12章 会議は踊る

第45話 弾劾裁判

「有罪」

「有罪」

「有罪」

 リズベットを筆頭に、大卓を囲んだ御使いたちが端から順に手を挙げる。相変わらずザイナスの膝に陣取ったエステルも、きょとんと左右を見渡した。

「ゆうざい」

 意味もわからず手を挙げる。

 被告人は言うまでもなくソフィーアだった。卓を挟んだザイナスの向かいで、さり気に髪を漉いている。時折り彼に妖しい目を向け、皆に余計に詰られていた。

「魔女だか何だか知らないが、使いが操られるなど有り得るか?」

 卓に長い脚を組み、ラーズが不審の目を向ける。

「そんなの、法螺に決まってる」

 クリスタはにべもない。

「何とでも、私はザイナスさまに信じて戴ければそれで十分です」

 ソフィーアは平然と受け流した。むしろ、口許に笑みを湛えている。

「信じるも何も」

 ラーズが呆れて責め立てた。

「おまえ、ザイナスを押し倒していただろうが」

 確かにあれは危うかった。あと少し皆の突入が遅ければ、どうなっていた事か。何しろ腕力では御使いに敵わないし、とザイナスは内心で言い訳をした。

「淫乱」

「女狐」

「変態女」

 罵声が飛び交い紛糾する。ザイナスはエステルの耳を手で塞いだ。

「有罪ったら、有罪です」

 だん、とリズベットが卓を打った。こと、ソフィーアのこれ見よがしの媚態に、潔癖なリズベットは容赦がない。最初から彼女に敵意を剥き出しにしている。

「どう思う?」

 ザイナスは、椅子の向こう側に溜息を投げた。振り返らずに問い掛ける。アベルはひとり卓に着かず、ザイナスの椅子の笠木に手を掛け立っていた。

「キミの信じる通りで良いさ」

 冗談めかしているものの、アベルはザイナスに判断を丸投げした。気紛れにせよ悪戯にせよ、そうするアベルの根拠もよくわからない。

「真面目に訊いてるんだが」

 アベルは背中で肩を竦めて見せた。

「真面目に答えたさ。ミストの証言は実証のしようがない。客観的にも主観的にもね。だったら、決められるのはキミだけだ。ボクは状況を楽しむよ」

 オルガが卓に手を掲げ、紛糾を制した。

「残念ながら、私もミストを信じる」

「残念って何なの、スルーズ」

 拗ねた口許でソフィーアが返すと、オルガは睨んで口籠った。

「以前に会ったのおまえとは、まるで様子が違って見える」

 迷った後の不承々々の弁護に、ソフィーアは婉然と頷いた。

「受肉の影響を強く感じる。人に馴染んでもいる。むしろ、人より歪んで見える」

「そこまで言われるのは心外です」

 淡々と挙げるオルガの言葉に、途中で切れて噛みついた。とはいえ、それはザイナスも同感だ。御使いは人の情動を忌避しない。それを仕様と受け入れている。その点、図書館のソフィーアは――魔女には、気取った抑制を感じた。

「とはいえ、どこまで手を下した。魂なきものノスフェラトゥは、おまえの策か」

 何気に鎮火した大卓に身を乗り出し、オルガはソフィーアを問い詰めた。

「手配は大聖堂への密書から、というのは私も情報だけです」

 ソフィーアは答えて、問い返す。

「でも貴方、その魔物をご存じ?」

 策は打ったが名は気に入らない。まるで、そんな表情だ。身体の齢が近いせいか、オルガとソフィーアの間には遠慮のない独特の空気感がある。

屍鬼グールの古い呼び名だろう、魂を失くした死に損ないだ」

 オルガは仏頂面で応えた。屍鬼グールも形は種々雑多だが、知性、理性を失って生物の道理を外れた人のなれの果てには変わりがない。

 魂が人を人たらしめる。魂を成すのは信仰だ。信仰が失せれば魂も失せる。魂が失せれば人は死ぬ。死に損なえば人ではない。それが屍鬼グールと呼ばれる魔物だ。教会指定の討伐対象であり、うっかり死ねばザイナスも堕ちる。

 ホーカソン司祭はザイナスにそう忠告した。

「手配の定義は、人の振りをした屍鬼グールだとか」

 ソフィーアの声は他人事のようだ。事実、彼女はそう訴えている。

「あれの知能は犬以下だ。無信心者への方便だな」

 ラーズが鼻根に小皺を寄せる。

「語源に別の意味は?」

 ザイナスが訊ねる。教会に流布した以上、その名に含みがあるのではないか。

「古聖典に於ける語意は、神に呪われしもの、不死者、神敵。それが転じて、魂を持たない者、信心のない者を指すようになったようです。人の振りをした屍鬼グールは些か――ヒルドの言う通り、教会の都合でしょう」

 ソフィーアが首を振る。

「現大司教猊下も魂なきものノスフェラトゥの手配にも関わっておられましたし、どちらかというと使いではなく、地上の事情にも思えます」

 人の都合だ、馬鹿々々しい。ザイナスは不満気に頷いた。どうせ手配をするのなら、もう少し恐ろしげな魔物でも良かったのに。そんな思いも少しあった。

「つまり、既知の範囲です。私たちはそれ以上を知りません」

 意図を含んだフィーアの目に、なるほど、とザイナスは呟いた。

「――で、おまえが魔女に操られていたとして、だ」

 ラーズが話の舵を切った。

「これ以上ザイナスにちょっかいを出さないなら、穴倉に戻るが良い」

 ラーズが言った。もっとも、聖堂図書館に地下に駆け付け、野良猫よろしくソフィーアを袋に詰めてアベルの別宅に連行したのはラーズ自身だが。

「ザイナスに免じて釈放してやる。オレたちの邪魔をするな」

 寛大すぎる、と不服そうなリズベットを除いて、皆も大枠で同意の様子だ。

「私がザイナスさまの御側を離れるとでも?」

 当のソフィーアが失笑した。今さら何を言うのか、と不可解そうにラーズに問う。

「だって、あんたに関係ないでしょ」

 しっしっ、とクリスタが彼女を煽った。

「言えた義理ではないのでは?」

 クリスタを横目に、ソフィーアは皆を見渡した。

「ザイナスさまを奪おうとしたのは、私だけでははない筈です」

 それを言い出せば、皆そうだ。ザイナスはまたぞろ紛糾する卓を眺めた。

 途方に暮れるザイナスに顔を寄せ、アベルは喉の奥で笑うように囁いた。

「さて、『ザイナスにむりやり純潔を奪われ貶められ虜にされた天使同盟』の会議は、最初から紛糾しっぱなしだ。先に進まない」

 もう、第五回にもなるけれど、とアベルは付け加える。

「そもそも、君が最初に唆した事だろ」

 行為と名称にザイナスは抗議する。一連のそれは、御使いに純潔破棄の自覚を与える事で成る作用だ。虫唾の走る行為であり、正当防衛も言い訳だ。

 そうした罪悪感の一方で、ザイナスは選択に悔いがない。為すべき事を為しただけだ。奉じる神もいないのに、自己犠牲など生存への冒涜だと考えている。

「キミはもう少し自分の凶悪さを自覚した方が良いと思うな」

 不満であっても迷いのない表情を読み解いて、アベルはそっと息を吐いた。

 皆の息切れを見計らって、ザイナスは大卓に声を掛けた。

「魔女が誰かはさて置いて、御使いを操る存在を何とかしないと――」

「――兄さんが魂なきものノスフェラトゥとして教会から追われる」

 リズベットが口を挟んだ。

「まあ、そういうところかな」

「お父さまに合わせる顔がないわね」

 ザイナスは妹に向かって肩を竦めた。

「とはいえ、狙いどころを絞らねば、打つ手が甘くなる」

 オルガがザイナスの意向に応じ、行動の具体化に話を向ける。

「エイラは恐らく大司教の側近だが、人の身の特定がまだだ。所在が判明しているのはレイヴだが、宮廷には簡単に手が出せん。それなりに準備も必要だ」

 卓を仕切るオルガは御使いの資質を如何なく発揮している。身体的な年長者、為政者の資質、あるいは正妻を自認する余裕が感じられる。

「あとは、スヴァールとシグルーンか。面倒なのが残ったな」

 ラーズが心持ち口許を歪めた。

「兄さんの言ってた霧の幻は、冥神ビヨンドさまの空隙ではないかしら」

 ふと、リズベットが指摘する。ソフィーアの記憶も綻んでいる部分だ。

「だとしたら、スヴァールが魔女?」

 クリスタが呟く。冥神ビヨンドの空隙は、御使いであるスヴァールのみが往来できる異層だ。天界と地上の狭間にあって、魂はそこで審判を受ける。一面が霧に覆われたそれは、魂の選別場ニヴルヘイムとも呼ばれていた。

「そうだねえ。キミに直接手を出せないから、迂闊に死ぬよう導くかもだ」

 アベルが嫌なことを言う。

「でもさ、いくら人に降りてるからって、あいつに使いを乗っ取れるか?」

 クリスタの疑問にソフィーアは頷いた。

「魔女は私の神器の顕現に時間を要しました。意識や記憶は兎も角も、流石に他の御柱の導管は制御が難しいのかも知れません」

 確かに、図書館で見たソフィーアの冠はそう易々と使われていなかった。

「そもそも、我らは各々ひと柱の導管だ。他の神威を扱えたとしても、あくまで人の身を介しての事、枠が小さいのは頷ける」

「スヴァールと決めつけるのは早計だわ」

 リズベットが口を挟んだ。

「ええ、あくまで魔女です」

 そう相槌を打つソフィーアに向かって、リズベットは問い掛けた。

「なら、その魔女がミストを狙った理由は何?」

 何気に喧嘩腰だ。

「私の知識が、いつか魔女の正体に辿り着く。そう考えての事でしょう」

 ソフィーアは応えた。魔女は自らの存在を隠すため、真実に辿り着きそうな智神フロウの御使いを支配した。そういう事だろうか。

「私の次の標的は、他の使いに対する抑止力だと考えられますね」

 魔女の力に気がつけば、賞牌マユスの争奪に先んじて御使いが手を結ぶ。となれば、それに対抗する傀儡が必要だ。当然、同じ御使いの他にはない。

「力だけならシンモラだが、使い相手なら権能連結が有利だな」

 戦術を勘案したラーズが眉間に皺を寄せる。

「となれば、スクルドかシグルーンだ」

「行方がわからないのは――」

「私、ひとつ気になっているのですが」

 声を上げたリズベットを遮り、ソフィーアが冷えた息を吐いた。

「貴方ほど忠実な使いが、何故いままで使命を果たさずにいたのですか?」

 ソフィーアは、目を細くしてリズベットを見遣る。そういえば、図書館の地下でも彼女は同じ疑念を口にしていた。ザイナスはそう思い起こした。

「いつでも刈れる位置にいて、他の御使いを呼び寄せる餌にした、とか?」

 皆の視線をリズベットに集め、ソフィーアは訊ねた。

「貴女が魔女なのではありませんか?」

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