最後の時が近づいていた
第12話
あの後、変化を解いたスターセントの強引な強行突破で天井をぶち破り、地上へとたどり着くことができた。
彼は、とてつもなく大きかった。二人も大きいと思っていたのだが、それと比較するには、あまりにも違いすぎて、それこそ、ライオンの子供と親ってぐらいの差はある。もっとかもしれない。
なんせスターセントの背中に、わたしと、変化を解いたクリスター、ブラクリーを載せても、まだ余裕があるくらいの大きさなのだ。翼は、ブラクリーと同じくコウモリの翼だ。色は、これもまた半々で、白と黒の真っ二つに分かれていた。
スターセントは、彼が眠っている間に混乱してしまった魔界の状況を掴むため、しばらく忙しい時を過ごしていたが、ようやく、一段落したのか、穏やかに寛いでいた三人の前に現れた。
約束だったクリスターとブラクリーに馬車馬になって働くことを承諾させると、いよいよ、わたしは人間界へと帰る時がやって来たのだ。
ルキフェルは、あれから姿を現さなかったが、スターセントがいれば、なんの問題もないとのことで、人間界に繋がる門へと向かっているのだが、そう簡単には門は潜らしてもらえないようで、ある意味、これが一番恐ろしいのかもしれない。とそう思った。
そこへ気遣うようにクリスターが声をかけてくる。
「大丈夫か?」
「なにが?」
「足、震えてるぞ」
「あんなの見て、震えない方が、どうかしてると思うけど」
廊下の先に見えるのは、三つの頭をもち、首の周りには無数の蛇を生やし、そして、尻尾も蛇という、地獄の番犬ケルベロスだ。
「あいつをなんとかしないと、門は潜れねえんだよ」
当たり前だ。このまま、あいつの前に出て行ったら、容赦なく、ガブリと食われて殺されるのがオチだ。でも、そのために、スターセントを目覚めさせたのだから、こいつに、なんとかしてもらわなくては、なんのために、あんな余興までやったのかわからないじゃないか。
「あんたが、通してくれるんでしょ」
「ああ。俺の美声で、眠らせてやる」
「あっ、そういえば、ケルベロスって歌を聴かせると寝るんだったっけ」
「誰でもいいわけじゃないのだよ。俺の歌声じゃないとね」
「そうなの? そんなにいい声なんだ」
「まあ、聞きゃわかる」
クリスターが、戸惑うようにそう呟いた。
「なに、その言い方」
「聞きゃわかるって、言ってんだろ」
「覚悟はしとけ」
付け足すように、ブラクリーが脅してきた。
「えっ、なによ。それ、めちゃくちゃ恐いんですけど」
「俺、ホント、これ嫌い」
「俺だって、気を保つのどれだけ大変か」
クリスターもブラクリーも、相当嫌がってる。
「やだ、そんな恐ろしいことが始まるの。わたし、やっぱり止めようかな」
「お前! そんなこと言ったら、ますます調子のるじゃねえか!」
クリスターの叫びに反応するかのように、スターセントは吐き捨てた。
「誰が調子にのるだと。お前ら、俺の美声で死にやがれ」
歌い出された、その歌は!
げっ! うそでしょ! なんなのこの歌! 酷い。なんて酷い歌なんだ。耳が壊れそうだ。
これはもう、死ぬに等しい。本人は、至って本気らしく、相当、気持ちよく歌てやがるが、しかし、周りの者は、この上なく迷惑だ。気が狂いそうだったので、なんとか両手で耳を塞ぎ難を逃れる。
クリスター、ブラクリーも両手で塞ぎ、ってなんで塞いでないの! もしかして、魔獣には美声に聞こえるのか! と思ったが、よくよく見てみると、二人の耳には、確りと耳栓が仕掛けられていた。
ズルい! あいつら、自分達だけ準備を施し、わたしの分を用意してないなんて! あいつらもたいがい意地悪だ! と、今更わかってももう遅いのだが。完全に心は、あいつに囚われているのだから。
番犬であるケルベロスは、耳を塞ぐことも、門から逃げることもできないのだ。強烈な歌声に次第に耐えられなくなり伏せていく。そして、とうとう動かなくなってしまった。
「よし。このくらいでいいだろう」
歌い終わって、爽快だというように歌いきったスターセントは誇らしげにしてる。
ホント、はた迷惑な奴だ。スターセントが歩き出すのを確認すると、クリスターもブラクリーも耳栓を外し、こっそりとポケットにしまった。
ふらふらになりながら、三人の後に続いて門前まで来ると、ケルベロスは、泡を吹いて気絶していた。
これを彼は、子守歌とでも勘違いしているのだろうか。
「女、さっさと歩け。起きちまうだろ」
スターセントが門を開き急かす。
起きやしないよ! 完全に延びてやがるじゃないか! それより、あんたの歌声くらったわたしは、相当のダメージだよ!
なんとか開いた扉の前までたどり着き、門を潜ろうとすると、クリスターが引き止めた。
「おい」
「うん? なっ、なに?」
振り返って見たクリスターの顔は、なんだか思い詰めたような、重たい表情をしていて胸騒ぎがした。クリスターは、なにを言うつもりなんだろうか? 怖い。聞きたくない。そう思うのだが、身体が強ばりどうにも動けそうにない。
「ここを出る前に、契約を解消しろ」
「えっ?」
なにを言われたのか、一瞬わからなくて聞き返すと、別な場所から罵声が聞こえた。ブラクリーだ。
「テメェーなに言ってやがる! そんなことしたら会えなくなるんだぞ!」
「いいから解約しろ」
「正解だな。クリスターにしちゃぁ、利口な考えだ」
「スターセント!」
ブラクリーがそう吠えて二人に詰め寄る。
頭の中が混乱して、思考がついていかない。
「なに、言ってんの? わたし、解約なんてしないよ。だって、ずっと一緒にいてくれるんでしょ? そうでしょ、クリスター!」
「いねえよ。いるわけねえだろ」
「テメェー!」
怒鳴り出すブラクリーに、クリスターも罵声で返す。
「やかましい! お前は黙ってろ!」
「なんだとテメェー! 俺は解約なんかしないぞ! テメェーがそう言うつもりなら、俺が卯乃香と一緒にいる!」
呆れた声で口を挟んだのは、スターセントだ。
「バカかお前は? クリスターもブラクリーも、馬車馬になって働くんだ。そんな時間あると思ってんの? そこの女に呼び出されても、行けやしないんだよ」
「余計なこと喋んな」
そう言って舌打ちをしたクリスターの意図が読めてきた。きっと、彼は傍にいてやることができないなら、いっそのこと解約して待たない方がいいと考えたんだ。
でもクリスター、そんな思いは不要だよ。わたし待てるよそれぐらい。あんたと心が繋がってれば、きっと、あんたは魔力を増やしてさっさと終わらせるでしょ。
だから、ホッと胸をなで下ろすと、こう言ってやった。
「そういうことなら、わたし大丈夫だから。あんた達の邪魔はしない。仕事が終わるまで待ってるから」
それを聞き、『はぁ~』と大きなため息を吐き話し出したのはスターセント。
「あんたね、百五十年の歪みが、そう簡単に元通りにいくと思ってんの? 同じ時間費やしても元には戻んないんだよ。つまり、あんたが生きている間に、仕事の片なんてつかないってこと」
「うそ……」
「俺は、解約するのを進めるね。あんたの一生、こんな魔獣に縛られて生きるのはどうかと思うよ。まあ、決めるのは、あんただけど。元々、俺らからの解約は認められていないから。解約する時は、それぞれの名前を呼んで『キャンセル ア コントラクト』と言えばいい。そうすれば、俺らとの契約は終わる。後は所有者が死亡した時だな。今すぐ決められそうにないようだから、後は、帰ってじっくり考えな」
「そんなに、かかるの?」
このまま一生待ち続けるのかと不安になった。
「ああ。魔界の歪みは周りの世界にも連鎖する。それは、あんたの住む人間界にも影響を及ぼしてるはず。昔と今では環境が変わってきたりしてるはず」
「温暖化とか、異常気象とか?」
「思い当たるなら、それもそうなんだろうな。俺は眠っていたからわからんが、天災だけでなく、人災なども歪みから起こりうるからな」
「それを元に戻すためには、長い年月がかかるってことなのね」
「元に戻せるかはわからない。滞っていたものを正すことはできても、人災で破壊されたものには限界がある。なんせ、百年以上封印されたことなんて、今までになかったからな」
「大変なことなんだ……」
わたしが考えてるよりずっと大事になっているのだと知り心が揺らいでしまった。
クリスターは恋に現を抜かしている場合ではないということなのかもしれない。だから、解約して欲しい。そういうことなのかも。悲しくなってきた。通じ合っていたと、わたしと同じくらい思い合っていると自負していたのに違ったのかもしれない。
それでも、離れたくない。でも、邪魔もしたくない。もう、どうしたらいいのかわからない。
わがままを言ったら、そうしたら、クリスターは困るだろうか?
そう思っていると、無意識にクリスターの方へと顔を向けていた。
「……なんだ?」
「えっ、」
「言いたいことがあるなら言えよ」
言いたいことと言われても、考えも纏まらないし、答えだって出せていないんだから言えるわけないじゃん。
「なんだよ」
「五月蠅い! あんたなんかに話してやらない!」
頭の中がごちゃごちゃになって駆け出そうとした瞬間、クリスターに腕をつかまれ引き寄せられた。
「!」
驚いている間にもクリスターの胸に顔を押しつけられ抱きしめられると、ごちゃごちゃだった心の内がスッと晴れやかになって安堵が生まれた。
「なっ、何だこれは!」
後ろからスターセントの驚く声が聞こえ、クリスターの抱きしめる腕が緩まるのと同時に、わたしは後ろへと振り返りスターセントを見た。
え? スターセントの髪が地面まで伸びている。なんで? そう思ったのと同時に、顔に髪がかかり払おうと手を伸ばすと、それはわたしの髪ではなく、胸のあたりまで伸びたクリスターの髪だった。どういうことよ! もしかしてブラクリーも! と目をやると、やはり胸のあたりまで髪が伸びていた。
急にどう言うこと? 魔力がこんなに上がるなんて?
「これがこいつの実力だよ」
あっ、食らったのか。わたしの負の感情を食らってこの三人は魔力を上げたのか。
でも今まではこんなに上がらなかったのにどうして?
「それだけ迷って悩んだんだろ」
心を読んだクリスターがニヤリと唇の端をあげた。
「スターセント、これでも解約を望むか?」
え? 解約を求めたのはクリスター自身なのになに言ってんの? ってもしかして、これって、わたしを不安にさせてスターセントにわたしの価値を示そうとしたってこと。
「正解」
また勝手に読んだクリスターに答えられムッとして睨んでみせるが、素知らぬ顔でスターセントを見ている。
「ここまでとは……卯乃香」
「なによ」
初めてスターセントに名前を呼ばれて奴に顔を向けるも、こっちは機嫌損ねてるんだからね。騙されて散々悩まされてお芝居だったなんて。返事の声も不機嫌にもなるわ。
「芝居だが嘘はないぞ」
頭の上からまた心を読んだクリスターが答える。
「歪みがあるのも正すのに時間がかかるのも、俺らが馬車馬になるのも本当のことだ」
「芝居って何だ?」
話しについて来てないブラクリーが怪訝な顔でクリスターを見た。
どうやら、ブラクリーはこの芝居のことは知らなかったみたいだ。
まあ、ブラクリーには芝居は無理そだから仕方ないかもしれない。ブラクリーが本気で怒ったから真実みも出たし、わたしも芝居だなんて思わなかったし、あれが茶番のように怒っていたら信じなかっただろうから。
「お前に芝居はできないだろ、と、こいつが言ってるぞ」
「クリスター! 違うからね。本気で怒ってくれて嬉しかったんだからね」
モヤモヤしていただろうブラクリーも 『嬉しかった』 の一言で、まんざらでもないとニヤついている。
「で、おれの話だが、」
スターセントを置き去りに三人で話していたが、痺れを切らして彼はそう言った。
クリスターは澄まして、ブラクリーはムッとした顔で、そして、わたしは姿勢を正すと、三人三様でスターセントに顔を向ける。
スターセントは一つ息を吐くと、
「解約は、お前に任せる。この先、幾度か時間が経つと、心変わりもあるかもしれない。だが、それまでは俺たちに力を貸して欲しい」
「もちろん力を貸すのはいいけど、何をすればいいの?」
「何も。ただ、負の感情を食らわせてくれれば、俺たちの魔力になり、歪みを正すために使える。呼び出しも禁止だ。会いに行くのは俺たちからだけ。そいつが時間を作って会いに行くだろうけど、そうあると思うなよ。俺は甘くないから配慮はしてやらん。それでいいんだったよな、クリスター」
「ああ」
「俺も会いに行くぞ」
ブラクリーも忘れられては困ると言わんばかりに前のめりでそう言った。
大丈夫。わたしは待てる。この同じ時間にクリスターが存在して繋がっていると思うだけで勇気が出る。力強く生きていける。
「さっさと片付けて会いに行ってやるよ」
ずっと肩を抱き寄せながら心を読んでいるクリスターを見上げると、
「待ってるよ」
と、微笑んで見せた。
しんみりとした空気に包まれた中、似つかわない明るい声で、スターセントは、手をパンと叩いて話し出す。
「さあ。そうと決まれば、さっさと門潜って、この門を閉めるぞ」
その声を口火に、一時のお別れの言葉を口にした。
「じゃあね。クリスター、ブラクリー。またね」
「お前も、元気にやれや」
「そうする」
「卯乃香……」
「ブラクリー、そんなしょげない。どうして、あんたがそんななの、全く。二人とも、喧嘩ばっかりするんじゃないわよ」
「どうだか」
「保証しかねる」
「もう」
どうせあんた達は、これからもずっと、そうやってじゃれて過ごすんだろうな。
呆れて肩を竦めていると、スターセントの急かす声が飛ぶ。
「さっさとしろ。限界だぞ」
「うっ、うん」
「行くぞ」
「わかってんだよ! クソ野郎が!」
急かされてブラクリが吼えた。
「一緒に潜るか?」
隣に並んだクリスターからそう尋ねられ、顔がほころんだ。沈んだ顔が、少し和らいだのが自分でもわかった。
「うん。共同作業だね」
「ああ」
門の前に立ち二人と手を繋ぐと、じんわりと心が震えてきて、身体全体に痺れが走る。
一歩、一歩と、歩いて進む中、暖かい何かが身体を駆け巡り、胸が詰まってきてしまった。
暫く会えないのかと思うと、この手を放したくなくなってしまい、やっぱり、手なんて繋がなければ良かったと後悔した。
ほどけないように強く握りしめた手を、二人もギュッと握りかえしてくれて、また、甘えが出てしまう。
“離れたくない” そう思った時、クリスターの握る手が緩んだ。
心を読んでなのか、偶然なのかわからないが、彼は、手を放していく。
続いて、ブラクリーの手も離れた。
振り返ったわたしを、二人は門を潜って直ぐの所で見送っていた。
その後ろからスターセントが澄まして立っている。
ここからは一人で行かなくてはならない。フッと一息つくと顔を上げ彼らには一番いい顔を覚えていて欲しいから満面の笑みで 『またね』 と言って前を向いた。
彼らに背を向け、泣きそうになるのを堪えながら、一人、光を目指して歩き出した。
わたし頑張るから。帰ったら地球のこと、人間界のこと、もっと大切にして、あんた達の負担が少しでも軽くなるように勉強するから。
そして、今度会う時には、もっといい女になってるからね。
じゃあ、また会える日まで、バイバイ。
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