第14話 遭難

 川縁の岩場が消え失せていた。赤々と焼けた大きな半円に抉り取られている。

 岸辺というより、もはや火口だ。浅く抉れた広い縁から地面を抉って孔が開き、赤黒い熱の坩堝が底にある。石の割れ爆ぜる音がこつこつと響いていた。

 息をするだけで喉が焼けそうだ。川岸の巨石が目の前になければ――向こう半分は赤々と溶け崩れているが――別の場所かと思っただろう。

 天然自然災害か。あるいは、御使いの仕業だろうか。

 後者であれば油断はできない。ただ、あまりに仕事が大味すぎる。たまたま続いた幸運がなければ賞牌マユス諸共、黒焦げだった筈だ。

 とはいえ。思索を隅に追い遣って、ザイナスは辺りを見渡した。

 手掛かりなしの想像は無意味だ。可能性を一から挙げれば、地霊術ゴエティアにまで検証が及ぶ。それは余りに時間の無駄だ。ザイナスはそう考えた。

 幸い、大きな炎はない。燃える以前に吹き飛んでしまっている。ただ、孔底の坩堝は別だ。桁違いの熱が籠っている。まるで巨大な竈の上にいるようだ。

 これなら早々、服も乾くか。のほほんと考えたザイナスだが、じき孔の縁から逃げ出した。熱さは予想の遥か上だ。当面、長居はできそうにない。

 煙る孔は一旦置いて、ザイナスは奥に目を向けた。森は先まで拓けているが、辺りは白く茹で曇り、肌を炙るような熱気に揺らいでいる。

 やや遠巻きに縁を辿った。

 岸まで繁茂した樹々は梳かれたように丸裸になり、綺麗に先まで伏していた。人造物かと見紛うばかり、まるで椀の内側のようだ。描いたような円弧の際は、太い樹の幹や繁茂した枝葉が、すっぱり綺麗に欠け飛んでいる。燻るよりもはるかに強く、生木の匂いが熱気に煽られていた。

 足場は悪いが、せめて火種を見て廻る。山火事に巻かれるのは願い下げだ。そうして辺りを探るうち、倒れた樹々の下に拉げた山小屋を見つけた。

 幸い、無人だ。面倒がなくて助かった。死者は来世に出掛けて行くが、残った死体は片付けねばならない。焼くにせよ埋めるにせよ、扱いが難しい。

 世間一般がそうであるように、死が軽いのはザイナスも同じだ。見知った者なら別れも辛いが、他人はより良い来世を祈る。墓碑も来世の目印に過ぎない。

 とはいえ、ザイナスには魂を導く御柱がいない。どころか、賞牌マユスと称して御柱が刈りに来る。よくよく思えば自分には、来世など縁遠いに違いない。

 だが、小屋は大いに役立った。狩りの遠征小屋らしく、中には備品が一通りある。しかも残飯跡の目当てか、鹿や兎が巻き込まれていた。彼らにとっては不幸だが、ザイナスの胃には幸運だ。ないのは雨露を凌ぐ場所くらいだった。

 このまま当てなく彷徨うよりも、留まる方が賢明だ。ザイナスはそう結論した。これほどの騒ぎが起きたからには、いずれ様子を見に来る者もいるだろう。

 この小屋の主が遠くまで伏した樹の下にいなければの話だが。


 ◇


 ザイナスは夜天に慣れている。火事で寝床を焼け出され、羊と寝たのも最近のことだ。屋根のない夜や森の夜明かしも、それほど苦にはならなかった。

 割り切ってしまえば、快適だ。追われる身なのは承知していたが、この場でどうこうできる訳でもない。いつもの災難と同様に、その折り対処するだけだ。

 幸い、当面の食糧には困らない。森の被害は思いの外に多く、結果として食肉材料には事欠かなかった。狼避けに取り分けても、山のように積み上がる。

 むしろ、日持ちの処理に追われるほどだ。それも道具は小屋から拾えたし、何より火起こし不要の巨大な竈が川岸にあった。辺り一帯が炊事場だ。

 渦中の災難が大きいほど、ザイナスの日常は上手く回る。これも厄憑きの性分だ。十二柱の御使いに追われるなどと、これ以上の災厄はない。

 その先払いだと思えば贅沢に躊躇はなかった。

 とはいえ、気づけば今日も下拵えと身支度で日が暮れた。これだけの災害にも拘わらず、まだ人の駆けつける気配がない。小屋が狩人の遠征用なら、確かに今は季節も違う。それなりの備えと覚悟が必要かも知れなかった。

 ただ、こうした作業に一通りの段取りをつけると、ザイナスは暇になる。身体は延々動いているが、作業中の自分を横目に手隙きと感じてしまうのだ。

 実直な働き者と呼ばれる所以だが、ザイナス自身にそんな意識はない。むしろ、取り止めもない思索に惚けている。頭の中で地霊術ゴエティアを延々と並べているのも、実はその手の暇つぶしの類だ。

 そうして気づけば大抵は、際限もなく行き過ぎている。

 目の前にあるのは、食べ切れないほどの食材の山だった。ただ、焼けた大孔は三日経ってもまだ熱波を噴き、焼くにも燻すにも具合がよかった。

 意図せずほとぼりを冷ましているが、御使いが諦めるとも思えない。実際、オルガの受肉は十年も前だ。御柱の使命が――多少、それぞれに解釈の違いはあったとしても――人の尺で忘れられてしまう筈もない。

 今は不自由ないとしても、いつまでも此処にいる訳にもいかなかった。

 かといって、人里で身を隠し続けるのも困難だ。オルガの公組織、クリスタの商組織、そして少年の盗賊網と、凡そ人と係わる限り、ザイナスが身を隠していられる隙間はない。名を知られた以上は、モルンにも帰れないだろう。

 しかも、御使いは十二人。顔を見たのは、秩序神オーダーのスルーズ、組織神ソサイエのヘルフ、自由神ケイオスのゲイラの三人だ。

 オルガによれば、少なくとも王都には血族神ブラッドがレイヴがいる。

 智神フロウのミスト、

 技神ルータのフリスト、

 群神レギオンのラーズ、

 巨神ギガンタのヒルド、

 現神アライブのエイラ、

 冥神ビヨンドのスヴァール、

 そして御使いの上位に冠する白神ブランのスクルドと黒神アノルのシグルーン。ザイナスの存在が公になった以上、残りの御使いにも警戒が必要だ。

 このまま名を捨て、人里から離れて暮らしていくか。いっそ御使いの誰かに庇護を求め差し当たりの盾にするか。勿論、飼い殺されるのは願い下げだが。

 ザイナスは今なお熱気に揺らぐ宵の暗闇を見渡した。此処もずっとは暮らせない。大孔の縁で蒸した肉の包みを拾い、明り取りの焚火に歩いて行いた。

 さて、どうしたものだろう。あらゆる面で絶望的だが、何もしない選択肢はない。打開策を案じるにせよ情報が必要だ。いずれ、御使いとの接触は避けられないだろう。ただ、彼女たちが連携しない限りは、あるいは――。

 下生えを分ける音がした。匂いに釣られて獣が来たか、と振り返る。

 羊歯の下生えから半身を覗かせ、歳端も行かない女の子が森の縁に立っていた。少女はきょとん、とザイナスを見つめて、誰? と訊ねた。

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