一稼ぎして来るって。さっき見送ったの」

状況も同じである。俺は彼女が本当に目の敵であると認識した。

しかし、だとすればなぜここに娘が来ている?普通に考えればそんなことをするメリットも理由も思いつかないのだが…

「それでね、今日からここに泊まれって言われたの」

「なるほど、今日からここに…」

え?

俺の聞き間違いだろうか。

「ちょっと待て、それはどういう…」

ピーンポーン―――

インターホンが鳴った。

「あ、来た来た」

彼女は椅子から立ち上がり、インターホンのボタンを押して「はーい、今取りに行きまーす」、と言い、そそくさと玄関に向かった。

状況がイマイチ掴めていない俺は、困惑しながらも、とりあえず玄関に向かった。

ドアの向こうではもうすでに山のような段ボールが運ばれてきていた。

俺はまたも、口をあんぐりと開いたまま、突っ立っていた。

ドン。ドン。ドン。

時がたつにつれ、僕の家の玄関は段ボールでいっぱいになっていった。その間、約三分。

やがてすべての荷物を運び終え、配達業者は一枚の紙を彼女に渡した。彼女はその紙を受け取るなり、俺の方へ歩み寄ってきた。印鑑が必要、ということなのだろう。

「あのさ…晃弘あきひろくん?」

「あー、オッケー。印鑑持ってくるよ」

俺はそう言って彼女に背を向け、リビングに向かおうとしたのだが、

「あいや、違くて…」

と、彼女は俺に言った。顔を見ると、彼女は少し申し訳なさそうな表情をしていた。

「え、印鑑じゃないの?」

「印鑑もいる。印鑑もいるんだけど…」

なぜか口ごもる。なかなか言い出さずいたのだが、突然、両の手のひらをあわせ、その手を口元に持って行き、左目だけ閉じて驚きの言葉を口にした。

「お金、貸してくれない?」

「……………は?」

思わず声が漏れた。シンプルに意味が分からなかったからである。

「いやね?私一文無しで出てきちゃってさ?もちろんお金なんてないの!でも今日からここに住むってなると、やっぱり荷物は必要じゃん!」

「…うん」

「だからさ、私着払いで送ったの!とりあえず立て替えてもらおうと思って!」

「…なるほど」

「ほんとに申し訳ないって思ってる!絶対返すから!だからどうかここはさ…お願い♡」

上目遣いで要求してくる。悔しいが、その姿はまるでアニメキャラのように可愛かった。

「はあ…」

俺は深いため息をついてリビングに向かい、引き出しの中から印鑑、カバンの中から財布を取り出した。

親子そろって金を借りてて、その親子に親子そろって金を貸してる…

「血筋だな、これは」



「いや~いいお湯だった~」

人の家に突然転がり込んできて、しかも金まで借りた最高に図々しい奴は、それだけでは飽き足らず、荷物を半分も片す前に風呂に入った。

「安藤さん、とりあえず座って」

俺は怒りが顔や声に出ないよう、細心の注意を払いながらそう言った。

しかし気づかぬ間に漏れ出ていたのか、自分のやっていることを反省したのか、彼女はすぐに椅子に座った。

「色々聞きたいんだけど、まず」

俺は一拍おいて聞いた。

「君は今日からうちに泊まるの?」

「そう!財産取り押さえで家無くなっちゃったから!てか晃弘はほんとにお父さんに何も聞いてないんだ?」

バスタオルで長い髪の毛を入念に拭きながら、彼女は笑顔で答えた。

「多分親父も俺に言い忘れてたんだろうな。忘れっぽい人だし…じゃあ、もう一つなんだけど…」

「なあに?」

「なんでそんなになれなれしいの?」

これが本当に疑問だった。一時間も前に家の前で会ったときは敬語だったし、ついさっきまでは晃弘『くん』だったのが、なんのフラグを回収することもなく、呼び捨てへと変わっている。

「あ~それね。私、お金貸してくれる人はみんな最高にいい人だと思ってるから。晃弘は最高の男だよ!」

親指でグッドを向け、ウインクしながらそう言った。

頭を抱えた。これはダメだ………。

ああ、多分俺はこの女に金も家も名誉も、財産という財産を搾り取られていくのだろう…。

普段から金を貸してもらってる人にまともなやつなんて一人としていないんだから!

「それにもう一緒に住むしかないんだしさ?晃弘も私のこと椎って呼んでいいよ?」

「そんないきなりは無理だ」

「え~…じゃあしーちゃんにする?友達はそう呼ぶんだけど」

「それはもっと嫌だ」

「じゃあ呼び捨てね!椎って呼んで?ほらほら」

まじでなんなんだこの女は。

「何?恥ずかしいの~?」

そんなに面白いだろうか、ニヤニヤしている。

「…椎」

俺が名前を呼ぶと、なぜか椎は少しハッとした。

「…明日、学校なんだ。俺、もう寝るわ。じゃあ。今日はソファで寝て。家にあるものは好きに使って」

逃げるように階段を上がり、自分の部屋へ入った。

今思えば、多分俺はこの時も相当耳が赤かったのだろう。でもなぜか椎はそのことについていじったりしてこなかった。

これが俺と椎が初めて出会ったときの話。こんな事情だから一つ屋根の下、二人でいるのであって、俺たちは恋人なんて関係ではないのだ。

この後、学校もクラスも同じになり、頭が真っ白になったせいで、自己紹介の時はどもって何も面白いことが言えず、高校デビューに失敗したのはまた別の話である。







「私、男の子に呼び捨てにされるのって……………初めて」

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