第6話 宣告

 ザイナスはそろりと柄の先に目を遣り、胸元に突き立つ刃を見おろした。冷えた異物が肋骨を滑り、胸を貫き通した感覚がある。刃先に押されて肺腑が動いた。そんな気さえした。その実、胸には血はおろか痛みすらも感じていない。

 顔を上げると目が合った。

 歳の頃は三十路の手前か、長身で凛とした美しい女性だ。間近で覗き込む目は切れ長で、槍などなくてもザイナスを射殺せるほどには冷えている。

「これで賞牌マユスが刈れないとは。いっそ、砕き割らねば獲れないのか」

 吐息のような言葉を吐いた。

 桜色の唇が、再び固く引き結ばれる。戸惑いを見せたのはその一瞬だけだ。

賞牌マユス?」

 彼女は柄から手を離し、一歩うしろに距離を取る。ザイナスに突き立つ槍は刹那、吹き散るように消え失せた。胸を抉る傷はなく、服にも裂けた跡がない。

「人の音では些か長い。これは所謂、俗称だ」

 彼女は悠然と腰に手を当て、ザイナスに向かってそう言った。

「ザイナスとかいう名だったな。君を刈るには祭壇を整える必要がありそうだ。それまでは此処に留め置く。逃げようなどとは思うなよ」

 何のことだか、よくわからない。何が起こっているのかも理解できない。そんなザイナスの惚けた顔を暫く睨んで、彼女は鼻根に小皺を寄せた。

「君、私がわからないのか」

「ええと、何処かで?」

 んー、とザイナスは喉の奥で唸る。その目は何処かで見た気もするが、名前までは思い出せない。凛とした美女ではあるが、ザイナスは他人の容姿に疎い。

「そうじゃない。君、この神気が見えないのか」

 慎重に会話の間合いを取るザイナスに、彼女は苛々と噛み付いた。

「神気も何も、いきなり人を槍で突くような人は、ちょっと」

 女性は目尻を朱く染め、片手で顔を覆って呻いた。調子がおかしい。思うように決まらない。そんな自分の焦りに気づいて、彼女はザイナスに背を向けた。

 落ち着け落ち着け、と息を吐いている。

「ならば、この身はどうだ」

 振り返り、努めて冷静にそう告げた。きょとんと見返すザイナスの惚けた顔に、ますますもっていきり立つ。胸に手を当て、詰め寄った。

「オルガ・リンデロートだ。名くらいは聞いたことがあるだろう」

 前髪に覗くザイナスの目は、まるで誰だか分かっていない。

「イエルンシェルツの執政官だ」

 イエルンシェルツの名は多い。執政官なら王都のそれだ。その胸元の窮屈そうな式服は、王都執政庁のものか、などとザイナスはようやく思い至った。

「はあ」

「はあ?」

 間の抜けたザイナスの返事を鸚鵡返しに呟いて、オルガはがくりと肩を落とした。それなりに知名度はある筈だが、などと口の中でぷちぷちと愚痴っている。

「もういい」

 いや、ザイナスだって驚いていた。驚くことが多すぎた。国軍に囚われ、御使いの如き白銀の槍で突かれ、それでも何故か生きている――かと思えば、今度は王都の執政官と名乗り、挙句は勝手に子供のように拗ねて睨んでいる。

「ともかく私がわからないなら、君にはその眼がないのだろう」

「眼、ですか」

 人を見る目か、審美眼か。ザイナスは彼女に置いて行かれたままだ。王都の執政官と名乗ったからには、別の身分があるのだろう。そも、先の槍は――。

「我らを避けて逃げ延びたのかとも思えば、どうやら見当違いだったようだ。その分では、自分が刈られる自覚もないのだろうな」

 オルガがそう言って息を吐く。執務机の傍に設えられた椅子に目を遣り、ザイナスに顎先で促した。後ろで結わえた長い灰色の髪先がふわりと揺れる。

「どうせ祭壇が整うのは先だ、教えてやるからそこに座れ」

 まるで教師に叱られているようだ。

 そういえば、街の学校にやたら胸の大きな先生がいた。リズベットとの仲が最悪で、すぐに転勤してしまったが。ぼんやり考えながら、ザイナスは椅子に腰掛けた。オルガは座らず、執務机の端に腰を置いてザイナスを見おろした。

「篤信や修道で覚え方にも差はあるが、君はそうとう神霊には疎いようだ」

 ふん、とオルガは鼻を鳴らした。

 御柱を感じない、実存にとんと実感が湧かない、というならザイナスも頷ける。

「あえて人の身を名乗ったのは、それなりに知られているからだが」

 オルガはまだ根に持っている様子だ。少し拗ねてもいるらしい。ザイナスからすれば十分に大人だが、子供のような顔をする女性だった。

「私は秩序神オーダーの使いスルーズ。君に私が見えていれば、そのように惚けては居れん筈なのだがな」

 椅子のザイナスを見おろす高さが、どうやら彼女には都合がよいらしい。きょとんとした顔のザイナスに向かって、オルガはつん、と顎を上げて言った。

「御柱の命により、君の魂を刈るべく受肉した」

「はあ」

 ザイナスは槍で突かれた筈の胸元を摘まんで、矯めつ眇めつした。穴が開いていなくてよかった。服にも身体にも。縫うにも持ち合わせの糸がない。

 咳払いに気づいて顔を上げる。

「真面目に聴け、ザイナス」

 そんなことを言われても、にわかに信じられる筈がない。

 秩序神オーダーは軍務や為政者の信仰を集める御柱、人々の護り手だ。三柱四組の新聖座では支配神、二柱六組の旧聖座では能神に配されている。

 その第一の御使いが彼女の名乗るスルーズ。魂を天界に導く乙女の一人だ。その神像は神器に白銀の鉾槍を携えた少女の姿で現わされている。

 ザイナスは、はた、と手を打った。

「なるほど、それで槍」

 嬉しそうに頷いてから、オルガは不意に我に返り、きゅうと目尻を朱くした。

「君、私を馬鹿にしているのか」

 凛として強面の割に、怒るといきなり子供っぽくなるなあ、などとに失礼な感想を抱きつつ、ザイナスはできるだけ正直なところを口にした。

「馬鹿にしているというより、訳がわかりません」

 目の前にいるのが王都の執政官というだけでも現実味に欠けているのに、秩序神オーダーの御使いだ、などと告白されても頭が追いつかない。

 あるいは、ザイナスがもう少し御柱を身近に感じられたなら、そんな理屈や告白の前に実感できたのかも知れないが、奉じる神なき身には如何ともし難い。

「それはさて置いて」

「さて置くのか」

 オルガが、かくんと顎を落とした。そこが一番の理解のし処なのに。

 ザイナスにとって、自称スルーズ、自称オルガ・リンデロートの真偽はこの際どうでもよかった。事実であろうと虚言であろうと、彼女がそう言うのだから反論しても仕方がない。問題は、生殺与奪がオルガの側にあることだ。

「御使いがわざわざ僕の魂を? 前世で恨まれるようなことでもしましたか? それともアレかな、名前を書いた丸い板をぐるぐる回して当てるヤツ?」

「君こそ訳のわからんことを言うな」

 オルガがむう、と口を曲げる。

「君の魂は賞牌マユスだ。我ら十二の使いがそれを追っている。それが御柱に賜った使命であって、それ以上でも以下でもない」

 魂など実際に見たことはないが、教会では花に例えて描かれもする。おおかた、ドクセリモドキアンミ・マユスにでも似ているのだろう。

「理由は知らないんですね」

「うるさいな」

 オルガは拗ねたように口を尖らせた。御使いの威厳も台無しだ。

「放って置いておいても、そんなにお待たせしないと思うんですが?」

 オルガの話に理屈を合わせ、ザイナスは事態の回避を試みる。

「御柱には瞬きにも満たないが、うっかり死なれてはスヴァールの勝ちだ」

 ホーカソン司祭にも心配されたが、うっかり死ぬのは確定なのか。

 スヴァールは死者の魂の安寧を司る冥神ビヨンドの御使いだ。つまりオルガことスルーズは、ザイナスに自然死を許さないつもりなのだろう。

「勝ちって、どういうことです」

 不穏な語句に問いを重ねる。首筋が粟立つほどキナ臭い台詞だ。

「君の魂を巡って十二柱の使いが互いに争っている」

 ザイナスは呻いた。いや、もしやここは光栄に思うべき事だったりもするのか。

「ここに至って私が勝利した訳だ」

 オルガはそう言って、胸を迫り上げるように腕を組んだ。取り戻した余裕と優越感で、腕の上に乗って張った式服の留め具が弾け飛びそうになっている。

「いずれ、祭壇が整うまで此処が君の最後の居場所には違いない」

 ザイナスは困ったように息を吐いた。真偽を疑う余地はある。だが、国軍衛兵を手足に使う以上、オルガが王都の執政官というのは信憑性が高い。少なくとも、それに類する権力があるのは間違いない。

 秩序神オーダーの御使いというのは――あの白銀の槍が証明だろうか。確かに、教会にあるスルーズの聖像は白銀の槍鉾を神器として携えている。

 ただし彼女の言う通り、ザイナスには神気の類がまるで見えない。オルガの見た目は、ただの魅力的な女性だ。所々に子供っぽくはあるが、彼女の大人の質感は、その長い脚に薄く張り付いたストッキングほどに息苦しい。

 勿論、ザイナスの思い描く御使いは、多分に概念的なものだ。御柱の代わりにに擬人化された願望に過ぎない。それに、教会の聖像はもっと――。

「御使いって、もっと――」

 呟き掛けたザイナスの言葉を予想したのか、オルガが射殺すような目で睨みつけた。我が身の危険を察したザイナスは、既の所で言葉を選ぶ。

「子供っぽい姿だったかな、と」

 実際、ハルムの聖像は幼い少女の姿だ。大きさも容姿も予算によるが。ただ、目の前の容姿を聖像に模すなら、脚にぴったりのスカートは、もう少し丈を下ろさねば。例え作家が自由神ケイオスの信徒でも、これでは除名必至だ。

「まあ、本物を見たことはないですけれど」

 瞬きなしで睨むオルガの目線にザイナスの変な汗が止まらない。

「確かにそれはそうだろう、天界の我らに形はないからな」

 ふん、とオルガは鼻を鳴らした。

「この身は正真正銘、人の子だ。我らが地上に在るためには資格に合った者を選ぶ。覚醒した、と言った方が近いか。使いの受肉とはそういうものだ」

「変身とかするのですか」

「するか、馬鹿者」

 叱られた。

「この身が不審なのだろうが、受肉が十七の歳だっただけだ。当然、以降は成長もするし、人としての役割も果たさねばならん。執政官の仕事もな」

 ザイナスはぼんやり感心しつつ、ふと我に返る。

「十年以上も前から?」

「九年と少しだ」

 やや食い気味に訂正された。

「御柱の感覚と諸々の都合だ。我々も地上に降りた時期に差が生じている。無論、皆は今も君を捜しているぞ。結局、人を統べる事に長けた私が勝ったが」

 告げるオルガは思い耽るように表情を緩めた。

「確かに、人の身で感じる時の尺は長いな。だが、この使命を果たせばひと生涯分の休暇が待っている。使いの義務からも人の職務からも解放される訳だ」

 ザイナスも、この時ばかりは複雑な顔をした。御使いの造詣があまりに酷い。人の悲哀が強く出すぎてはいないか。司祭に聞かせては酷な話だ。

「――とはいえ、今はまだ放り出すわけにもいかん。執政官としての最後の職務は全うせねばならんからな」

「最後の職務?」

 ザイナスが問う。

「引退を鑑みての残務処理だ。私も王都から身ひとつで来たわけではない。君に会うのが遅れたのも、持ち込んだ決済案件が山とあるからだ」

 どうも御使の神々しさが足りない。神霊に疎いザイナスの欠点だろうか。

「忙しいんですね」

 また私を馬鹿にしているのか、とオルガは警戒して口を尖らせる。

 ザイナスは少し思案した。何か足掻いてみようと思うのが半分、生真面目な御使いが気の毒なのも半分だ。ザイナスはオルガに向かって申し出た。

「僕も何か手伝いましょうか? その、アレする準備ができるまで」

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