第10話

気がついたら、傍から薪の弾ける音がした。


もだえながら翼から顔を上げると、人型になったブラクリーが、火を熾し焚き火の前に座っていた。俯いて考えに耽っているといった様子だ。


あんなブラクリーも初めて見た。思い詰めたような苦い顔。


「あっ、気がついたか!」


こちらに気付いたブラクリーは、先ほどの表情を消し去り、ホッとしたように息を吐いた。


前足に抱かれたまま微笑むと、返事を返す。


「平気よ。クリスターが庇ってくれたから、ピンピンしてるわ」


「そうか、良かった」


「心配かけちゃったね。ごめんね」


そう付け足すと、ブラクリーの表情が苦しそうに歪んだ。


「……卯乃香に、謝ってもらう資格など俺にはない。俺のせいなんだ。すまない」


「なに言ってんのよ。ブラクリーのせいじゃないわ」


「いや、俺はわかってた。二手に分かれれば、卯乃香達の方が狙われると」


「そんなの、ブラクリーのせいなんかじゃない。実際あの時は、みんながああするのがいいと思ったんだよ」


「違う。俺もクリスターもわかってた。ウンディーネの性格からして、あいつは、卯乃香しか見えてなかった。普段は、俺らに逆らうことはしない。ルキフェル様のオモチャだからな。だが、嫉妬心が出ると、俺らのことなんて眼中に入らないんだ。それでも、クリスターのスピードならいけると思った。お前を乗せてでも、俺は、あいつに勝てないから。でも、忘れてたんだ。あいつがさっき、毛皮を濡らしていたことを」


「あっ……」


それはつまり、魔力が下がっていたということだ。月光浴で魔力の回復をしなくてはならないのだが 『もう大丈夫だ』 と、クリスター自身も言っていたから、全く心配していなかった。でも、きっとまだ、完全ではなかった。


「少し考えればわかったことだ。時間的には、回復していても可笑しくない時間だった。だが、あいつは、乾かす為、毛皮を脱いでいたんだ。それじゃあ身体に魔力は戻らない」


「そうなの!」


「だから、魔力は全く戻っていなかったはずだ。ここに着くまでに、少しは月光を浴びるから、それで回復すると本人は思っていたのかもしれないが、結局は、完全じゃなかったってことだ」


「そんな……」


こんなことになったのも、わたしの責任に感じられて酷く心が軋んだ。


あの時、素直に耳を傾けていたら、こんなことにならなかったかもしれない。


もし、あの時拗ねてなどいなければ、わたしを引き上げるために水に濡れ、魔力を弱めることもなかったし、恥ずかしさのあまり上着をジャブジャブ洗うのも良くなかったのだ。


乾かす時間しか取っていなかったから回復する時間がいると思わなかったから急かしてしまった。


それに、心を読まないためにも魔力も使っていたのだ。回復どころか、消費しかしていなかったのかもしれない。


これらがなかったら、ウンディーネの攻撃を避けきれない事態にはならなかった。


そう思うと、全てが自分のせいに思えてきて、心が苦しくなった。それなのにわたしは、クリスターの前足に抱かれて、ずっと、このままでいたい、なんて暢気なこと思って、勝手に幸せだ、なんて感じて情けない、申し訳ないと思う気持ちでいっぱいになった。


わたしが一緒にいなかったら、ウンディーネは攻撃を仕掛けなかったはずだ。二人だけでここを通れば、問題なく通れたに違いない。どう考えても、わたしが、ここにいるのは邪魔なだけではないかと思ってしまう。


ゆるりと立ち上がり、クリスターの翼から抜け出ると、ブラクリーに背を向けた。


その行動が、ブラクリーには、なにを示すのか理解できないのだろう。非常に困った様子の声が投げかけられた。


「……卯乃香?」


「ごめんなさい」


「卯乃香が謝るのは筋違いだ」


ブラクリーも自身が悪いと思っているのだから、この言葉が出るのだろう。


でも違うよ。ブラクリーは悪くない。わたしと違って、ブラクリーはなんの落度もない。黙っていたのが罪ならば、わたしはどんな卑劣な罪になるのだろうか? 


彼の魔力を害し、行動を非難し、それでもまだ、自分を護って欲しいと願っている。なんてわがままな女王様だ。こんな奴、愛想つかれてしまうに決まっている。


「今までありがとう」


そう言い切ると、木々に隠れるように走り出した。


「卯乃香!」


ブラクリーは、驚いて追いかけようとしたようだが、なにかに阻まれたのか 『なんだこれは!』 と叫び、足止めを食らっていた。その隙に、二人から遠ざかろうと必死に走った。


林の間を縫うように奥へ進むと、いつの間にか、聳え立つ高い塔にぶち当たった。


「なに、これ……」


思わず口についた言葉に、返事を返した者がいた。


「魔界城に通ずる塔だよ」


「ク、クリスさん!」


振り向いたそこに佇むのは、いつもと変わらない、優しく微笑む青い瞳の男だった。


この人は、どっちだろう? 本物のクリスさん? それとも、偽クリスさん? 


変に緊張感が走り、顔が強ばっているのが自分でもわかる。


「卯乃香ちゃん?」


その様子に、困惑するようにクリスさんは、わたしの顔をジッと見つめた。


「なぜここに?」


「やっぱり、卯乃香ちゃん達が気になって、戻ってきたんだよ。きっとここに来るだろうって思って、最終地点は魔界城だからね」


「あなたは……どっち?」


「どっち? ……とは、どういう意味かな?」


「結界を作った……」


「結界? 結界がどうしたのかな?」


「クリスターと対峙してた……」


「え~と、ちょっと僕には話の筋が読めないな? さっき戻ってきたところなんだ。もう少し、噛み砕いてもらえると嬉しいんだけど」


困惑しながら理解に苦しむ、といった表情を浮かべるクリスさんのこの反応を鵜呑みにしたら、きっと本物なのだろう。


でも、まだ不安だ。


「証拠は?」


「えっ!? 証拠、と言われても……そこの木々の向こうにフルムーンがあることぐらいしか……見に行くかい?」


そう尋ねられ小さく頷いた。


二人で木々を掻き分け奥へと進むと、フルムーンは、ひっそりと目立たぬように、垂れ下がる枝や葉っぱに覆われてそこに建っていた。


実際にフルムーンもここにあるし、結界の話をしてもなんの動揺もなく、全くわからない様子だったし。ここにいるクリスさんは本物、ということだろうか。不安だが、どちらかと言えば白に近い。


「なにかあったのかい? 僕を信用出来ない出来事が?」


「ううん。なんでもないです。それより、この塔が魔界城に繋がっているって、ホントですか?」


「ああ、本当だよ」


「もしかして、ここから忍び込めたりするのですか?」


「そうだね。君はピアスをつけているから、難なく通れると思うよ。僕の場合は彼達を持っているだけだったから、開くのに時間がかかったけど」


「つけてるだけでいいの? 二人が一緒じゃなくても」


「そう。つけているだけでいい。君がピアスをつけている、それ即ち、契約を結んでいる、ということだからね」


「そういうことなんだ。知らなかったです。でも、この塔には扉らしきものはないですよ」


「そう、隠されているからね。神経をピアスに集中して念じてみるといい。きっと、扉は現れる」


「こう、ですか?」


クリスさんが言うままに、全神経をピアスに集め、手を胸の前で握り合わせると強く念じた。


《 扉よ、我が前に現れよ 》


それらしく、言葉を唱えてみた。


数秒、心の底から必死に願った結果、正面に青白く光る扉が現れたのだ。


「あっ」


「成功だ」


「ホントに、現れた……」


目の前の光景が、まだ信じられなくて、呆気にとられていると、隣に立つクリスさんは、扉を見据えたままこう言った。


「それじゃあ、行こうか」


「えっ? でも……」


なにを言い出すのかと戸惑った。クリスさんには危険を冒してまで、ここへ入る理由がないのに、なぜこの人は一緒に来たがるのだろうか? わたしといたら、クリスさんにだって迷惑をかけてしまう。ここは、強引にでも断って一人で行くべきなのだ。


「だめだよ。一人で行こうとしても」


「あっ……」


思いを読まれ、言いたかった言葉を呑み込んでしまった隙に、クリスさんは続けた。


「誰にも迷惑をかけたくない。そんなところかい? でも、君一人で行くのは危険だよ。それに、君はブレスの場所を知らないだろ。僕ならわかる。連れて行く価値はあると思うよ」


「価値だなんて、それに、クリスさんには関係ないことです。危険だってわかっていて、連れて行くなんてできません」


「関係ないこともないでしょ。そのピアスを譲ったのは僕だ。僕もブレスが見たい、そのために、君を利用するだけ、問題ないだろ」


と、片眉を上げニヤリと笑うクリスさんを見て、これ以上、なにを言っても聞かないのだろうなと、呆れて肩を竦めながら言ってやった。


「最初の時も思いましたけど、クリスさんって結構、強引ですよね」


「そうかい?」


「自覚ないんですか……」


「結構、紳士的だと思っているのだけどね」


「見かけと話し方については納得しますが、性格というなら、頷けません」


「酷いな~」


「酷いのはクリスさんの方ですよ。わたしに二人を譲ったのに、スターセントには、未練ありありじゃないですか。でも、譲りませんからね」


「見たいって言っただけだよ。手に入れられれば君にあげるよ」


「やだクリスさん、まるで自分の物みたいな言い方して」


「そう?」


と、クリスさんは肩を竦めながら言うと可笑しそうに笑った。


自分の言ったことがツボに入ったのか、嬉しそうにしている。


やっぱり、クリスさんは少し変わっていると思う。


普通の人とは違う、独特な雰囲気を持っていて、なおかつ、気になるというか、惹きつけられるというか、魅力を持った人なのだ。


一人頷いて納得していると、隣で眉を上げながら楽しげに、わたしを眺めていたクリスさんが一歩前へと出て扉のノブを回した。


石と石とが擦り合わさる音を響かせながら扉を引いたクリスさんは、こちらを振り返るとにこやかに言った。


「では、行きましょうか」


お姫様を誘導するかのように優雅に促され、


「はい」


思わず顔がニヤけたのを慌てて気を引き締めると同時に表情も引き締め、薄暗い塔へと一歩踏み入れた。


入ってすぐの場所は、階段と階段の間にある踊り場だった。この塔の本来の目的は見張り台だそうだ。だから、この階段を上ると、さぞ見晴らしのいい景色が見られるのだろうけど、今は、そんな所に行っている余裕はない。残念だが、当たり前のように下へと足を向けた。


スターセントが封印されているのは地下なのだから。


石で出来た階段をコツコツと音を響かせて下りていくと、煉瓦造りの廊下へと出た。


この辺りには、魔物はいないようで怖いくらい静かだった。明かりも灯っておらず暗い空間だ。


「先が見えませんね」


1m先はもう闇で、どこへ向かって行ったらいいのか見当もつかない。やっぱり戻ろうか。そう考えた時だった。


「こっちだよ」


クリスさんは、わたしの手を取ると、勝手知ったように歩き出した。


「クリスさん?」


「ブレスの場所は、わかってるって言ったでしょ」


「どうして、クリスさんが、この中のこと知ってるんですか?」


なぜ、こんなことを聞いたかというと、少し不安になったのだ。やっぱり、このあいだ魔物に騙されたことが頭にあって、目の前にいる者が、本物だと確信するには決定打がないのだ。


「僕は、何度も、この場所を訪れているからね」


「どうしてですか?」


「男のロマンだよ」


「……そう、ですか」


やっぱりわからない。こんなんじゃ全然判断できないよ。


わたしには、本物なのか、偽物なのか、どうやってもわからない、という結論にいたった。


仕方がないので、この人について行くしか方法はなさそうだ。あの二人には、もう無茶をさせられない。魔力を失ったクリスターにも、心を痛めているブラクリーにも、これ以上頼れない。自分でなんとかするしかないのだ。今は、クリスさんを信用するとして、もし、変な動きをしたら、その時は、逃げる。もう、そうするしかないんだから、グダグダ考えるのはよそう。


「卯乃香ちゃん?」


立ち止まって歩こうとしないわたしに、クリスさんは首を傾げて呼びかけた。


「あっ、大丈夫です。行きましょう」


頷いたクリスさんは、前を向いて歩き出す。その後ろを、静かに足音を立てないよう気をつけながらついて行った。


何度も十字路、T字路の分かれ道に差しかかっても、迷うことなくクリスさんは導いてくれている 。もう、どこをどう歩いて来たのか、全くわからなくなっていた。


なんといっても、同じような煉瓦造りの壁に、火の灯っていない燭台が壁から突き出た形で取りつけられている。ここの者だったら、そこに火を灯して廊下を照らすんだろうけど、わたし達は侵入者なのだ。そんなことしたら見つかってしまう。でも、この暗闇にも少しなれ、2mほど先は見えるようになってきた。


そんな時、闇の向こうに赤く光る二つの光が見えた。


「あっ」


「こっちに」


少し慌てたように、クリスさんはわたしの手を引き横道に逸れる。さっきの光から逃げるように道を行くクリスさんに、聞かずにはいられなくて口を開いた。


「さっきのは、なんですか?」


「オーグルだよ」


「オーグル!」


オーグルとは、ヨーロッパに伝わる醜い外見で、人の肉を好物にするモンスター。日本でいう 《鬼》 のようなものだ。そいつに見つかっては一巻の終わりだ。ここにはそんな奴が蔓延っているのか……やっぱり、一人で来なくて良かったわ。


クリスさんってすごいのかも。こんな中を、道を覚えるぐらい何度もやってきて、無事に抜け出せているのだから。あれ? ブレスの場所まで行けて、抜け出すこともできるのに、なぜ、ブレスを手にすることができないのだろうか?


「クリスさん」


「なんだい?」


「どうして、スターセントの場所を知ってるのに連れ出せないの?」


「前にも言ったと思うけど、彼らが協力してくれないからだよ」


「クリスターとブラクリーのこと?」


「そう。彼らの協力がなかったら、ブレスの封印は解けない」


「それじゃあ、わたし達が行ってもダメなんじゃ」


「君は、契約を交わしたって言っただろ」


「あっ」


「だから、君の手で開くはずだよ」


「そうなんですか?」


「たぶん」


「えっ?」


「試したことはない。なんといっても、協力してくれなかったからね。でも、仮説ではそうだ」


「そうですか。わたし頑張ってみます」


「よろしくね。期待しているよ」


気軽に頼まれたけど、本当にわたしで役に立つのだろうか? 不安を抱きながら進んでいると、クリスさんが片腕をわたしの前で伸ばし制止するように促した。


「どうしたんですか?」


「シッ」


クリスさんは、人差し指を自身の口に当て、静かにするよう合図する。


少し先に曲がり角があるのだが、その辺から、何かがいる気配がするのだ。


クリスさんはそっと近づき、懐から何かを取りだすと、曲がり角の向こう側にそれを投げた。


「ギャァ―――――――――――」


何かが叫ぶ声が聞こえた。甲高い、小さめの猿が鳴くような声だった。


「なんですか?」


出来るだけクリスさんに近づき、耳元で小さな声で尋ねた。


「オーグルがそこに居たんだよ」


「!」


一歩後ずさって強ばる顔で尋ねた。


「なに、したんですか?」


「聖水を投げたんだよ」


そう言いながら、クリスさんは懐に手を入れて小さな小瓶を取り出して見せてくれた。


「これで魔物を追い払えるんだよ」


クリスさんは得意げに笑って、上着の内ポケットに小瓶を仕舞うと、


「さあ、行こうか」


と、歩き出した。


角を曲がったところでは、小瓶が割れた破片と地面が聖水で濡れた跡は残っていたが、オーグルがいた痕跡は、逃げて行ったのか、それとも聖水を被り消滅してしまったのかわからなかった。


「オーグルはどうなったんですか? 倒せたんですか?」


「逃げたんだと思うよ。倒せるほどの威力は聖水にはないからね」


「そうなんだ。聖水って万能なのだと思っていましたが、そうでもないんですね。滝壺の水みたいに傷を癒せる物もあるのに」


「それは魔界に存在する滝壺かな?」


「はい」


「この聖水は人間界の物だよ。神社や霊山で湧いてる水には、清めの力が備わっているのもあってね、魔物達は嫌がるんだよ。そして魔界にある水には魔力が備わっているのがあってね、それはそこそこ万能だよ。その滝壺も回復系の魔力が備わってるんだと思うよ」


「そうなんですね。他には魔物を倒す道具とか持ってないのですか?」


「倒す道具は持ってないかな。退けるものならあるよ」


と、クリスさんは言ってわたしの耳を指さした。


「えっ? 耳?」


「違うよ。それ、ピアスだよ」


「ピアスが?」


「正確にはピアスの素材。それは銀で出来てるから、魔物達は鉄や銀、後は聖書なども嫌がるから近づかないかな」


「そうなんですね。じゃあ、魔獣は大丈夫なんですか? 近づいてきますよ」


「彼らは特別だからね」


クリスさんは色々物知りだ。


この地下はオーグルの住処らしく、聖水の数にも限りがあるから、できる限り出会わずにここを通過したい。


だから迷路のように曲がり、遠回りをしているのだそうだ。


それでも、向かう所へは問題なく向かっているようで、何度か階段を下り、地下深くに進入すると、目的地に近づいていることをクリスさんは確信していた。


「もうすぐだよ。ブレスが納められている部屋は」


「結構、下りてきましたね」


「そうだね。ここはもう、城の真下になる。僕達は湖を越えてきたのだよ」


「あの湖をですか! 下からの侵入も可能だったのですね」


「ここは本来、所有者だけの通路だから。大事な物を、自分の懐に仕舞っておくのは人間だけではないのだよ。魔王もまた、大事なオモチャは懐に仕舞う」


「ルキフェルは、スターセントを大事だと思ってるって言うのですか! それならなぜ、封印なんてして閉じ込めてしまうの!」


なんだか、クリスさんの言い方にムッとして、声のトーンがキツくなってしまった。


だって、彼はスターセントのことをオモチャだと言った。


クリスターが自分達のことをオモチャだと認識していることを、わたしは良く思っていない。というか怒ってる。なぜ、自分のことを、そんな風に言ってしまえるのか。もっと、自分達を主張してもいいんじゃないか、と思うし、そう思わせてるルキフェルのことは、もっと気に食わない。それを、クリスさんまでそんな風に二人を見ていたのかと思うと悔しかった。もしかすると、彼達が手伝いたくない理由は、そこにあるんじゃないかとそう思ったのだ。


眉間に皺を寄せていたわたしに 『魔王に会ったら聞いておくよ』 とクリスさんは苦笑しながらそう言った。


「うっ……」


そう言われて、自分の言動がなんて理不尽だったのかを思い知り恐縮してしまった。


クリスさんは、ただ、ルキフェルがそう思っているだろうことを代弁しただけなのだ。それを、わたしったら、クリスさんに向けて怒っても、そりゃぁ困ってしまうだけだろう。


「すみません」


「謝ることないよ。僕が軽はずみなことを言ってしまったのがいけなかったのだよ。気にしていないから、君もそんな顔しないで、ほら、目的地に到着だよ」


柔らかい笑みを浮かべて、クリスさんは一つの扉の前で立ち止まった。


それは、他の扉となんら変わることなく、重そうな石でできていて、ごくごくシンプルな格子状の模様が施された一般的な扉だった。普通じゃないというなら、ドアノブがついていないことぐらいだが、ここでは一般的なのか、今までに見た扉にも、ドアノブらしきものはついていなかった。


そのことからも、ここではなんら可笑しいことではないのかもしれない。


立ち塞がる扉のちょうど、わたしの目線の先に、五百円玉ほどの楕円形の宝石がはめ込まれていて、その色は、今までの扉にもはめ込まれ、様々な色をしていたが、ここの宝石は、透明度の高い青色に光っていた。


透き通るような輝きに思わず引き込まれそうになったのを、クリスさんの声で引き戻される。


「卯乃香ちゃん。また、強く念じてみて」


「あっ、はい」


《 扉よ、我を通したまえ 》


また、それらしい言葉を念じてみる。


数秒後、青い宝石が細い光を放ち、わたしの額を指したかと思うと、その光は次第に大きくなり球体のように、わたしの身体を包み込むと、全身がフワッと浮いて扉へと吸い寄せられる。


「きゃぁ!」


驚いて声を上げたのと同時に、隣に立つクリスさんが、わたしの手を掴もうと手を伸ばした瞬間、バチンと音を立て球体に拒まれた。


それには、クリスさんも驚いた様子で、扉に吸い込まれようとしているわたしに向かって叫んでいた。


「卯乃香ちゃん!」


「クリスさん!」


手を伸ばして掴もうとしたが、やっぱり球体に邪魔されて、見えなくなってしまったクリスさんの手をなんとか掴みたくて、これでもかと強く伸ばしたが、なにも掴むことはできず、結局、ただ一人で扉の中に吸い込まれてしまった。


何度か扉に向かってクリスさんを呼んだが、外のからの声は聞こえなかった。


「やだ、どうしよう……」


心の準備もなしに一人になってしまったことへの不安で、吸い込まれたその場所で、しゃがみ込んでしまった。


扉を背に向け中を確認するが、暗くてハッキリと周りが見えないこともあって、余計に心細さが増してくる。


こんなことなら、大人しくクリスターの魔力が戻るのを待って一緒に来た方が良かったと、泣きそうになりながら二人のことを思い出した。


「クリスター、ブラクリー、やっぱりわたし、一人はイヤ」


声に出しても誰も聞いていないのだが、この暗くて、静まり返った空間に耐えられそうになくて、自分の声で紛らわそうとしているのだが、ただただ、声は闇へと吸い込まれ、余計に一人だと実感させられる。


一人はイヤだ。


なぜなら、孤独で淋しくて、このまま消えてしまうんじゃないかと思うからだ。


誰も自分を必要としていないような感覚になり、この世の、どこにも自分の居場所を見いだせなくて、一人で殻に閉じこもっていたあの頃を思い出すから。


わたしは、そこから抜け出すために一人藻掻いて、新しい人格作って上手くやってたと思ったのに、それでも淋しくて、心が痛くて、それも間違いだって、二人に会ってようやく気付いたのだ。


わたしはずっと、両親からの愛に飢えていた。本当は助けて欲しかった。でも愛されていないと勘違いしていた。ブラクリーが病院の風景を見せてくれる前までは。


あの時、初めてパパもママも、自分を愛してくれていたのだとわかったのだ。


だからこそ、パパとママに、この気持ちを伝えたい。


『ありがとう』 って。


産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。それから、愛してくれてありがとう。


そう伝えるためにも、スターセントを見つけて、人間界に帰らなくてはならないのに、こんな所で閉じ込められて孤独に負けていたらダメなのに。


……でも怖い。


なにもない、音もしない。どのくらいの広さがあるのか、床は、どこまであるのか、そもそも、この空間は実在するものなのか?


全く読めないのだ。不気味な感じだけが肌を刺す。動けば、それだけで迷って出られそうにない気がする。


でも、このままここにいれば、それはそれで出られないのだが。


どうすればいいの? ねえ、クリスター。いつもならペラペラと話しかけてくるのに、こんな時に限って心を読まないし、っていうか、触れてないし、今、魔力なくて倒れてるから無理なんだけど……クリスター、助けて。って、むしが良すぎるか。離れたのはわたしなのに。


結局、なにも起きず、暗闇は続いていた。自分で、どうにかしなくてはならないのだが、いい考えが浮かばないのだ。出てくるのは二人のことばかり。


今頃、どうしてるんだろう? クリスターは、まだ、目覚めてないのかな? わたしの心を食らったら、元気になるのだろうか? 元のように魔力は戻るのだろうか? 不安で仕方がないよ。今、あそこに魔物が襲ってきたら、って、ブラクリーがいるから大丈夫よね……あれ? ブラクリーはさっき、なにに阻まれて、わたしを追いかけられなかったんだろう? もしかして、ルキフェルが、なにか仕掛けてきてたんじゃ! もしそうなら、こんな所でジッとしてられないじゃない! わたしが行かなきゃ、前に進まなきゃ!


そう行き着くと勢いよく立ち上がり、先ほど吸い込まれたであろう扉のある場所へと手を伸ばした。


だが、そこには、なんの手応えもなく伸ばした手は空を切る。


えっ? どうして? どうして扉がないの? やっぱり、ここは可笑しい。


手探りをしながら少し歩いてみるが、なにかに触れることはない。


ここには、なにもないのか?


そう思考が巡った時、足下に床の感触がないことに気付いた。


えっ? うそ!


その恐怖で気が遠くなるのをなんとか堪えると、宙に浮いているのだと確信した。


なんなの、ここ……。床がない……。なんで? 怖い。


これが孤独というものなのか? 世界から自分の存在自体が無になりそうな感覚。


落ちてしまう。


そう考えた次の瞬間には、身体に重みが加わったようにズシリと重力を感じ、真下へと落下し出したのだ。


「きゃぁ! た、助けて!!」


「卯乃香!!」


ありえない声が聞こえた。


それはクリスターの声だ。でも彼は 『卯乃香』 とは言わない。そもそも、名前で呼ばれたことがない。だが、間違えるわけがないのだ。このわたしが、彼の声を聞き間違えるはずがない。


そう、この声は、絶対にクリスターだ。


「クリスター!」


声のした方へと手を伸ばしてクリスターを求めるが、掴もうとした手にはなにも触れない。


そのあい間にも落ち続けていく恐怖に震えながら、必死になにかを掴もうと藻掻いている。


「信じろ! お前は一人じゃねえ! 俺たちがついてる! 俺が、お前を護る!」


その声にハッとした時、耳元のピアスがシャランと鳴った。


「クリスター」


そうだ! わたし達は繋がっている。


この耳に、これがぶら下がっている限り、誰にも解けない契約で結ばれている。


これは “誓い” だ。


わたしと魔獣との心の繋がり。存在価値。交わり、共存。全てがそう、心にある。


そう思った瞬間、ピアスから強烈な光が放射され、辺りは真っ白に照らされる。


そうすれば、さっきまで暗くて見えなかった空間に、急激な光で、これまた目が開けられないくらいに目をやられ慌てて目を瞑る。


光が徐々に収まろうかと落ち着き始めた時、身体が、なにかに包まれた感触に陥った。


「えっ?」


「バカ野郎。勝手に離れやがって。俺らからは離れられねえって、言ったはずだぞ」


「クリスター」


真っ白な身体に大きな翼。尻尾をゆらゆらと揺らし、前足でわたしを抱きしめているクリスターの表情は、ついさっきグッタリしていたとは思えないほどに力強く艶やかだった。


それに、なんだか今までの彼と少し違う。どこが違うのだろうか?


ジッと顔を見上げ観察していると 『なんだ?』 と怪訝そうに、そう言ったクリスター。


「なんか変わった?」


「はぁ?」


「なんか、さっきまでのクリスターよりこう、なんていうか、しっとりとしているというか、艶っぽいというか、どこかこう、エロチックみたいな?」


「なんだそれ? そう言えば、お前の心を食らった時、不安や孤独の他に、ほんわかしたものがあったぞ。そのせいじゃねえか? ちょっと、こそばかったぞ」


しかめっ面をしつつ、それでも 『心を食らったら魔力が戻ったんだ。勝手に食って悪かった。まあ、助かった』 と、一応、お詫びとお礼の言葉を投げかけてきたのだが、その言葉を受け止める余裕はなかった。


“ほんわかしたもの” って、それって桃色の気持ちっ、ああっ! それは言葉にしたらダメ! だって、クリスターは魔獣だし、わたしは人間で、それに、この体制でそんなこと考えたら、心を読まれてって、あっそうだ。もう読まないって約束したんだった。


本当に読んでいないかと窺うように見つめていると、あることに気がついた。


「あっ、わかった!」


「はぁ?」


「顔の周りのそれよ。今までにはなかったんだ」


「……なに?」


クリスターは自分自身の顔など見られるはずもなく、なにがどうなっているのかわからず、不安げに片眉を上げた。


「それ。顔の周りに、たてがみができてるのよ。少しだけど、産毛程度にうっすらと」


「おっ、そうか。良し!」


ニヤリと笑いながら、クリスターは身体の前で拳を作り小さくガッツポーズを取る。すると、必然的に、わたしの身体は重力に負け落下していく。


「きゃぁ!」


「おっと、悪りい」


すぐにクリスターの前足は、わたしを掴み直してくれたので、下まで落下することはなかったが、ひやりとし寿命が縮まったかと思った。


「ちょっと、ちゃんと掴んでてよ! あんた、ここどんな高さしてると思ってるのよ。下が見えないくらい高いのよ!」


そう、ここの空間が、どこなのかわからないが、状況は真っ白の空間に、わたしと、クリスターの、ただ二人だけが存在し、宙に浮いているというか、クリスターの力で空に浮いているのだが、空間の広さも高さも全くわからない、先ほどの暗闇が白く塗り潰された。ただ、それだけのことといった感じだ。


「そんなに高くねえぞ。ほら、すぐ床だ」


クリスターがそう言った瞬間、ふっと下を見ると、タイル張りの床が目に飛び込んできだ。


「えっ?」


人一人分ほど下に、クッキリと床が現れ、すると、続いて白いっぽい壁も現れる。


ここは、ホールだろうか? 円柱型の吹き抜けと言った構造で、床は濃い色のタイルを中心に、段々と外に向かうにつれ薄くなり、何重もの円を描いている。壁には、波打つような正確な線が、天井まで真っ直ぐに伸び上がり浮かび上がっていた。

 二階へと延びる階段は左右から上ることができ、壁に倣うようにして伸びている。

 階段を上りきった正面の壁には、赤を基調としたステンドグラスがはめ込まれていた。


「ここ、どこ?」


「魔界城の正面ロビー。お前、ここで宙に浮いてたんだよ」


「えっ、なんで? だって、わたし地下に向かってたはずなのよ。クリスさんと一緒に、あっそうだ。クリスさんはどこ?」


その時、正面玄関から勢いよく飛び込んで来た人型のブラクリーが、浮かんでいるわたし達を見上げ叫んだ声に、わたしの質問はスルーされた。


「卯乃香! 無事だったか!」


「うるせえよ、お前。遅すぎなんだよ」


「なんだとテメェー! テメェーは勝手に瞬間移動しやがって! 俺一人で、あの雑魚共、振り切るの大変だったんだからな!」


「なんだお前、あれぐらいの雑魚もやれねえのか?」


「テメェーの尻拭いに、手間取ったんじゃねえか!」


「あれぐらい軽くやれよ。お前、そう言うの得意だろ? 寝起き悪い奴宥めるの」


「テメェーが、あいつらの住みかに突っ込んだのが悪いんだろが! 自分の後始末ぐらい、自分でやりやがれ! クソ野郎が!」


「なんだと! お前こそ、雑魚程度に手こずりやがって、このボケナスが!」


わたしを床に下ろし人型になったクリスターは、ブラクリーの前まで歩み寄ると、そのまま口論を始めてしまった。それを遠目で眺めながら、その内容に耳を傾けていると、どうやら、クリスターの不注意で魔物を起こしてしまい、ブラクリーの進行を阻まれてしまったっぽい。


だが、話の内容が段々ヤジに変わってくると、次第にわたしの米神の辺りがヒクヒクし、結局、罵声を飛ばしてしまった。


「あんたら、いい加減にしなさいよ! こんな所で揉めてる場合じゃないでしょ! 全く、あんたらはいつもいつも、どうしてそうなのよ!」


「すみません」


「申~し訳ありませんでした」


「クリスター! 心こもってない! やり直し!」


「そうだ。やり直せ」


「ブラクリーも茶々入れない!」


「……すみません」


「ほら、クリスター」


そう促すと、クリスターは釈然としない顔を浮かべると、


「……俺、悪いか?」


「喧嘩両成敗よ!」


全く、さっきまでの桃色の気持ち返せ! バカ野郎! こんな奴にときめいていたのかと思うと自分が情けなくなる。


初めのうちは、なんだか子供みたいでバカっぽくて、それでも放っとけなくて、目が離せなくて、そう思っていたのだ。今の二人を見ているみたいに。


それが段々男っぽくなって、弱い部分に入り込んできて、それでも、その傷を舐めて癒やしてくれる包容力を見せられて、なんだか頼りになるとか思っちゃって、そしたら、傍にいて欲しくて、どんどん欲深くなって、でも、あいつの魔力を奪ってしまう結果になって、絶望して、それでも奴は戻ってきた。魔力を取り戻し、さらに強くなって。そんな彼に、惹かれずにはいられなかった。


のによ、なんだこれ? やっぱり子供じゃん。こいつ、なにもわかってない! 結局、わたしなんて保護者でしかないんだわ。そう考えると、自分でもわからないくらいモヤモヤとして、どうしたら、これが収まるのか、その方法が見つからなかった。


「すみませんでした」


こちらの腹の虫が良くないのを察したのだう。クリスターは仕方なく、といった様子だったが、先ほどよりは真面目に謝った。


そう謝られても、このモヤモヤは晴れることはない。もう、どうしちゃったんだろ? わたし。


「卯乃香?」


クリスターの謝罪にも反応せず、俯いて遠くに行っているのを怪訝思ったブラクリーが、窺うように声をかけてきて、やっと現実に戻って気を引き締めた。


「大丈夫よ。城にも侵入できたことだし、スターセントを探すわよ」


「ああ」


「任せろ。この城は俺らのテリトリーだからな」


そう言って、クリスターは勝ち誇ったようにニヤリと笑った。


どうやら、二人は、ここに住んでいたそうだ。まあ、ルキフェルを父だと言うのだから、当然と言えば当然かと納得はした。


元々は、ピアスの中にいたのではなく、百五十年ほど前に、ルキフェルによってピアスに封印されたらしい。それを、思い出したかのように半年前に呼び起こされた。しかも、完全に封印を解いたのではなく、ピアスの中に根源の魂魄は残したまま、実体化できるといった解き方だそうだ。


だから、ピアスが本体で、今の身体だけでは、全快の魔力は発揮できないらしい。それが、全快になると産毛ではなく、確りと伸びたライオンのような、たてがみが生えるらしいのだ。


だから、さっき産毛が生えて喜んでいたのだ。


たてがみの長さは魔力の象徴なのだと二人は言う。魔力が強ければ長さも長くなる。比例して、人型の時は髪の長さで判断できるそうだ。


人型をとっている今の二人を比べると、若干、クリスターの方が髪が長くなった気がする。


そう言えば、ブラクリーは、わたしの心を食らっているのだろうか? クリスターの方は何度か食らったと本人も言っているが、ブラクリーとは、そういう話しをしたことがない。


自分では食べられてる感覚はなく、迷った思考も不安な思いも、考えた先に消化している気分だから、食らわれているのか、自分で解決したのかは、そこのところはハッキリしない。


一人でいた時のとてつもない不安も、クリスターの回復した姿を見ればこそ、食らわれたんだろうなと思うけど、わたしからすれば、迎えに来てくれた安堵感の方が大きいのだ。


ブラクリーは食らっていないから、魔力が上がらないんじゃないだろうか? 彼は、とても真面目で優しい奴だ。わたしの心を、勝手に読むことに罪悪感を感じるぐらいに。そんな彼が、勝手に心を食らうということは、わたしの心を覗くよりも、もっと深い部分、弱さを覗くことになる。それを、紳士的な彼は、やってはいけないと思っているのではないだろうか?


もしそうなら、二人の魔力に差がついてしまう。それは、ホントにいいことなのだろうか? 二人が対だから、バランスが取れているんじゃないか? もし、片方が強ければ偏ってしまう。それは、大丈夫なのか? 均衡が崩れれば、大抵のものは壊れる。彼達は、大丈夫なのか?


「ブラクリーも、心食らっていいんだよ」


「えっ?」


「クリスターは勝手に食らってるけど、ブラクリーは気遣ってくれてるから、許可しないと食らわないでしょ」


「何それ。俺だけ悪者〜」


「クリスターは黙ってて」


彼の茶化すような空気をピシャリと制止させ、ブラクリーの顔を見つめると、


「いや、しかしだな」


困ったようにブラクリーはそう言った。


「いいよ。二人と契約は結ばれているのに不公平でしょ」


「まあ、考えとく」


折れないわたしに取りあえず頷いとく、といった感じだ。


そんなやり取りをしながら、スターセントを探すために足を動かしている。


スターセントは地下にいるはずだ。だから、取り合えず地下に向かう階段を見つけることになり、一階のフロアーを隈無く探したのだが、それらしい場所は見つからなかった。


「あんた達、ホントに、ここ詳しいの?」


ここの主ルキフェルのオモチャだと自称していて、この城には封印されるまでずっと暮らしていたと、そう言ったのに、地下へ行く階段一つ探せないでいる二人に、当然怪訝な顔を向けるのは間違っていないと思う。


困った顔で、目的だっただろう場所の壁を見つめているブラクリーが答える。


「可笑しいな? ここにあったはずなのだが?」


「どうせ、あの人がジャマしてんだろ」


「なぜ、ルキフェル様が?」


「俺たちの嫌がることするのが、あの人だろ」


「まあ、そうだな。仕方ないか」


そんなやり取りを聞いていて、なんだか同情もここまでくると呆れてしまうよ、と思った。


なんであんな奴を慕ってんだろ。 “お前らみんな、バカ野郎だよ” と言ってしまいたかったが、そこをなんとか堪えて、


「……あんた達、最悪な奴の私用物なんだね」


と、呆れた口調で言ってやった。


すると、クリスターが怪訝そうな顔で小首を傾げて指摘する。


「なに言ってんだ? 今は、お前の私用物だぞ」


「そうだな」


納得したように、ブラクリーまで頷きながら肯定すると、なんだか自分が、とんでもない者になってしまった気がして焦った。わたしはルキフェルのように支配的じゃないし、あの野郎のようになる気はないのだ。


「なっ、なに言ってんのよ。わたしは、私用物なんて思ってないわよ」


「思ってなくても、契約が成立している限り、俺たちはお前の物だ」


平然と、それが当たり前のことのように言い放つクリスター。


それが無性に腹が立った。


「なんでよ! なんで自分達を物呼ばわりするのよ!」


「なに怒ってんだ? そんなのどうでもいいだろ? 俺らが、お前を主だと認めたんだから」


「イヤなの! そんなのわたしが許さない! あんた達は、道具でもなければ奴隷でもないの。わたしにとっては、二人とも、ちゃんとした人格のある、一人の人として接してるんだから、また、そんなこと言ったら許さないから!」


心を奪われた、わたしの負けなんだろうな。だから、クリスターが、わたしのことを対等に見ていないことへの苛立ちが、このイライラを起こしているんだろう。わかっていても抑えられなかった。


「なんだ、お前、変わってるな」


「だが、嬉しく思うぞ。俺は」


可笑しそうに眉を上げるクリスターと、嬉しそうに微笑んだブラクリーが二人して、ギュッとわたしを抱きしめた。

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