第8話

あれから寒気は収まっていた。


あの寒気は、精神に結界を張ったために起きた副作用みたいなものだろうってブラクリーが言ってた。


ブラクリーがあの結界を破り、わたし達が脱出する間、破ったほころびが広がり結界が壊れるのを防いでいたのだという。


だから、クリスターは強引な態度をとって急いでいたのだと、それを聞きわかった。


クリスターが焦っていたことは感じていた。だから、それが騙していたことがバレたことでだと思っていたが、そうじゃなかったようだ。


それがわかって少しホッとした。


体調も良くなって、さっき水に入ったのが良かったのか傷も消え痛みもない。


ブラクリーも、あの後、こっそり水に入っていたようで、翼の腫れも体力も回復していた。


彼達が、服を脱いで入ろうとするのは、あの服は毛皮と一緒なのだそうで、毛皮を濡らしたくない彼らは、水に入る時は人型になり服を脱ぐ。だが、服を脱げば変化を解けないらしく、元の巨大猫には戻れないのだ。だから、わたしが服を借りている間は、ここからは動くことができないということだ。


さすがに、森を歩いてまた飛ばされるのはごめんだものね。


ちゃんと話を聞くと、不安になっていた心が少しだけ楽になった。


でも、二人は本当に食らっていないのか、前みたいにスッキリした感じはない。


今まで迷いなくこれたのは、やっぱり彼達の力なんじゃないかと思った。


「ねえ」


「なんだ?」


焚き火を背にして空を眺めていたクリスターに声をかけると、面倒くさそうに彼は振り向いた。


「あんた達が心を食べないと、どうなるの?」


「どうもならねえよ」


面倒くさそうに顔を逸らしたクリスター。その態度が、反って不安になってくる。


ホントに大丈夫なの? それで命が危ないなんてことにならないの? 前に言ってたよね。


「飢えるんでしょ」


「死にやしねぇ」


「ホント?」


不安を察知したのだろうか? 呆れた顔をこちらへと向けたクリスターは、


「そんなことで死んじまってたら、今まで生きてねえよ」


と、ため息混じりにそう言った。


そう言えば、ずっと閉じ込められているスターセントは、心を食らってないのか。でも、生きてるんだよね。じゃあ、やっぱりクリスターの言ってることは正しいのか。良かった。っとホッとしたら、小さな疑問が生まれた。


「そう言えば、あんた達、どのくらい生きてるの?」


「さあ? そんなの覚えてねえよ」


「覚えてないって……」


「動かねえ時間、数えてもしゃ~ねえだろ」


「そういうものなの?」


「そういうもんだ」


「おい卯乃香、そろそろ行くぞ」


乾かしていたブレザーを撫でながら、ブラクリーが、そう声をかけてきた。


「乾いたの?」


「ああ」


「じゃあ、着替えてくる」


「気をつけろ」


「そうだぞ~。あまり奥には行くなよ~」


「わかってるわよ」


クリスターの、全然心配してなさそうな様子に、若干、眉を寄せたが、それでも、きっと気にはかけてくれているのだろうと思い直し森へと向かう。


一人歩く中、脳裏に浮かぶのは、先ほど会ったクリスさん。


あのクリスさんは、本物だったのだろうか? でも、少し違う気がする。それなら、あれも夢魔だったのか? でも夢魔を追い払ってくれたのだから、夢魔ではないのかも? あれは夢魔より強い違う魔物がわたしの記憶の中を探り、クリスさんに化けていたのかも? その方がしっくりくる。


だって、クリスさんは人間界に帰ったはずだもの。


元々、人間界の者なんだし、いくらこっちの世界と行き来出来るといっても人間の彼に、精神の中に入って結界を作り出すなんてできっこないんだから。


そうよ。あいつはルキフェルが仕掛けた罠だったんだわ。危うく騙されるところだったわ。


そうとわかれば、さっさと服着替えてこの森からでないと、また、捕まってしまうかもしれない。


そう思い、慌てて服を着替えると、上着を手にし森を出た。


「お前、早かったな?」


先ほど着替えにいた時間とは、明らかにかかった時間が違うことを、クリスターに指摘されたが、それはスルーした。だって、さっきは、恥ずかしかったから、なかなか出てこられなかったなんて、あんな態度見た後に、小っ恥ずかしくて言えやしない。


「行くわよ。あの、極悪非道のルキフェルの所に乗り込み、ギャフンと言わせてやるんだから!」


拳を握りしめて吼えたわたしを、クリスターは、焚き火を消しながらダルそうに零す。


「それは、止めとこうぜ。こっそり入って、こっそり奪う。それがいい。あの人に、かなうわけないから」


「同感だ」


と、同じように頷いたブラクリー。


「あんた達、わたしがコケにされたままでいいって言うの!」


ビシッと二人を指差して睨んだ。すると、呆れたようにクリスターが呟く。


「……二号、復活しやがった」


「そのようだ」


ふ~っと頭を横に振りながら、ため息をついたブラクリー。


まったく、こいつらは!


「さあ、とっととこれ着て、出発よ!」


クリスターに上着を投げつけると、バフッと顔面に食らったクリスターは、怪訝な顔でため息をついた。


「まだ、出発は出来ないよ〜」


「なんで」


「ここの主に礼をしてねえから」


「えっ? 主に礼?」


主って誰よ? と、思っていたらブラクリーが割って入った。


「ニュンペーだ」


「ニュンペーて、なに?」


「大まかに言えば、精霊だな。この滝壺に住む精霊」


と、クリスターが説明してくれた。


「精霊、礼ってなにすればいいの?」


「供物をこの滝壺に入れればいい」


「どこから集めるのよ」


「この森の中からだ。ほら、行くぞ」


クリスターは人型のまま森へと入っていく。それに続いてブラクリーも歩き出した。


わたしもその後を追うように歩き出した。


離されて迷子になどなったら、たまったもんじゃない。


奥まで歩いていくと、薄暗く湿度の高い森なのだ。


額からは汗がにじみ出る。


「クリスター、ブラクリー、どこまで行けばいいの」


「もうすぐだ」


そう言うクリスターは、なんだか宛もなく歩いてる気がするが、本当にどこに向かって歩いているのだろう。進むにつれて気温も上がってきているのか、首の当たりも汗で濡れてきている。


ダメだ。滴り落ちるように汗が吹き出す。


「クリスター、もうダメ。汗が目にも入って痛い。なにか拭くものとかない?」


「頃合いか」


クリスターがそう言うと、自分の上着を脱いで、タオル代わりというように、わたしの顔を拭いた。


「なっ、なにするのよ!」


「これで良し」


「なにが良しよ!」


「これを滝壺で洗う」


「はぁ? なに言ってるの。それ、濡らしたらダメなやつでしょ」


「お前の汗を供物にしたいんだから、仕方ねえだろ」


「はい? なんでわたしの汗なのよ」


「供物は、自分で働いた物を入れないといけねえから、でも今はそんな物ないから、働いて出た汗を入れるんだよ」


「なんで、わたしなのよ。それに、服でいいならわたしの靴下とかじゃダメなの?」


「濡れるの嫌なんだろ?」


「靴下くらいなら、大丈夫よ」


「そうなのか? お前の基準、わかんねえよ」


クリスターは、困惑した表情でわたしの汗でベトベトになった上着を着ようとしたので、慌ててそれを奪い取った。


「なっ、なにすんだよ!」


「ダメ! やっぱりこれは洗う」


「はあ? なんでだよ! 靴下でいいんだろ」


「いいから、これは洗うの!」


こんなベトベトの上着を着ようとするなんて信じられない! すごく、恥ずかしいんだけど。


わたしの汗とクリスターの身体が密着するとかありえないから!


意味がわからんと、クリスターは納得がいかない感じだったけど、わたしの汗の採取も完了し、滝壺まで戻って来た。


えーと、この上着をここで洗えばいいのね。


クリスターには申し訳ないが、ジャブジャブと勢いよく水の中につけて上着を振った。


汚れを落とすかのように、生地と生地を擦り合わせて綺麗に洗うと、なんだかスッキリした気分になる。


「こんなくらいでいいかな?」


額の汗を手で拭い、上着を水から持ち上げると、固く絞り水気を切る。


パタパタと広げて上着を掲げると、すごく綺麗になった気がした。


「どう、いい感じじゃない」


嬉しくなって、振り向くとクリスターに向かって上着を差し出す。


「ああ、喜んでるぞ」


滝壺の方を眺めてそう言った。


「えっ?」


クリスターの目線を追って振り向くと、そこには美しい女性の姿が。


しかも、服を着ていない!


「ダッ、ダメ!」


クリスターの目を隠すように両手で覆うと、


「なっ、なにすんだよ!」


だって、裸じゃない! あんな恥ずかしい姿、見たらダメなんだから!


「なんだよ。意味がわからない」


わたしの心は読んでいないのか、呆れた声でそう言った。


わたしは真っ赤な顔で、ニュンペーをチラリと確認すると、彼女はにっこりと笑って姿を消した。


それを見届けたわたしは、クリスターの目から両手を外したが、ふと、ブラクリーへと目線をやると、さっきまでニュンペーのいた所から目が離れていなかった。


「ブッ、ブラクリー! あんたも見てたのか!」


「えっ? 見てたけど。嬉しそうだったな」


なにも感じてないかのように、平然とブラクリーがそう言った。


なんなんだ! ここの奴らは、女体をどう思っているのだ! わからん。全くもってわからないよ!


早速、出発したいのだが、クリスターの上着を乾かさなければならなくなり、また薪を焚き、足止めをくらうことになった。


次いでに、わたしの汗だくの靴下と下着とカッターシャツだけでも洗おうと、また滝壺に行って洗っていると、今度はわたしの目の前にニュンペーは顔を出した。


「うわぁ!」


驚いていると、ニュンペーは顔だけが水辺から出た状態で、下着を指さした。


「これ?」


クイクイと、引っ張って欲しそうにする。


「ダメ。これはあげられないよ」


首を振って引っ張り返すと、悲しそうな顔をした。


わたしは困った顔でため息をつくと、靴下を差し出した。


「これなら、あげてもいいけど」


ニュンペーはパッと明るい笑顔になると、靴下を掴む。


手袋のように着けて楽しそうにしているが、そうじゃなくて、足なんだけど。そう思って、


「ここに履くのよ」


足を指して履く仕草をすると、ニュンペーは手に着けていた靴下を外し、足へと付け替える。


ピッタリと足にハマって上機嫌だ。


水の中でクルクルと円を描くように、潜っては顔を出し、また潜っては顔を出す、を何度も繰り返し嬉しさを表現する。


「喜んでくれてよかったわ。ホントは服もあげたいけど、この一着しかないから。またいつか出会えたら、今度は持ってくるわね」


わたしの言葉に反応するように手を伸ばしてきたニュンペーは、わたしの頬にそっと触れた。


すると、頭の中で声がした。


『あなたに祝福をあげる。いつまでも待ってるから、また来てね』


そう言うと、ニュンペーは、チャポンと水面に水音と波紋を残して消えてしまった。


「行っちゃった」


わたしは微笑んでいた。


魔界にも優しい者がいるのだと知って嬉しかったのだ。


気持ちを高ぶらせながら、下着とカッターシャツを絞り、クリスター達の目が届かない所にそれらを干して乾かした。

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