3章 天上の火の粉

第9話 鈍行

 高く組んだ足先を揺らして、クリスタ・リンデルはザイナスに対面の席を促した。

 つるりとした膝に目を遣って、ザイナスは物憂げに車内を見渡した。客車の中ほどに二人きり。他はすべて空席らしい。何気に、汽車ごと貸し切りのようだ。

 鼻に掛けた丸眼鏡の奥で、クリスタは猫のようにザイナスを値踏みしている。機嫌の良い笑顔の裏は獰猛で剣呑だ。撫で方を間違えれば引っ掻かれる。

 くるくる変わる螺鈿の瞳に、ザイナスはそれを嗅ぎ取った。

「座んなさいな、先は長いよ?」

 痺れを切らしてクリスタが言った。見計らったように蒸気の唸りが足下を擽る。

 ザイナスはそっと息を吐いた。彼女は自身をヘルフと呼んだ。それは組織神ソサイエの御使いの名だ。このまま逃がして貰えるとも思えない。

 ザイナスは観念してクリスタの向かいに腰を下ろした。揺れる馬車に比べれば座り心地は幾分ましだ。ただ、居心地はなお悪い。向かいに虎が座っている。

 不意に身体が後ろに揺れた。

 知らせもなく汽車が滑り出し、車窓に映る自分の奥を駅の柱が行き過ぎた。

 覗き見た駅名はイースタッド。その名は確かラングステンより北東の街だ。これが本線だとしたら、端は東の第二都市ルクスルーナだろうか。街は幾つか挟む筈だが、間にあるのはエルキスの山岳、ワブスギルと呼ばれる大森林だ。

「汽車は当分停まらないから、逃げようったって無駄」

 見透かしたように告げられる。

 真正面にザイナスを眺めて、クリスタは含みのある笑みを浮かべた。生殺与奪を握る支配者の笑み、あるいは試合を制した勝者の笑みだ。

 さて、獲物の側にも言い分があると、どうすればわかって貰えるのだろう。賞牌マユスとやらが魂でなければ、とっとと放り出しているのだが。

「これって、誘拐ですか?」

 取り敢えず、素直に立ち位置を確かめる。

「まあ、そうなるかな」

 クリスタは目を半眼にしてにやりと笑った。

 真偽はともかく、彼女は御使いを名乗る二人目だ。ザイナスが神霊に疎くなければ、理屈抜きにも納得できたのだろう。あいにく、彼に神気を見る眼がない。

 しげしげと、生身のクリスタを眺める他なかった。

 高襟の長衣は裾までひと続き、腰まで深い切れ込みがある。組んだ脚は素肌が剥き出し、膝頭がザイナスの鳩尾を威嚇している。

 理知的で威圧的。強気な性格は身形にも窺えた。とはいえ、見目に歳は近そうだ。ザイナスと同じか少し上。となれば、オルガ以上に扱いに気を遣う相手だ。

 リズベットにも良く叱られたが、ザイナスは無自覚な女難が多い。接する態度がいけないらしい。とはいえ、その機微が未だによくわからない。

「さっきから、見るじゃん」

 つんとした鼻の根に小皺を寄せて、クリスタが睨んだ。微かに目許に朱が差している。端からこうだ。結局、慎重さが裏目に出た。同年代の会話は難しい。

「ええと、あなたも僕の魂を?」

 思い切って確かた。賞牌マユスと言ったか、変な名だ。御柱の気まぐれも大概だ。彼女も自ら御使いを名乗るからには、それが目的なのだろう。

「スルーズから聞いた? それとも、あたしを見てわかった? 何かさ、そういうの鈍そうだよね、ザイナスくん」

 ザイナスくん。

 その距離感に戸惑いながら、オルガに聞いたと素直に返した。どうやら神気を見分ける素養のなさは、相手にも感じ取られるものらしい。それとも、敬虔の不足が見て取れたのか。いっそ跪くべきか。今更ながら逡巡するも、今のところのクリスタは上機嫌で饒舌だ。立場は決して対等ではないが、主従でもない。

「でもまあ、同じで助かった。いきなり終わっちゃうかって、ひやひやした」

 クリスタは、ふふん、と探るような半眼になる。

「あっちは曲がりなりにも王都の執政官だし、こっちもそれなりに注ぎ込んだ。結局、それなりに危ない橋も渡ったんだから、大損したら責任ものだよ?」

 何の責任を取と。それでもクリスタは、してやったりと自慢げだ。

「人を統べる権能はあっちが上でも、人を使う方法なら幾らもあるって、ね」

 要はここ、と人差し指でこめかみを突つく。

「そんな権能があるんですね」

 ヘルフの仕える組織神ソサイエは、三柱四組の新聖座に於ける支配神。二柱六組の旧聖座では人神に配されている。前者にはオルガの秩序神オーダーも与され、その権域は人や組織の支配と指揮に関わっている。

「お金だよ」

 当然でしょう、と嘯くクリスタに、はあ、とザイナスは間抜けな相槌を打った。

「地上じゃお金の方が強いの」

 確かに、組織神ソサイエは商いの神の印象が強い。とはいえ、俗だ。オルガの折りにも感じたが、地上に降りた御使いは神々しさが少し足りない。

「奇跡とかでは?」

「そんなの安売りするわけないじゃん」

 鼻で笑われた。

 いったん、聖典の印象は忘れよう。ザイナスは小さく呻いた。そもそも、仕事に追われるオルガも事務処理は人力だった。行政の決済に奇跡が必要ないのも理解はできる。クリスタにも、自分なりの矜持があるのだろう。

「売り買いだけなら奇跡より目利き。こっちが断然、楽なんだよね」

 クリスタは自身を聖堂商会の顧問と名乗った。それが本当なら、協会や商社の総元締めだ。オルガも執政官としてはかなりの若年だが、彼女はさらに歳若い。御使いの権能は文字通り、天賦の才として顕現しているのだろう。

 ならば、人の身で成せば良し、というのが彼女の線引きのようだ。

「あの衛士も買収したんですか?」

 あとは倫理観と性格の問題だ。

「身も蓋もない言い方しないの。たまたま、そこに駒があっただけ」

 口を尖らせはするものの、クリスタはザイナスに笑顔を向けた。

 王都には商機が溢れている。王党派との対立する執政庁は宝の山だ。手駒は幾つあっても良い――組織神ソサイエの御使いは表情豊かでお喋りだ。

「ひとつ潰しちゃったけど、元は十分に取れたかな」

 クリスタは満足気に目を細める。

「お陰で、ザイナスくんが手に入ったんだからね」

 ザイナスくん。

 上機嫌だが剣呑な猫の笑顔を覗き込み、ザイナスはまた気の抜けた相槌を打った。乗車は長くなりそうだ。終着駅まで生きていられればの話だが。

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