7章 ファラリスの奉納品

第25話 潜入

 たん、とエステルが飛び降りる。車窓も客車も飽きが来た。静かな足許は一日ぶりだ。歩廊の上から昇降口を見上げ、後ろのザイナスを見上げて笑った。

 シムリスの駅舎には人が溢れている。石造りの昇降場は人も多いが、それ以上に荷車が行き交っている。客車には商人、貨物車には商材が詰め込まれ、駅舎はそれらを一斉に吐き出している。見渡せば、いかにもな物流の拠点だ。

 シムリスは王国の北端にある。物流を一手に握る並ぶもののない大交易都市だ。どの都市よりも小さいが、中央の昼間人口は王都に次いで多い。

 イエルンシェルツの王都に対して、西のヴェスローテは第一都市、東のルクスルーナは第二都市、南のラングステンは第三都市と呼ばれているが、それは開拓の順でもある。北のシムリスは零番目。王都に次いで成り立ちが古い。

 ただ、土着の集落を教化し尽くし、その上に築いた新しい都市だ。旧来のものは何もない。土地も文化も慣習も、売れるものは全て売り払ってしまった。

 そうした商売が、聖堂商会の成り立ちでもある。

 ちなみに、地霊術ゴエティアの多くもシムリスに由来する。降神歴以前の慣習の残滓だ。こうしたものの断片は、今も澱のように片隅に積もっている。日常の言葉や名称に、語感の異なるものが入り混じっているのも、そのせいだ。

 国家イエルンシェルツに流通する東の木材や鉱物、工業品。西の穀物、衣料品、そのほとんどがシムリスを経由している。全てが物理的にではないにせよ、シムリスに本部を構える聖堂商会が取り引きを仲介していた。

 いわば、聖堂商会は王国の物質的な基盤として教会と対を成している。その特別顧問の一人がクリスタ・リンデル、組織神ソサイエの御使いだ。あの見掛けと性格からは想像もできないが、尋常ではないほどの要人でもある。

 なので、ザイナスは気が重い。

 御使いと人では社会の地位の感覚が違う。どれほど権力があろうとも、それは人の立ち位置に過ぎない。御使いにとっては地上の泡沫だ。ある意味、御使いの目は獣と大差がない。人は信仰を絞る血肉の袋だ。

 だがザイナスは、そうもいかない。

 生物の人と向き合う以前に、共同体のひとに接する。地位と権力は人の重みだ。聖堂商会の顧問ともなれば、ザイナスにとっては雲を突く巨人に等しい。むしろ、まだ御使いの方が――その身に宿した人格の方が、遥かに身近だ。

 汽車の長旅で強張った身体を解しながら、ザイナスはやや身を伏せて歩いた。ラングステン以降のザイナスは、人里を遠く離れていた。ルクスルーナの滞在も短かい。なのに、皆に見つけれれた。リズベットのそれは偶然と執念だが。

 人目を避ける聖霊術はアベルに施されているが、国軍、商会、そしておそらく教会もザイナスの行方を追っている。万一を思えば身も縮んだ。

 勿論、御使いたちは気にしない。どれほどの人いきれも一掃すれば同じだ。

「シン――エステル、走っちゃ駄目」

 エステルも気にしない。ザイナスの袖を引いて物珍し気に駅舎を走る。追い掛けるのはリズベットだ。彼女は妹としての正当な地位と、幼きものの護り手である白神ブランの性分が鬩ぎ合った結果、エステルの世話を焼いている。

「あっち、大きいの」

 エステルが柵の隙間から操車場を指して声を上げる。笠木はザイナスの腰の高さだ。幾重に並んだ車両の奥に、小山と見紛う異様な汽車がある。

「何だありゃ」

 ザイナスの横から身を乗り出し、ラーズも操車場を眺め遣った。流石に彼女も街中とあって普段の武具や防具の類は頭陀袋の中だ。ただ、きつく締めた装いの反動か、呆れるほどに胸元が緩い。溢れそうになっている。

 ふと、リズベットの視線に殺気を感じて、ザイナスは操車場に目を固定した。

 確かにそれは、目を剥くほどだ。汽車を縦に三つ積んだほどの高さがある。鉄の建屋かと思ったほどだ。幾枚も幌を継ぎ足して、それでも覆い切れていない。

「あれもルクスルーナから来たみたいだね。胡散臭くて、キナ臭いな」

 アベルが横目に見て呟く。ただ、幾分かは楽しそうだ。

 王都の諍いが原因か、工業都市ルクスルーナは兵装の特需に与かっていた。こと王党派の貴族連は、見栄も交えて奇異で目を引く兵装を集めている。もしかしたら、あの非常識な代物もそのひとつなのかも知れない。

「あっちも鼻につくな」

 ラーズが顎で指したのは、豪奢な飾りの特別車両だ。ただし、それ単体は美しいが、嵩高い警備の車両が前後を挟んでいる。せっかくの美観が台無しだ。

「あれは王都行きだね。頼めば乗せて貰えるかもだ」

 アベルは悪戯な目を細めて見せた。

「やめてくれ」

 ザイナスが釘を刺す。

 聖堂商会だけでも気が重いのに、このうえ王族貴族が絡むなど御免だ。

「わかっているとも。どのみち、此処ではあまり派手には動けないしね」

 本当かな。願わくばルクスルーナのような騒動だけは絶対に避けたい。そんなザイナスの表情を読み取ったのか、アベルは擽ったげに喉で笑った。


 ◇


「じゃあ、第二回『ザイナスに純潔を奪われた――』」

「それはもう勘弁して」

 アベルを遮り、ザイナスは呻いた。名称の不名誉具合が更に酷くなっている。

 皆は再び豪奢な広間で卓を囲んで座っていた。今回は座卓で距離も近い。

 駅から飄々と先行くアベルが招いたのは、やはり彼の別宅のひとつだ。敵地潜入というよりも、何やら別荘巡りの様相を呈している。

「甲斐性だ、自慢していいぞ」

 ザイナスの隣を陣取るラーズが、戯れに首を抱え込んだ。解放された胸元は思いの他に柔らかく、ザイナスは呼吸するのも躊躇った。

「馬鹿なこと言わないで」

 リズベットが何気にラーズの腕を払う。ザイナスの襟首を引き戻した。そんな頭上の騒動には我関せず、エステルは膝の上で練り菓子を噛んでいる。

 アベルの隠れ家は街の外れにある美術商の邸宅だ。弁えた従者が幾人とおり、クリスタの攻略に備えて既に情報が集められていた。至れり尽くせりだ。

 情報によれば、クリスタは自宅に殆どいない。むしろ、立ち寄ることさえない。その地位も表向きは隠されていて、日中は有力商人のお付きを装っている。

 どうやら、あちこちの取り引きに嘴を挟んでは、好みのものだけ摘まむといった、意地の悪い目利きをしているようだ。その点は、彼女の性格に合っている。

 陽が落ちてから過ごしているのは、もっぱら広大な倉庫の一画に構えた執務室だ。どうやら、御使いは思いの外に働き者だ。思えば、オルガもそうだった。

「倉庫はそれなりに人の出入りがある。警備もいるけど、ヘルフ自身は馬鹿みたいに無防備だ。こっそり会うだけなら意外と簡単そうだね」

 アベルはそう評した。

 商会の顧問がそんな身軽で良いのかとも思うが、そもそも御使いに手を出せる者がどれほどいるのか。恐らく、衛兵隊の程度では相手にもならないだろう。

「面識があるのはボクだけだし、とりあえず会いに行くのはボクで決まりだね」

 アベルがザイナスに目を遣って確かめる。

 まずはクリスタと交渉しよう。そう提案したのはザイナスだ。

 クリスタの望みは、人として飽きるまで生きる事。思い切り稼いで、思い切り贅沢をする。その為にザイナスを飼い殺したい。彼女の欲求は実に素直だ。

 クリスタの妥協点は如何程か。ザイナスは、それを探りたい。こちらの提案次第では、投資の対象にもなり得るだろう。今後の御使いに対する指針にもなる。

「上手くいくと思う?」

 当然、リズベットは懐疑的だ。

「上手くいかなければ、力尽くだ」

 あっけらかん、とアベルは応えた。御使いの数ではこちらが上、と踏んでの事だ。ならば、交渉が楽しめるに越した事はない。彼もまた、欲求に忠実だ。

「なら、最初からそうすれば良い」

 ラーズが呆れて鼻を鳴らした。彼女に言葉は胡乱だ。交渉手段の好みが違う。

「そうだねえ」

 ザイナスに向けるアベルの目つきは、何処か曖昧な笑みを含んでいる。

 ザイナスとしては、人知を超えたルクスルーナの二の舞は避けたい。加えて事を穏便に済ませたいのは、後にクリスタの協力を取り付けたいからだ。今後も御使いを相手にする以上、クリスタの資金と組織力は魅力的だ。

 強引な方法だけでは、クリスタが味方にってくれる保証がない。

「キミって意外と慎重だよね」

 生まれついての厄憑きにすれば、回避にあらゆる手立てを尽くすのは当然だ。

「無理やり資格を奪っても、協力してくれるとは限らないから。最初は穏便に」

 ザイナスは皆にもそう説明した。

「オレは無理やりだったけどな」

「ボクもね」

 ごめんなさい。リズベットが不機嫌になるから、そういう話は止めて欲しい。

「ザイナス、お風呂に入ろう」

 口許を飴だらけにしてエステルが声を上げた。とことんエステルは自由だ。

「私が髪を洗ってあげる」

 リズベットが言うと、エステルは口を尖らせた。

「ザイナスがいい」

 二人がやり合うのを横目に、アベルは話を進めた。

「ザイナスは交渉の切り札だ。ボクと一緒に来て貰うよ」

 段取りとしては、アベルとザイナスが先行して倉庫に潜入する。ザイナスは近くで身を潜めつつ、アベルがクリスタとの交渉に挑む。ザイナスの登場は状況に応じた交渉のひと押し、あるいは例の最終手段だ。

 それらの経緯はスクルドの羽根で共有する。遠隔交信ができる御使いの権能だ。万一の場合は、クリスタの感知範囲外から三人が一気に突入する手筈だ。その時点で交渉は決裂している為、一切の遠慮は必要ない。

「兄さんを危険な目に合わせないでね」

 リズベットが疑わし気にアベルを睨む。

 その懸念は往々にして正しい。アベルにはそうした癖がある。いや、癖というより嗜好だろうか。彼は自由神ケイオスの性質を確実に受け継いでいる。

「勿論、ヘルフだってザイナスが死んだら元も子もないのはわかってるさ。そもそも彼女、ザイナスをペットにして飼うつもりでいたし」

「天に返せよ、そんな奴」

 ラーズが舌打ちに乗せて言い放った。目つきが少し物騒だ。

 リズベットが同意しかけて口を噤んだ。アベルの意地の悪い笑顔が彼女に向かって、キミ人のことは言えないだろう、などと語っていたからだ。

「まあ、そうね」

 リズベットは、すんと曖昧に頷いて見せた。

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