第10話 準急
「下馬評ではねえ、スクルドとシグルーンのどちらかだったの」
でも残念でした、とクリスタが笑う。勝ち誇る笑顔は思いの他に無邪気だった。
スクルドはザイナスにも馴染みの深い
十二柱に上下はないが、御使いの内では二人が上位に冠されていた。所謂、始点と終点だ。人が生涯で為すべきの始まりと終わりを司っている。
とはいえ、天界の下馬表とは。
「地上は人の世界だもの、人を使えるあたしらの方が優勢だったってわけ」
自慢話が延々と続く。クリスタは無類のお喋り好きだ。
思うに、これはオルガも同じだ。御使いの使命に纏わる話など、口にする場もなかったのだろう。相手は同じ御使いか、こうして捉えた獲物くらいだ。
上手い聞き手でいる間は、ザイナスも魂も持って行かれずに済むだろうか。
汽車は暗闇の中を延々と走る。客車への立ち入りを禁じているのか、車掌さえも見掛けない。此処には膝を突き合わせたクリスタとザイナスの二人きりだ。
「でもさあ、まさか教会の古い手配書に引っ掛かるなんてね。スルーズも手広いけど、教会も大概。十年も前のだよ? あたしの身体もまだ子供だったわ」
それは、ザイナスも初耳だ。
ホーカソン司祭がラングステンに問い合わせたのは、奉神不在のザイナスの処遇だけだ。手配書の云々は聞かされていない。司祭が気を遣って隠したのだろう。恐らく、噂話に聞いた事のある十年前の不信心者の騒動だ。
「十年も前、ですか?」
オルガにちゃんと訊いておけばよかった。
「
にやにやとクリスタはザイナスに告げる。なるほど、確かそんな名だった。
「そんな魔物、あたしたちだってよく知らない。きっと、出任せね。教会の権威づけでしょう。ユーホルトならやりかねないもの」
呼び捨てられたメルケル・ユーホルトは、畏れ多くも王都の大司教猊下だ。
「でもね、手配の条件には合ってたの。そこに目をつけたのが、あたしとスルーズ。正確にはスルーズに目をつけたあたし。保険の保険? みたいな感じ」
クリスタは、たははと笑って革張りの席を叩いた。燥いでいる。
燥いでいるが、違和感もある。間の抜けた相槌を打ちながら、ザイナスはリズベットの指南を思い起こした。くだけた女の距離感は、壊れているから気をつけなさい。なるほど、これほど近くにいても、クリスタはザイナスに触れようとしない。小突いたり、叩いたりの仕草もない。無意識に避けている気がする。
仕草で決めつけはできないが、オルガもうっかり気を抜くまでは、そうした態度を取っていた。御使いの不可侵が云々、確かそんな話だ。
「でね、あたしも教会に網を張ってたんだけど、すっかり出し抜かれちゃったわけ。スルーズの奴、こんなに行動が早いなんてさ。さすが
すん、と小さく息を吐く。
「すぐに
それは先にも言っていた。オルガが時間を掛けたのは、止まれぬ事情があったからだ。出会い頭に槍で突くほどには、彼女も
ふと、クリスタが身を乗り出した。
ひとつ、ふたつとクリスタの言葉を勘案するザイナスの顔を覗き込む。
「何で? やっぱり他の連中を牽制するため?」
咄嗟の返事に、婚活する為じゃないですか――とは、辛うじて堪えた。
「牽制、ですか?」
言葉を選んで、そう訊ねる。
「んー、そうね」
クリスタは唇をもぞもぞとさせる。
「あたしはね、決着を先延ばしにした方が、何かと都合がいいわけよ」
腕を組んで、うんうん、と頷く。
オルガと比べるのも無体だが、年齢を鑑みれば少々控えめだ。商談には見目のはったりも必要だが、それは脚で賄っていのだろうか――などと、ザイナスは無遠慮に考える。横並びの思索が表情に漏れるのを誤魔化した。
「使命を果たせば、このまま寿命までいられるの。失敗したら強制送還。あたしは断然、残りたいわけ。だったら、隠すのが一番。あたしの保険も含めてね」
御使いの話ですよね、と念を押したくなる。行動があまりに俗っぽい。
「御柱の使命が優先なのでは?」
「それは、そうよ?」
人聞きの悪い、とでも言いたげに、クリスタは鼻根に小皺を寄せた。
「だけど、ゲイラなんて最初から破滅志向なの。あいつこそ、使命なんて関係ないから。うっかり切り札を使ったりしたら、還り際に何されるかわかんないのよ」
顔を顰めてそう言うと、ふん、と息を吐いて肩を竦めた。
「それに、面白くないじゃない? 他の連中を極貧に落としてやりたいし」
そちらが本音だ。はあ、とザイナスは半端に応えた。そんな声しか出なかった。
「どっちにしてもね。あたしとしては、せっかく稼いだお金を派手に使い切りたいわけよ。それくらいのご褒美は、あったっていいと思うわけ」
呆れるくらい、欲望に素直だ。
御使いの意思は情報と使命だ。人格は人の身に根差している。ザイナスはオルガにそう聞かされた。人格は御使いの行動に影響を与えるが、人格もまた御使いの力に当てられて、大きく歪んでいるのかも知れない。
とはいえ、微かに延命の可能性が見えた。クリスタが早々の決着を望まないなら、ザイナスはまだ当面の間、魂を刈られずに済むかも知れない。
思案するザイナスを呆れていると思ったのか、クリスタは慌てて言葉を繋いだ。
「もちろん、
御柱のことも考えています、と主張する。
今さら御使いの威信もないが、ザイナスは調子を合わせて頷いて見せた。
「だとしたら、僕はまだ?」
少し踏み込んで訊ねてみる。
「まあね、急ぐ必要は全然ないの。あたしもあなたも、この身体は――持って百年くらい? どうせ、そんなの御柱には一瞬なんだから」
踏み込んだ後に嫌な汗が出た。延命と解放が同列である筈がない。
「ちゃんと面倒は見てあげる。もちろん、誰にも見つからないようにね」
クリスタはそう言って無邪気に微笑んだ。
「死ぬまで飼ってあげるから、心配しないでザイナスくん」
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