怖かった

 世の中には、NTRなんてものは数多くある。

 その形は様々であっても、それをされたことで生じた悲しみや怒り、憎しみはありとあらゆる場所に渦巻き、この世界にこびり付いている。


『なんで……どうしてこんなことに!』

『信じてたのに……信じていたのに!!』

『ふざけるな……お前が奪ったんじゃないか!』

『ふざけないでよ! アンタがあたしから彼を!!』


 大切な存在を奪われ、絶望した感情は向かう先を探していた。

 そうして世界に存在する全ての悲しみと憎しみは互いに惹かれ合い、解け合うように混ざり合って一つの存在となった。


“奪われることはあってはならない……そのようなものは断じて許されるべきではない。純粋な愛を汚す者は血祭りに上げよ、大切な存在を奪おうとする者には罰を与えよ――行き場を無くした想いがあるならば、もっとも相性の良い者へと繋げてみせよう。それがたとえ、どれだけの昏き感情を抱かせようとも”


 果たしてこれは何を意味するのか。

 それはまだ、誰にも分からないことだ。



▼▽



「この辺なの?」

「母さんから聞いていた限りはな」


 ネトラセンサーが反応し、父さんと共に家を出た。

 駐車場に車を止めて繁華街を歩いていく俺たちだが、父さんが向かう先にネトラセンサーも反応している。


(まだ分からん……でも、嫌な予感は段々強くなっていく)


 まさか、自分の母親がそんなことに巻き込まれるだって?

 そんな胸糞悪すぎることあるわけないって思いたいのに、それでもこうして母さんを探して俺たちは歩いている。


「……?」


 ふと、何やら視線を感じた気がしたがそのまま足を動かす。

 そうして向かった先は同窓会が行われたはずの店……しかし、母さんの姿がなかっただけでなく、ネトラセンサーは更にこの先に反応している。

 そうして奥に向かっていくと、二人の男性と母さんを合わせた三人の女性が居た。


「母さん!」

「あん?」

「なに?」


 パッと見た感じ、男性も女性も非常に軽そうな見た目をしている。

 目を丸くして見つめてくる彼らだったが、俺はすぐに男性に支えられていた母さんの元に駆け付け、力づくで奪うように引き剥がす。


「お、おいなんだよお前」

「この声……もしかしてさっきの電話の――」


 どうやらこの女性は、さっき二次会があるからと言った女性のようだ。


「那智!」

「はれ……? パパぁ?」

「あぁ僕だ。迎えに来たぞ」

「……ぅん……帰る」


 父さんに預けた瞬間、僅かに目を開けた母さんは微笑んだ。

 あまりにも一連の流れがスムーズだったのもあり、相変わらず母さんの同級生と思われる人たちは唖然としていたが、父さんには母さんを連れて先にこの場を離れてもらう。


(何だろう……凄くイライラしてる)


 父さんにはすぐ戻ると言ったけれど、このまま戻っては俺自身がスッキリ出来そうにない……藍沢の時や東條リラの時には感じなかったこの苛立ちは、おそらく大切な家族である母さんが狙われたからだろう。

 頭が沸騰するかのような苛立ちを込めて、俺は彼らを見据えた。


「二次会やるって言わなかったのかよ」

「言ったわよちゃんと! てかなんで来たわけ……?」

「あ~あ、せっかく味見出来ると思ったのによぉ」

「お前、学生の時から気に入ってたのに残念だなぁ?」


 彼らの言葉が何を意味しているのか、それが分からない俺じゃない。

 というかこの人たちは何をヘラヘラしていられるんだ? 何が面白くてそんな薄汚い笑みを浮かべているんだ?


「アンタら……母さんに手を出そうとしたのかよ」

「どうせ酒が入ってるから記憶に残らねえだろ」

「ま、写真とか動画録ってやるのも面白そうだけどね」


 自分たちが何をしようとしたのか、その罪の重さをこれでもかと理解していないその顔には心底反吐が出そうだ。


「母さんの同級生だからって安心出来るわけがじゃないんだな。やっぱりアンタらみたいなクズは居るわけだ」

「……あ?」

「何か言ったか? クソガキ」


 何も言わなければ良い。

 そのまま立ち去れば良い。

 でも我慢出来なかった……ずっとボルテージを上げ続ける自分自身をコントロール出来ないわけではないが、それでも我慢出来なかった。


「ちょっとアンタら、子供相手にムキになんないでよ」

「そうだって!」

「おいおい、先にクズって言ったのはあっちだぞ?」

「大人として礼儀を少し教えてやろうと思っただけだっての」


 辺りは暗いが、建物の明かりが多くて賑やかだ。

 しかし夜の繁華街ともなればこういう騒ぎも珍しくはないのか、俺たちのやり取りを気にしている人はそこまで居ない。

 とはいえここまで無関心なのかと逆に気にはなるが、もしかしたらこれもネトラセンサーのおかげなのかもしれない。


「悪いけど、クズにクズって言ったことを後悔はしないし、アンタらに教わる礼儀もない。逆に俺が教えてやろうか? 人の大切な存在を奪っちゃいけないって子供でも分かる簡単なことをさ」



▼▽



「……………」

「……凄い」

「あれは……神木君なの?」


 あたしは……あたしたちはただ、見つめることしか出来なかった。

 険しい表情を浮かべて歩いていた神木君を見つけ、居ても立っても居られずに追いかけた。

 ざっくりとしか状況は分かってないけれど、どうやら神木君のお母さんが大変な目に遭わされようとして……それを神木君と、彼のお父さんが駆け付けて事なきを得たらしい。

 でもあたしたちの視線が釘付けになったのはその後だった。


「クソッ……」

「止めろ……止めてくれよ……」


 指の骨をポキポキと鳴らしながら近付いた男性二人は、いとも簡単に神木君に負けた。

 大人二人だというのに、全く相手になっていなかった。

 あの男性たちは神木君を殴ろうとしたりしたけど、神木君はその全てを流れるような動きで躱し、足を払って転がせた。


「まるであの時の……」


 隣で瑠奈がボソッと呟く中、あたしはあの出来事を思い出す。

 元マネージャーに組み伏せられ、もうダメだと思った時に助けてくれた彼を……あの時の彼は狐の面を被っていたけれど、あれはやっぱり神木君だったんだ。


「っ……♪」


 分かってはいた……分かってはいたよ?

 でもあの時の彼は尋常ではない様子だったし、あんな巨漢を簡単に相手していたからどうにも普段の神木君とギャップが強すぎた。

 それでもあたしは神木君と彼は同じだと確信してた……それが今、絶対以上の確信となった。


「二度と母さんに手を出すんじゃねえぞ」

「ひぃっ!? わ、分かった!」

「分かったから許してくれぇえええええ!!」


 男性二人と、その後ろに居る女性の怯え方は異常だった。

 まるで神木君ではない何かが見えているかのようで……それこそ、鬼やお化けでも見てしまったかのような怯え方だ。


「……いや、許せるわけないよな。だって母さんだぞ? こいつらは母さんに……っ!」


 っ……!?

 怖いと、あたしはそう思ってしまい瑠奈の手を握った……すると瑠奈もまたあたしの手を握ってきたので、たぶん同じように神木君を怖いと思ったのかもしれない。


「っ……あ」

「がっ……」


 バタッ、バタッと泡を吹いて倒れた男性二人。

 その表情に浮かぶのは正しく恐怖そのもので、女性たちが必死に男性を引き摺るようにして逃げていくけど、その女性たちもガクガクと足を震わせてお漏らししていた。


「瑠奈! 莉羅ちゃん!」

「っ!?」

「……お母さん?」


 麗奈さんの声に、ハッとするように我に返った。

 神木君たちのやり取りに注目は不思議なほど集まっていないが、それでも見ていた他の人たちはあたしたちと同じように呆然としている。


「そのまま永遠に勃たなくして……女性の方はそうだなぁ……うん?」


 そんな時、神木君がこちらを見た――その瞬間、雰囲気が変わった。

 視線が合った時の彼は既に怖いとは思えず、いつも学校で見るような雰囲気に戻っている。


「藍沢に中里……それに麗奈さん?」


 目を丸くして歩いてきた神木君――でもおかしい……麗奈さんの名前呼びに、あたしの中の何かが燻った。


「その……見ちゃってた?」

「……えぇ」

「……うん」


 あたしと瑠奈は、正直に頷いた。

 神木君は頭の後ろに手を当てながら笑っていたが、それと同時に頬を涙が流れていた。


「……あれ?」


 神木君もどうしたんだと困惑したかのように、流れ出る涙を拭う。


「あぁそうか……俺、ずっと不安だったんだ……母さんの身に何かあったらどうしようって……間に合わなかったらどうしようって」


 自身の手を見つめるように、ただただお母さんを助けられて良かったと神木君は呟く。

 心から安心したかのように、けれども不安に身を震わせるように。


「……ってごめん! こうして会ったけど、父さんを待たせてるから……また月曜に学校で!」


 そう言って神木君は背を向けて走って行った。

 その背中をジッと見つめながらあたしは思う……あんなに神木君は強くて優しいけれど、それでも不安に思ってあんな表情をするんだ……涙を流すんだって。


「……放っておけないね」

「……放っておけないわね」


 あたしの呟きに被った瑠奈の声は、聞こえなかった。

 でもそんなことは気にならなかった……だってあたしはもう、神木君のことばかりを考えていたから。


「……あはっ♪」


 見つけちゃった……ううん、もう見つけてたんだよ。

 あたしの王子様ってのをさ!






 これは余談だが、とある男性たちは女性と話をしようとしたら凄まじいまでの恐怖がぶり返すようになり、男としての機能が全く意味を為さなくなったとか。

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