それは全てが嘘だった

第11話

結局、地下への入り口がどこなのかわからないまま、二階へと上がり部屋を開けまくって、スターセントへとたどり着くなにかがないかと探しまくった。


そこで一つ、すごく気になる物を発見した。


「どうした?」


立ち止まって、キャビネットの上に立てかけられた肖像画を見ていると、クリスターが声をかけてきた。


「これ、誰?」


「ああ、俺」


「これが、かっ、可愛い」


人間で言ったら五歳ぐらいの可愛い男の子が二人、ぶすっとした表情で立っていて、その後ろには、二人の肩にポンと手を置き、嬉しそうにしている七歳ぐらいの男の子が立っている肖像画だ。


どうやら、右側の銀髪がクリスターで、その隣は、きっとブラクリー。なぜなら、同じ顔した黒髪さんだからだ。じゃあ、その後ろにいるのは誰だろう? 二人より長い髪をして、左側が白で右側が黒になっているのだが、これはもしかして、スターセントでは?


「こんな、ぶすっとした顔のどこが可愛いんだか? あの人に、こんな姿にされてジッとしてろって言われてよ。しかも、笑えって言うんだぜ。全く、面倒くせえこと嫌いだって~のによ」


この時のことを思い出したのか、クリスターは怪訝そうな顔でそう語る。元々、魔獣には時間がないのだから、子供時代というものはないはずなのだ。だから、ルキフェルは、あえてこの姿に変えて楽しんだに違いない。きっと、ただの気まぐれか暇つぶし、そんなところだろう。


しかし、この状況を楽しんでいそうな、この人。


「ねえ、この後ろにいるのが、スターセント?」


「そうだが」


「彼だけ大きいのね。それに、なんだか優しそう」


「げっ! お前、なに言ってんだ!」


その態度は、本当に、酷く怪訝そうに言った。


本棚でなにかを探していたブラクリーも、わたしの言葉を聞くなり、手にしていた本をボトンと落として固まった。


「なっ、なに? わたし、マズいこと言った?」


「言った」


「彼、優しくないの?」


「ない!!」

「ない!!」


その答えは力強く、そして、稀に見せる息ピッタリの発言だった。


「……そう、なんだ」


この二人が、こんなに動揺するというのだから、彼は、いい奴などではないのかもしれない。


それなのに、わたし達は、今からそいつを見つけ出して、こともあろうか、封印を解こうとしてるのかと思うと、本当に、解いていいのだろうかと不安になった。


「なんだ、心配なのか?」


「だって、あんた達が脅かすから」


「お前は大丈夫だろ、たぶん。被害を被るのは俺とブラクリー、それから、ルキフェル様だけだと思う」


「ルキフェルにも! あんた、どんだけ恐ろしい奴なのよ! そんなこと聞いて大丈夫だって思えないわよ!」


「まあ、気にすんな」


「……どの口が」


ホントに大丈夫なのかな? めちゃくちゃ恐ろしくなってきたんだけど。封印を解いたところで襲いかかられたり、それとか、わたし達に力など貸してくれないとか、反対に封印されちゃったりとか、そんなことにならないでしょうね。もしそうなら他の方法とかでもいいんだけど……ってそんな方法があったら、初めからこんな危険を冒してまで、スターセントの封印なんか解かないわよね。……はぁ~。手がかり見つけないと、と思うのだが身体がついていかない。探したくない心境がどんどん膨らんで、どうでもいい場所を探してしまってる。


だがそれは、とても重要な物だったことに手にした時に気がついた。


それは、三人が描かれた、さっきの肖像画だった。


額縁の手触りに違和感を覚え、そこを探ると、小さな鍵が張りついていた。


「二人共、ちょっと来て」


手招きしながら二人を呼び、その額縁の裏を見せると、二人は小さく 『あっ』 と声を漏らし、その鍵を面白くなさそうな顔でクリスターが引き千切る。


「行くぞ」


クリスターは、どこの鍵だかわかったのだろう。同じように理解したブラクリーも、クリスターを追って扉へと向かって行く。


「ちょっと、待ってよ」


慌てて追いかけながらそう言うと、クリスターは独り言のように語り出した。


「なんで気付かなかったんだ俺。お前が、あそこにいたってことは、あそこのどこかに、扉はあるってことだ」


「どういうこと?」


「お前、あそこに出て来る前、地下にいたんだよな」


「そうだけど」


質問に質問で返され、焦れったい思いをしているのがわかったのか、ブラクリーが口を挟み、交互に説明しだした二人。


「卯乃香が通ってきた扉は、元々、最初に行った場所にあった扉なんだ。だが、その扉には、ある仕掛けがあって」


「それがこの鍵ってことだ。これは、あの扉を自在に動かし、なおかつ、好きな場所に繋げられる優れものだ」


「だが、その鍵はルキフェル様が所持していて、あの人以外、誰も使うことを許されていない」


「この鍵が、俺らの部屋にあったってことは」


「あの部屋、二人の部屋なの!」


クリスターの話しの内容に、鍵とはまったく関係ないことが気になり、声を上げてしまったが、さらりと、ブラクリーが訂正をしてくる。


「いや、正確には、スターセントと、クリスターと、俺、三人の部屋だ」


「お前、途中で腰折んなよ」


呆れたクリスターが、そう吐き捨てる。


「ああ、ごめんなさい。でっ、続きは?」


「それがヒントだってことだよ。この鍵を使ったという。そして、使えという」


「それで、今からロビーに行くってことね」


「そういうことだ」


二人の後について二階の踊り場まで来ると、本来の扉とは別に、普通ではありえない高さに、もう一つ扉がついている。それは、二階の踊り場から見てちょうど正面だ。


正面玄関から入ってきた二人には、見つけることが困難だっただろう。


でも、どうやって、あんな場所にある扉を潜ろうというのだろうか? どこへでも繋がる扉だといっても、そこに、たどり着かなければ開くことはできないのだ。


踊り場で立ち尽くしていると、二人は迷うことなく変化を解き、あっというまに、わたしを咥えたクリスターは宙に浮く。


あっ、その手があったか!


人間のわたしにはできない芸当が、彼ら魔獣には難なくこなせるのだ。なぜなら、彼らは空を飛ぶことができるのだから。


そのまま扉の前までやってきてクリスターから鍵を受け取ると、大きく深呼吸をする。


「卯乃香、さっき見たスターセントの姿を思い浮かべるんだ。そして、中央にある鍵穴に、その鍵を挿して回せ」


「わかった」


ブラクリーに言われたとおり、祈るようなポーズでスターセントを強く想像する。


小さいながらも妙に落ち着いていて、笑みだけ見れば極上の表情を浮かべた彼は、どんな奴なんだろう? まだ、今の彼に会ったことがないながらも、あの小さな彼を青年までに成長させた姿を勝手に作り上げていた。


魔力の大きさは、彼が一番大きいとクリスターがぼやいていたっけ。なら、髪は長いのだろうか? 顔立ちは、二人とはあまり似ていなかったが、兄弟だといわれれば、それなりに似ている。想像はどんどん膨れ上がり、脳裏に鮮明なスターセントの姿が浮かび上がってきた。


今だ!


鍵穴に鍵を差し込みカチャリと回すと、鍵は扉へと吸い込まれる。そして、扉は青く光を放ちながら、わたし達を吸い込んでいく。普通ではありえない出来事だ。驚き、恐怖を感じても可笑しくないだろう。だが、誰も抵抗などせず、されるがままにその扉へと吸い込まれた。


出てきた所は、むき出しの岩肌の洞窟だろうか? 正面に見えるのは、細くしなやかに落ちる滝だ。その下には、小さな滝壺があるが、その先に流れる川などは見あたらない。きっと、地下へと水は流れているのだろう。小さな溜め池のような滝壺の中央には、丸い円柱の台が設置され、その上には、金色の金属でできた箱が置かれている。あの中に、スターセントが閉じ込められているのだろうか? きっと、そうに違いない。そう確信して滝壺に近づくと、不気味な鳴き声が聞こえてきた。


「ゴゴゴ―――――――――――!」


「……なに?」


辺りを見回し様子を窺っていると、両脇で二人が緊迫感ない口調で話し出す。


「嫌な予感がする」


「はめられたんじゃねぇ? 俺たち」


「ああ。きっとそうだ」


「最悪だね~」


「なに、暢気なこと言ってんのよ! なにが、どうしたっていうの!」


「この声は、ドラゴンだ」


「ドラゴンですって!」


今回、最強の恐怖に見舞われ引き返そうと後ろを振り向いたのだが、先ほど入ってきたはずの場所に扉が見あたらない。辺りを見渡すが、扉らしきものは全くなく、抜け出せそうな所も見つからない。完全に閉じ込められたようだ。そこそこの広さのある空間にゴツゴツとした岩が転がっており、その後ろの方から声は聞こえてきた。


「宝を護る、番人のつもりか?」


「胸くそ悪りいな。俺らと殺ろうって~んだから、可愛がってやろうじゃねえか」


「あんた達、わかってんの! 相手はドラゴンなのよ! わたし達が太刀打ちできる相手じゃないでしょ!」


ホント、こいつらわかってないわ! ドラゴンが、どんな恐ろしい奴なのか! こんなジメジメした場所にいるドラゴンなら、相手は毒を持ってる可能性が高い。ドラゴンは火を吐くイメージだが、毒を吐くものもいる。初めは、そちらのドラゴンの方が人間を脅かしていた存在だったが、時代と共に、猛火を吐くドラゴンが力をつけてきたという。だが、基本的には、ドラゴンは水辺を好むので、ハッキリと、どちらだとは判断しかねるが。


ドラゴンは唸り声を上げながら、地響きを立て歩みをこちらへと運んでいるのが全身に伝わってくる。


「お前、隠れてろ」


その声と同時に、クリスターは、尻尾で払うかのように、わたしの身体をはね飛ばした。


「きゃぁ!」


宙に浮きながら岩の陰に飛ばされ、強かにも岩に背中を打ちつけてしまった。


「うっ! ゲボッ、ゲホ、ゲホ!」


あっ、の野郎! こんな強引なやり方しなくても、もっとマシな! あっ……


そんな強引なやり方をしなくては、ヤバかったことに今、気付いた。


さっきまで立っていた場所に、今は、灰色のゴツゴツとした、岩のようなドラゴンが立っているのだ。


あのまま、あの場所にいたら、確実にぺちゃんこに踏み潰されていただろう。


これは、感謝しなくてはならないのだろうが、酷く背中が痛いので、素直にお礼を言える気分じゃない。


全く、もうちょっと丁寧に庇ってよね。これでも一様、レディーなんだから。


片眉を上げつつも、必死だっただろうことは伝わったので、呆れてため息をつくだけに止めた。


奴の身体は硬い鱗で覆われ、力強そうな太い尻尾に、鋭いかぎ爪を持っている。全体のフォルムはトカゲかカメレオンといった感じだ。想像と違うところは、大きな翼は持ってはなく、枝のようなものがニョキニョキと背中から生えているだけ。


あれでは空は飛べないだろう。


岩陰からそっと覗くと、三者は睨み合い、威嚇の体勢を崩さないままに時が停止している。


沈黙を破ったのはドラゴンだった。 『ゴゴゴ―――――――!』 という雄叫びを合図に、三者は飛び出した。


クリスターは右から、ブラクリーは左からと回り込みながら空中を駆けていく。


ドラゴンは、それを悟ったのかのように際で上空へと飛び上がる。


すると、目標物を失い、そのままぶつかりそうになった二人は、とっさにそれを躱し、ギリギリの所ですれ違った。


飛べないながらも、奴は素早く賢いのだと感じられる。さっき退治したゴーレムとでは、比べものにならないだろう。


移動したドラゴン目がけて、クリスターとブラクリーは、もう一度、体当たりを試みるが、又しても寸前で交わされる。あの二人も、決して遅いわけではない。ドラゴンの方が素早いのだ。


しかし、ドラゴンは避けただけでは止まらなかった。飛び上がった後、身体を回転させ、尻尾を鞭のようにしならせ攻撃を仕掛けてきたのだ。


それはさすがに避けきれず、二人は勢いよくぶっ飛ばされて、岩を砕きながら壁に激突した。


驚き、叫びそうになったのをなんとか堪え、でも、心の中では、飛び出して二人を助けたい衝動に駆られるのだが、そんなことをしても邪魔になるだけだとわかっているから、結局、ここに隠れていることしか出来ない自分が情けなくなる。


ズルズルと立ち上がり、体勢を立て直す二人。


攻撃を受けたが、まだ、体力も魔力も十分残っているはずだ。それに、こちらは空中を自在に使えるのだ。重力に逆らうことのできないドラゴンは、必ず、飛び上がったとしても、地に戻ってくる。その時が、狙い目だろう。ドラゴンの弱点は、お腹だ。お腹をむき出しに、無防備状態になる唯一の状態なのだ。


でも、あいつらは、このことに、気付いてるだろうか? 戦いを見ている感じじゃ、気付いてなさそうな気がする。さっきから攻撃を仕掛けてはいるが、硬そうな背中ばかりを蹴っている。あれじゃあ、自分の足が痛いだけではないだろうか?


二人とも気付いて! わたしの心を読み取って!


祈るように二人に呼びかけた。何度も何度も。


何度目かの呼びかけで、ようやく気付いたのか、クリスターが、ふっとこちらに顔を向けた。


あっ! クリスター! ドラゴンの弱点はお腹よ!


心の中でそう叫んだ。ジェスチャー付きで。声に出すと自分の存在を示すことになり、自分の居場所がバレてしまう。だから、どうしても声に出すことは避けなければならないのだ。


どうか、わかって!


クリスターは、うん、というように顔を縦に振り頷いた。


ブラクリーも気付いてくれたようだ。


わかってくれたんだ。思いが通じたことでホッと一息つく。


でも、わたしは、まだ戦いたい。二人の力になりたいの。だから、だから、わたしの心を使って! 二人とも心を食らったら魔力が上がるでしょ。それに、多少なりとも、わたしの頭も役に立つと思うし。だから、心を食らって!


なにか役に立ちたい。わたしにできることなんて、こんなことぐらいしか思いつかない。


どうにかして、この想いを伝えなくては。どうすればいい? 触れていないと読めないのよね。でも、今、彼らに触れることはできない。どうやって伝えれば……そうだ、ピアス! これ、彼らなんだよね。実態は人間界だけど、わたしが本体と繋がっているのなら、彼らも、本体と繋がっているはず。そして、ここにぶら下がっているピアスとも繋がっているはず。


それぞれのピアスの石に触れて気持ちを込めた。


お願い、伝わって! わたしの心を、食らって!


伝わったのだろうか? 沈黙が、しばらく続いている。やっぱり、ダメだったのか? 実態からじゃないと伝わらないのか、それとも、わたしのこと無視しているのか。結局、わたしごときが、彼らの助けになんてならないのかもしれない。そう、負の感情が込み上げだした直後、クリスターが答えた。


「悪りいな。心、食らわしてもらうわ。だが、心は覗かねえ。そうだな、ブラクリー」


「仕方ないな。ホントは、心も食らいたくないんだが、そうも言ってもいられん。すまないな、卯乃香」


こちらを見ることなくブラクリーは謝った。居場所が特定するのを避けたのだろう。


でも、なぜ謝るのか見当もつかないのだ。やはりブラクリーは、わたしの心を食らうことを良く思っていないらしい。


そりゃ、勝手に自分の心が操作されてるかもと思うといい気分じゃないけど、魔力を上げるためなら仕方ないかなって思えるし、それに、今は、二人の役に立つなら、なんでもしてあげたい気分なのだ。あんなに恐縮されると、返ってこっちが申し訳ない気持ちになるじゃない。


だが、ブラクリーが謝ったのには理由があったのだ。二人が魔力を上げるため、大量の負の心を食らうと、わたしの中にある負の感情は薄れる。そうすれば、危険だとか、怖いとか、そういった感情が薄れ、危機感知能力が乏しくなるということなのだ。


それは即ち、この状況下では死にも繋がることになる。判断ミスを引き起こす可能性が十分にあるということだったのだ。


そのことにも、わたしは全く気付かなかった。なんせ面白いように勇気が沸いてくるのだから。きっと今、彼らは心を食らっているのだ。今までは気付かない程度に食らっていたが、今は、比べものにならないくらい、大量の心を食らっているのだろう。だが、全く不愉快に思うことはなかった。なんなら、もっとくれてやるとも思えるくらいなのだ。


二人は、次第にスピードを上げドラゴンの体勢を崩そうとしている。なんとかして腹の下に潜り込むチャンスを窺っているのだ。あの二人も普段は呆れるくらいバカだが、賢いのだ。戦いに関しては、だが。


魔力が上がっていくにつれ、相手への攻撃も激しくなり緩まることはない。


ふと、その時、気付いたことがあった。彼らは、わたしのいるこの場所から、ドラゴンを遠ざけるように攻撃を繰り出し、後退させているようなのだ。ドラゴンは反対の壁へと追い詰められつつあった。


あの二人がドラゴンと対峙している間に、わたしにも、なにかできるんじゃないかと、かなり前向きな思考が浮かび上がる。


その時、後ろから水音がするのに気付くと閃いてしまった。


ドラゴンの目を盗み、あの中央にある台からスターセントを呼び起こせないかと、そう思ったのだ。もし二人が苦戦してしまっても、スターセントが目覚めて、この事態に力を貸してくれるんじゃないかと思い、そろり、そろりと水辺へと近づく。


きっと、彼らは殺ってくれるだろうが、万が一ということもある。なんせ相手はドラゴンだ。体つきでいっても完全に負けている。少々、スターセントの人柄に不安はあるが、二人に対しての愛情は、あの肖像画からも表れていたし、二人を助けるぐらいはしてくれるんじゃないだろうか。と願いたい。


本来のわたしなら、迷って踏み出せなかったかもしれないのだが、今は、なんといっても勇気の固まりだ。怖いものなんてなにもない。そんな心境なのだ。


靴を脱ぎ捨て裸足になると、できるだけ水音を立てないように、そろりと足を踏み入れた。水の深さは、膝が隠れる程度の浅いものだ。これなら溺れる心配もない。後ろを見つめながら後退りするように進むと、手探りで台を探す。


ドラゴンは、こちらの動きに気付いていない。クリスターもブラクリーも、こちらに注意を払うことなく、今や、もう、ドラゴンを倒すことに専念しているようだ。壁に追い詰められたドラゴンは、一瞬、怯む動作をして固まったが、クリスターとブラクリーが飛びかかったのを見計らい、壁へとよじ登った。


えっ、なにあれ!


まるでヤモリのように壁を這って天井へと到達すると、そのまま、天井を沿って、わたしが立つ水辺の上へと到達した、その瞬間、天井から剥がれ落ちるように落下してきた。


「うそ!」


見つかっていたのだ。あのドラゴン、完全にシカトした振りをしていたのに、きっと、気付いていたのだ。二人の思惑に、はまったように見せかけ油断させて、宝から二人を遠ざけた。わたしが思わぬ動きをしたものだから、慌ててこちらへ来たのだろうが、その速度は素早く、気付いてから逃げるまでの時間はそう残されていなかった。


箱を掴み取り逃げようと足を運ぶが、なんせ水の中だ。思うように足は動いてくれない。慌てすぎて足を滑らせ、不覚にも箱を水の中に落としてしまった。


ヤバい! 拾わなきゃ!


そう思って立ち止まった瞬間、ドラゴンの尻尾が音を立って延びてきて、強烈な衝撃と共に壁へと吹っ飛ばされた。


「ぐわっ!」


目眩が起きそうな衝撃に気が遠くなる。このまま壁に激突すれば、タダじゃ済まないだろうことは理解できるのだが、どうにも回避する力は持っていない。どうにか衝撃を和らげるにはどうしたらいいかと、この一瞬の間に頭を働かし考えたが、思い浮かぶものはそうそうなく、結局、頭だけでも庇わなくては、と思い、腕で後頭部を抱え込み、衝撃に備えて準備をした時だった。背中から、なにかが包み込みギュッと締めつける。その直後、壁にぶつかる衝撃を感じるが、その包まれたものが衝撃を和らげ、これ以上怪我をすることはなかった。


「ぐっ」


痛さを堪えた声を漏らしたのは、予想通り、クリスターだった。


「クリスター!」


「大丈夫か?」


「それはこっちのセリフよ!」


「これくらい、なんともねえよ」


目も遭わさず、苦笑いといった表情を浮かべたクリスター。


「なんもしなくていい。お前は隠れていればいいんだ」


口調は少し怒っているように聞こえた。余計なことをしてしまったと、この時、やっと気が付いた。


ブラクリーは、こうなることを予測していたのかもしれない。だから、渋ってた。だから謝った。気を確り持て、と言いたかったのかもしれない。ブラクリーの思いなど、全く受け止めてなかったせいで、また、クリスターを傷つけてしまった。また、わたしは、邪魔をしてしまった。しかも、宝を庇うようにドラゴンは立ち塞がり、今までよりも用心深くなってしまった。


最悪だ。わたしのせいで、スターセントの救出は困難になってしまった。


「悪りい。やっぱ、食らうんじゃなかった」


「違う! 悪いのはわたし! なんの力もないのに出しゃばって、最低だよ」


「お前、ホント最高だな」


苦笑じみた顔で、少々呆れたようにクリスターは言う。


なにが最高なものか! 彼は間違ってる。わたしは最低なのだ。


「いや、違うぞ」


あっ! 心、読んだのね! でも、今はいい。なにが違うのか、きっちりと訊きたいから。


「お前は、食らっても食らっても、負の感情が湧き上がる。俺らにとって、最高の女だ」


それってやっぱり、餌だってこと?


「なんだ、やっぱりって?」


結局、そうなんだよ。わたしなんて、あんたらからすれば、ただの餌で、自分達の魔力が戻るためなら、仕える振りだってやってのけちゃうんだ。


「んなわけねえだろ。バカかお前は」


悲しくなって、もう、まともな考えは浮かばなかった。必要とされてない自分は、いらないんじゃないだろうか?


そう思った瞬間、ドラゴンは、こちらに目がけて毒霧を吹きかけたのだ。


すると、全てのものが色あせていく。灰色の世界にポツリとわたしだけが佇んで、他のものは、認識しない。


遠くでなにかが聞こえていたが、それも、次第に聞こえなくなった。


無音の状態に、なんの関心もなくなった時、声が聞こえてきた。


「僕と行きますか? 卯乃香ちゃん」


そう言ったのは、クリスさんだった。


「どうして?」


ここにいるはずのない者の声だけが頭に響く。


ゆっくりと焦れったいくらいに顔を巡らし探すが、どこにもクリスさんの姿は見あたらなかった。


「僕なら、君を悲しませたりしない」


また、声は響く。甘く優しい声。とても安心できる気がする。この人と一緒にいれば、こんな淋しい思いはしなくて良くなるんだ。


そう思うと、クリスさんと行くのも悪くない気がしてくる。


“はい” そう答えようとした時、誰かの怒り声が聞こえた。


なに? なんて言ってるの?


耳をこらし、よくよく聞いてみると、それはクリスターだった。


「卯乃香! 帰ってこい! お前が必要なんだ! 俺の全てで、お前を護るから! お前だけなんだよ! こんなに放したくない女は!」


これは現実だろうか? また、ありえない内容にありえない呼び方。願望なのかもしれない。


彼に、そう言って欲しい。わたしが求めてるのは、クリスさんの優しさなんかじゃない。クリスターの愛なんだ。認めてはダメなのに、それでも、彼を求めずにはいられなくなってる自分に気付いた。


「帰ります」


素直に、そう滑らせていた。


「そう。残念だよ」


クリスさんの声は、最後には、かき消えるように風に溶けていった。


気が付くと、目の前には立派なたてがみを生やしたクリスターが、庇うように覆い被さっている。


「クリスター……」


「おかえり」


「ただいま」


妙に艶っぽいクリスターを見上げ、頬を赤らめながらもそう答えた。


心の中はスッキリしている。


自分の心に素直になったからなのか、それとも、二人が心を食らったためなのかわからないが、もう、そんなことどっちでも良かった。今、目の前にクリスターがいて、わたしを待っていてくれたことがわかったから、もう、それで十分だ。


相手に、どう思われているかじゃなくて、自分がどう思っているのか。


結局、今までずっと欠けていたのは、そこの部分。自分自身の心、だったということなのだろう。


見つめ合ってる二人を庇うように、ブラクリーはドラゴンと対峙していたのだが、そのことに気付かされたのは、不服そうにした、ブラクリーの機嫌の悪い声が降りかかってからのことだった。


「テメェーら、イチャついてないで手伝え、クソ野郎!」


「なんだ、妬いてるのか?」


「違うわ! バカ野郎が!」


クリスターの飄々とした返しに、ますます機嫌を悪くしたブラクリーにも、立派なたてがみが生えていた。


あれだけの魔力を回復したのなら、きっと、ドラゴンにも勝てる。そんな気がしてきた。


「二人とも、殺っちゃって」


「もちろんだ」


「了解しました。女王様」


澄ましたブラクリーに、茶化すクリスター。だが、その背中は神々しいくらいに大きく偉大に思える。子ライオンが、百獣の王へと成長したかのように、彼らは、もう、ドラゴンにも負けないくらいの迫力で対峙している。


ドラゴンの方は、今までの余裕がなくなり、焦るように、また、毒霧を吐いたが、二人は、それを難なく翼で蹴散らした。


『キューン』 と辛そうな声で一泣きしたドラゴンは、自分の毒霧に覆われ、一瞬、気が飛んだようだったが、すぐに現実に戻ってきた。さすがに、自分の毒にかかるほど間抜けではないだろう。


きっと、あれにかかると、さっきのような幻聴を聞くのだろう。そして、結果、逃げ道を欲し、彷徨い続ける。そんなところか。だが、もうそんなもの、わたしには効かないのだ。なにも恐れるものはない。わたしは、もう決めたのだから。この想いを、大事にする。


二人は、ドラゴンが怯んだ一瞬をつき視界から消えると、上下に分かれて飛び立った。


クリスターが上、ブラクリーが下へ向かう。クリスターは、ブラクリーの準備が整うまで、ドラゴンの顔の周りを旋回しだし挑発する。ハエのように顔の周りを回られたドラゴンは、やはり鬱陶しいのだろう。クリスターを、はたき落とそうと、かぎ爪のついた手を振り回すが、先ほどよりも、さらにスピードを増したクリスターには掠りもしない。


元々、彼はスピードを得意とするのだ。こういった、おとり作戦には持ってこいの人材なのだ。


準備のできたブラクリーが合図を送ると、クリスターは旋回していた距離を縮め、ドラゴンの顔を目がけてダイブした。今回、最速のスピードを出したため、ドラゴンは、瞬きをしているまに、もう、顔面に蹴りを食らっただろう。


衝撃で足下がふらつき後ろに仰け反るドラゴンに、もう一発、食らわせたクリスター。


そうすると、もう、ドラゴンは立っていられなくなり、足を放り上げて後ろに倒れていく。


そこに、空かさずブラクリーが、先ほどまで作っていた、野球ボールくらいの黒いエネルギーボールを前足で握り飛び出すと、ドラゴンのお腹へと、ぶち込んだのだ。


「ぎゃぁ―――――――――――――――――!」


凄まじい雄叫びと共に、ドラゴンの身体は見る見る焼け焦げていく。それは、プラスチックが焼け焦げたように、ドロリと溶けるといった様子に似ている。大きな巨体が次第に小さくなりただれ落ちる中、ある一定の大きさになると、それ以上小さくはならなくなり、ゴロゴロと地面に転がりだし、水の中へとジャボンと飛び込んだ。


そこには、さっき落としたスターセントの入った宝箱があるのだ。


マズい! あいつに、あれを取られるわけにはいかない!


必死に水辺へと駆けより、ドラゴンの燃え損ないよりも早く、それを手にしなくてはいけないという思いで溜め池に飛び込んだ。


奴は火を消すために、そこへ入ったようだが、黒い炎は、そう易々と消えないようで、水の中でも転がり回っている。その空きに、宝箱を拾い上げ、その場をダッシュで後にした。人型になった二人の元に戻った時、二人は呆れた顔で出迎えた。


「無茶しすぎだ」


「全くだ。あの炎は、触れると真実以外を全て燃やし尽くす。触れれば、魂魄であるお前は、完全に消滅していたぞ」


「真実以外、消滅って? そんな恐ろしいこと」


クリスターのセリフに戸惑っていると、水辺の方から甲高い、しがれた声が聞こえてきた。


「お前らそれ返せ! それは儂のものじゃぞ!」


ハッとし振り向くと、先ほどの水辺に肩まで確りと浸かった、しわくちゃな顔の爺さんが立っていた。


そう立っているのだ。


あの、膝までの深さしかない水辺に、肩まで確りと浸かってしまうほどに小さな爺だ。


「なに、あれ?」


「ドラゴンだ」


「はぁ? あれがドラゴン? なに、バカなこと言ってんのよ」


澄ました顔で答えたクリスターを見上げそう言ったが、その表情からは 『また、信じねえのか、お前は』 と言いたげに見下げられた。


「えっ? マジで!」


「マジだ」


今度、答えたのはブラクリー。


「うそでしょ!」


「言っただろ。真実以外を全て燃やし尽くすって」


「だってあれ、ちっさい爺さんじゃん!」


「ドワーフじゃ!」


「さっきのが、あんただっていうの? ありえない。あんたみたいなちんちくりん」


「なに! ちんちくりんじゃと! お前ら、そこへ直れ!」


ちんちくりんが怒鳴って指を指すが、全く迫力もなく、怖さも感じない。なんで、こんな奴がドラゴンだったのかと不思議でしょうがないくらいだ。もう、ドラゴンになる力もなさそうだし、放っといても問題なさそうだ。だがら、三人共、こいつを無視することに決めた。


「ねぇ。スターセントってどうやって解放するの?」


「さあ? 俺は、さっぱり」


「俺もわからんぞ」


「なにそれ! じゃあ、どうやって解放するのよ!」


「俺らが揃えば、出てくると思ったんだがな~」


「ルキフェル様にでも、聞くしかないんじゃないか」


「ヤよ、あんな奴に聞くのは」


「お前ら早よう、それを返せ! それは、ルキフェル様から頂いた大事な宝なんじゃぞ!」


めげずに水辺に浸かったままドワーフは吠えているが、やっぱり無視することを徹底する。


「じゃあ、どうするよ?」


クリスターの問いに、考え抜いた答えは、


「スターセントと契約を結ぶってのはどう? そしたら、あんた達みたいに出てこられんじゃない?」


「契約か……」


「それは止めとけ」


考え込んだブラクリーを余所に、クリスターは怪訝そうな顔でそう言った。


「どうして?」


「お前、あいつに苛められんぞ。それだけは、俺、護れねえから」


「そうなの……」


「いや、その方法でいこう」


「なに! お前、こいつが苛められてもいいってのか!」


「そんなわけねえだろが! テメェーが全て背負うとでも言ってやれば、スターセントは喜んでテメェーを標的にするだろ。それなら、卯乃香が苛められる心配もなく、テメェーが成し遂げたい、卯乃香を護るという約束は守られるわけだ」


「お前!」


「フン! 惚れた奴の負けだな」


「くっ……」


言葉に詰まり言い返せないでいるクリスターに、わたしは頬を染めてクリスターの腕を掴んで言った。


「うん? 惚れたって!?」


それって、クリスターも、わたしのこと好きだってこと? ねえ、心、読んでるんでしょ。答えてよ。


クリスターは、そっぽ向き、頬を赤く染めた顔を、こちらへと向けようとしない。どうやら、答える気はないようだ。でも、その顔から伝わってきた。心が温かくなってくる。嬉しさが込み上げてきた時だ。そんな気持ちを壊すかのように声がかけられた。


「見つかったみたいだね」


さっきまでなかった扉が、突如、水辺の前に現れ、そこからクリスさんが入ってきていた。


「クリスさん! 無事だったんですね」


そう言って駆けよろうとしたのを阻むように、クリスターもブラクリーも、わたしの前に立ちはだかり、クリスさんの顔を見えなくする。


「どうしたの?」


二人の背中に問いかけた。二人が、クリスさんを良く思っていないことは知ってるが、そこまで警戒しなくても大丈夫じゃないかと思うのだ。だが、二人は異様に警戒している。


しかし、そんな緊迫感には似つかない甘く優しい声が、クリスさんの口から放たれる。


「おや、まだ出てなかったんだね?」


「契約しないと解けないようなので」


クリスターは低い声で威嚇するかのように言うと、


「じゃあ、早くすればいい」


答えたクリスさんの声は、さっきとは明らかに口調が変わり、威圧感が漂ってる。それに反論したのはブラクリーだ。


「あなたは! そうやっていつも、俺らに厄介事を押しつける!」


「こいつら、儂の宝を取り上げよったのじゃ! あれは、ルキフェル様にもらった大事な宝じゃというのに!」


そこに割り込んできたのは、さっきのドワーフだ。クリスさんの足にしがみつき、すがるように訴えている。なぜ、彼に助けを求めるのだろうか? あのドワーフ、お門違いも対外にしろよ。


そう、心で野次っていると、冷たい口調でクリスさんはドワーフに切り返した。


「お前、負けたんだろ。諦めろ」


「ルキフェル様!」


「失せろ」


「うわぁ――――――――――――――――ん!」


号泣しながらドワーフは、さっきクリスさんが出てきた扉に駆け込むとバタンと扉が閉まる。そして、下から徐々にかき消えて、また、外部への道を閉ざされてしまった。


だが、そんなことよりも、もっと引っかかる事態に思考は混乱している。


今、あいつなんて言った? あのドワーフ、さっき、なんて言いやがった! クリスさんのことルキフェル様って、ルキフェル様って叫んでた。ってことはこいつ、ルキフェルなのか!


「あんた、まさか、ルキフェルなの? あんたがクリスさんに化けてたの! この間の滝壺の時のクリスさんも、あんたが化けてたのね! クリスさんはどうしたのよ! 無事なんでしょうね!」


「………」

「………」

「………」


しばしの沈黙があった。


なっ、なによ。別に、クリスさんが好きとか、そんなんじゃないからね。そりゃ~、ちょっとはいいかな~とか思ったけど、あんな優しい人なら、とか思っちゃったけど、でも、今は、心に決めた奴がいるから、そんな思いで言ったんじゃなくて、と一人、取り乱していると、ルキフェルがニヤついた顔で言い放った。


「ほ~う。クリスが気になるか」


「なっ、なによ。気になったらいけない? 彼には助けてもらったから、ちゃんと人間界に帰れたかな〜とか思っただけじゃない」


「クックックッ」


「止めてよ! クリスさんの格好で、そんな話し方!」


「それなら、この方がいいかな? 卯乃香ちゃん」


「だから止めてって!!」


クリスさんの格好でからかわれるのはどうしても許せなかったので、かなりの剣幕で吠えると、クリスターが片眉を上げ、怪訝そうに呟いたのだ。


「お前……」


「なっ、なによ……」


その表情にドキリとする。やましい思いなどないのに、それでも、クリスターを傷つけたんじゃないかと思うと心境は落ち着かない。嫉妬の一つでも返ってきたら、どう答えたらいいのだろうか? 本音を言えば、妬いてくれて嬉しいのだが、それを、そのまま言うのは、どうかと思うし、開き直るってのも違うし、かといって “あなただけよ” とか、絶対言えないし。などと悩んでいたのだが、クリスターから放たれた言葉は予想外のものだった。


「クリスは、ルキフェル様だぞ」


「はい?」


「だから、クリスなんて奴は存在しないんだよ」


「はぁ?」


「あれは、ルキフェル様が変化した姿だ。気付いてたんじゃないのか?」


「うそ、でしょ……」


「そういうことだ」


ルキフェルは、してやったりと言った表情でニヤリと笑うと、金髪だった髪とブルーの瞳が、真紅へと変わる。背中には、十二枚の真っ黒な翼が、そして、極めつけには六本の腕が生えてきたのだ。


「うそ、でしょ。あのクリスさんが、全て、あんただったなんて……」


だって、彼は温厚な人なはずだ。魔王であるルキフェルとはかけ離れてる。全く想像できないじゃないか。だが、クリスターが嘘をつくはずがない。そんな嘘をついても、なんのメリットもないのだから。というか、信じてるのだが。


「契約だったな。それではいくぞ」


なんの前触れもなくルキフェルはそう言うと、パチンと指を鳴らした。すると、箱が開きブレスが現れると、もう一度、指を鳴らす。


その瞬間、左腕にズシリと重力がかかったかと思った時には、すでに手首には、太いバングル型のブレスがはめられていたのだ。


銀でできた土台の中央に、丸いクリスタルがはめ込まれている。それは、中央で色が分かれていて、右が黒色で、左がクリアの、クリスタルだ。肖像画のイメージ通りの石だった。


「呼びかけてみろ」


ルキフェルが偉そうに命令するが、呼びかけるって言っても、なんて言えばいいのか? あの二人が恐れる相手なのだ。ある意味、ルキフェルよりも恐ろしい。


チラリとクリスターに顔を向け様子を窺うと、二人して怯んだ様子だ。こちらの視線に気付いたクリスターは、躊躇しながらも小さく頷いた。それを合図に息を呑むと口を開いた。


「出てきて。スターセント」


「………」

「………」

「………」

「………」


「あれ?」


気持ちが足りなかったのかな? スターセントが出てくる気配は全くなく、契約されてなかったんじゃないかと不安になり、クリスターの顔を覗った。


「おい、お前聞いてんだろ! 出てきやがれ!」


ブレスに向かってクリスターが吠えるが、なんの反応もなく、ただ、静かに手首にはまっている。


どういうこと? ブラクリーは、話しかけられて堪らず出てきてしまったという前例を持っているのだが、彼は、そんなことでは動じないということなのだろうか?


痺れを切らしたルキフェルが、わたしの腕をもぎ取り罵声する。


「このルキフェル様が命令する! 出てこい! スターセント!」


それでも出てくる気配はしない。ルキフェルの行動からも、契約は成立しているようだ。でも、


「……ダメ、みたいね」


苦笑気味にそう言うと、ルキフェルは、さらに怒りを増し怒鳴りつける。


「貴様! 俺の命令が聞けないというのか! もう一度、封印してやろうか!」


「ルキフェル様、本当にそれでいいと?」


「くっ……」


ブラクリーの問いかけに、ルキフェルは悔しそうに顔を顰める。


どういうことだろうか? もしかして!


「スターセントを起こしたいのは、ルキフェルなの?」


「そうだよ。この人の気まぐれで、こんな事態になったんだよ」


ため息混じりで答えたのはクリスター。


ことの発端は、ルキフェルが考えなしに、この三人の魔獣を封印してしまったのが問題だったらしい。

元々、一切の面倒ごとをスターセントに押しつけ処理させていたのだが、スターセントとは、真面目と不真面目といった二つの性格が入り交じってる二重人格の持ち主で、素直に仕事をこなす時と、反抗してルキフェルをやり込める時とがあったそうで、とうとうルキフェルの感に障ったらしい。


その序でに 『お前らの顔を見てると思い出す!』 という理由から、二人も封印されたそうだ。


全く、バカな魔王だ! そんな大事な役職の者を封印なんかしたら、先がどうなるかぐらいわかりそうなものなのに。ホント、自分の道楽にしか興味のないトップって、周りの者は苦労するのよね。


呆れながらも、まだ、先の長そうなクリスターの話を聞く。


三人が封印され、人間界の時が百五十年ほど流れてきた間に、魔界には、色々なものが流れついてきていたのだが、いったん魔界に入ると、スターセントの力がないと出られないらしく、今や、魔界に関係のない者までが蔓延る結果になってしまったそうだ。


だが、ルキフェル自身は、そんなこと、どうでもよく、全く気にしなかった。あの人が現れるまでは。


それは、彼に異様なまでの執着心を持ち、相当の嫉妬心を持ち合わせた人、魔王を愛してしまったウンディーネだ。


彼女の存在が、自由人のルキフェルには邪魔だったらしい。本来、彼女は魔界には生息しない。だから、スターセントの封印を解いて追い出したかったのだ。


そこで問題になったのがドワーフだ。


スターセントを閉じ込めたブレスを、適当にドワーフなどに与えてしまったがために、奴は、それを宝とし大層、大事にしたあげく、ドラゴンになどとなって、ブレスを守るハメに至ってしまったのだ。


奴からブレスを取り返すために白羽の矢が立ったのが、クリスターとブラクリー。


ルキフェルなら、ドラゴンからでも容易く取り返せたのだろうが、面倒だったのか、どうせ余興とでも思ったのだろう。なんせ、二人をからかうのが趣味みたいな奴だ。二人とドラゴンを戦わせ楽しむつもりだったに違いない。


しかし、二人はそこまでして封印を解く気はなく、ルキフェルの命令に従わなかったという。


基本、魔獣は契約者にしか従わないらしい。ルキフェルは、契約を交わしてるわけじゃなく、彼らを作り出しただけだ。だから、ある程度のわがままは聞いてやるが、絶対服従ではないらしい。


まぁ、二人のスターセントへの反応を見れば、やるわけないことぐらい、わかりそうなものなのだが。そこは、自己中心的なルキフェルのことだ。考えていなかったのだろう。


そして、次の作戦に使われたのが、わたし。


人間と契約を交わさせ、三人を魔界へと引き込む。


すると、わたしを人間界に帰すためにスターセントの封印を解かなくてはならない。


誤算だったのは、わたしが魂だけでこちらに来てしまったため、本体のない二人は魔力が弱まってしまい、わたしの心をかき乱し、負の心を生み出して魔力を高めようとしていたらしい。


ちなみに、契約解消は魂魄のままでもできたそうだが、わたしの心を食らうという目的があったため、本体でないと解消できないと嘘をついていたらしい。


結局、ルキフェルの思惑通り、やりたくもない余興をやるはめになり、今に至るということだ。


「最悪。結局、あんたの掌の上で踊らされてたってこと」


「楽しかったぞ」


「絶対、許さないんだから!」


「その顔、いい感じだ」


「バカ! ホント、最低!」


ルキフェルは、わたしが怒ると、ますます楽しそうに笑う。ホント、ヤな奴だ。ホントにクリスさんとこいつが同一人物か? やっぱり、今だに信じられないわ。


「怒ってないで、スターセントをどうするか考えるぞ」


クリスターが、呆れながら腕組みを始める。


しかし、考える暇も与えないくらいに速く、ブラクリーが言った。


「そんなこと簡単だろ。テメェーが、なんでも従いますって言えば、絶対、出てくるって言っただろ」


「それは!」


「このままじゃ、卯乃香は帰れねえぜ」


「くっ……」


「ちょっと、また、喧嘩してないで考えてよ」


「いっそのこと、このままでも良くねぇ?」


でた! クリスターの面倒くさい宣言。


「なに言ってんのよ! 帰るわよ、わたし! あんた、ホントに惚れてんの? 全く愛情、感じないんだけど」


「それとこれとは別っていうか、ってなんで俺が、お前に惚れてなきゃなんねえんだよ! お前が俺に惚れてんだろが!」


「なっ、なんでよ!」


「そんなのお見通しだよ~。全く、最近、艶っぽくなったの誰のせいだと思ってんだよ」


「あっ、あんたなんて! んっもう! 今後一切、絶対に心、食らわしてあげないんだから!」


「読むのはいいのか?」


「いいわけないじゃん! そんなこと言ってないで、わたしへの愛を態度で示しなさいよ!」


「俺に、あいつの馬車馬になれって言うのか!」


「そうよ! わたしのために馬車馬になりなさい!」


「クソ! わかったよ! やればいいんだろ、やれば」


「ようやく、俺の馬車馬になる気になったか」


と、聞いたことのない声が聞こえてきた。


「?」


「だが、クリスターが人間の女に惚れるとは。バカな奴だ」


その声が終わると同時に、四人が囲む輪の中に人が現れた。


「!!」


驚きで、目を丸くしたまま固まったわたしの顔を見つけたそいつは、


「なんだ?」


と、怪訝な顔で睨んでくる。


次の瞬間、クリスターにブラクリー、ルキフェルが叫んだ。


「スターセント!」

「スターセント!」

「スターセント!」


やはり、想像通りに、大量の魔力を持っていると伺える、腰まで伸びた黒白の長い髪を垂らし、双方の目が、それぞれ、右側が漆黒、左側が銀色といったように、髪と同じく二つの色を持ち合わせた、少々、二人より背があるか、といった佇まいでそこにいた。


「なにを驚いている。お前らが呼んでおいて。ブラクリー、お前も序でに働け。連帯責任だ」


「なっ!」


「それから、そこの女。無理矢理にでも契約が成立した以上、俺は、お前に従わなければならない。だが、俺はバカ女のいうことなど聞く気はないので、俺に命令したら潰す。わかったな」


「なっ! バカってなによ、バカって! 大体あんたね、いきなり出てきて、命令するなってどういうことよ! あんた魔獣でしょ! 契約者に従うのは任務でしょうが!」


「全く、気の強い女だ。やはり青目はダメだな」


「どういう意味よ!」


「クリスと同じ、いけ好かない」


「あんた、見た目で人を判断なんかしないでくれる!」


「これだから青目は」


ため息と共に吐き出された言葉に、また、食ってかかろうとした時、人型に変化したルキフェルが、というか、クリスさんが、後ろから抱きしめるように口を塞ぐ。


「うぐっ……」


「しかし、こう見えても彼女は、いい女だよ。彼らの魔力を上げてくれるのだから」


耳元で、初めのままの甘くて優しい声で囁かれるとドキッとしてしまう。


しかも、この体制! なんで抱きしめる? クリスターが見てるじゃない! って見てないし! なにしてんのよ、あんたは! あ~逝っちゃってるし~。意気消沈してる場合じゃないでしょ! この自己中詐欺師野郎に犯されてんだよ! わたしは!


赤い顔で口も塞がれ、息苦しさに藻掻いていると、スターセントは呆れたように肩を竦め、クリスさんを見やった。


「魔力を上げたといっても、あの程度じゃね。赤子がハイハイぐらいは、できるようになったってほどだな」


言われると、ごもっとものような気がする。スターセントの髪の長さに比べれば、あの二人は伸びたといっても、せいぜい五センチ程度だ。肩の先だったのが少し下りたぐらいで、見た目そう変わらない。スターセントから見れば、赤子だと言われても仕方ないのかもしれない。


「それより、ルシファーちゃん。そんな格好で誤魔化そうとしても無駄ですから。いい加減、その青目、止めてくれませんかね。今回はどのくらい放っておいたのですか? 厄介事がどれほど堪ったか、見物ですよね」


不敵に笑うスターセントは、やっぱりメンバー最強なのだと思い知らされる。


オーラが怖い。恐怖で、わたしまで背筋がゾクゾクしてきた。


そ~と口から手を放したクリスさんは、引きつった顔で取り繕うように話す。


「ぼちぼち、やってくれたらいいから」


「やりませんよ。やるのはそこの、馬車馬ですから」


「スターセント!」

「スターセント!」


あっ、二人とも、あっちから帰ってきた。しかも、ハモってるし。相当、イヤなんだろうな。


しかし、スターセントはやはり上手で、チラリとこちらに目線を向けた後、彼らに向き直る。


「やらんと、この女は一生このままだ。それで良ければ構わんが」


「ぐっ……」

「ぐっ……」


まったく同じ反応で、顔を顰めたクリスターとブラクリー。


一様、わたしのことは大事に思ってくれているんだと、脅しのネタになるくらいには愛されているのがわかって、ちょっと嬉しかったりする。ごめんね、と心で思いながらも尻を叩く。


「二人とも、頑張りなさい」


「最悪だ~」


「俺の方が最悪だ! テメェーのせいで、とばっちりにあってんだからな!」


「せっせと働け」


人ごとのようにルキフェルは、茶化していたが、容赦ないスターセントの言葉が飛ぶ。


「ルシファーちゃん。あなたもですよ」


「なに! 俺は、絶対に嫌だ! それから、ルシファーちゃんは止めろ」


そう言い、変化を解いたルキフェルは、翼を一度、羽ばたかせると、次の瞬間、パッと、彼方へと消えてしまった。


残ったのは、何枚かの黒い羽根がひらひらと舞う光景。


それを、それぞれ色々な意味でため息をつきながら見上げた魔獣と、唖然としたまま落ちてくる羽根を見つめたわたしとが、全て終わったこの空間に取り残されたのだった。

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