母さんを助けに行こう

 混沌とはカオスであり、カオスは混沌である。


(……って何を考えてんだ俺は)


 冷静な心の中のツッコミはともかく。

 今の状況は中々に特殊というか、どうすれば良いのかよく分からない状況に陥っている。


(麗奈さんとバッタリ出会って、そんでもって次は絶賛話題沸騰中の徳永と出会うとか……しかも、徳永のこっちを見る目が凄いというか……めっちゃ衝撃を受けてるように見えるのは何故?)


 俺と麗奈さんを行ったり来たりする徳永の視線は、今まで見てきたことがないものだ。

 俺から見る徳永はいつもイケメンで余裕な態度を崩さず、喋り方や振る舞いに嫌味は一切なく、どこまでも出来た人間だったから。


「雲雀君?」

「……麗奈さん」


 麗奈さんが徳永に近付いていくが、やっぱり麗奈さんは藍沢が徳永と別れたことは知らないみたいだな……そう考えれば徳永が気まずそうにしているのも分かるけど、それだけじゃない気もするな。

 とはいえ俺に出来ることはないし、かといって黙ってこのまま居なくなるのもどうかと思うし、一旦見守るとするか。


「麗奈さんは、そいつとどういう……?」


 しかし、どうも完全な部外者とはいかないようだった。


「神木君? 神木君とは偶然知り合う機会があったのよ」

「それだけですか?」

「えぇそうよ。まあでも、ただの知り合いという言葉で片付けてしまうのは寂しいかしら。だってそれくらい彼のことは信頼しているもの」


 麗奈さんは、こちらに振り向きながらそう言った。

 言われていることは凄く嬉しいはずなのに、笑みを浮かべる麗奈さんとは対照的に徳永の表情は険しさを増していくせいでちょっと怖い。


(でもそうか……あの出来事でそこまで信頼してもらえてんだな)


 そのことを嬉しいと思ったのも束の間だった。


「俺……瑠奈と別れました」


 その徳永の一言は、全ての音を置き去りにするような重みがあった。

 俺は既に知っていたので衝撃はないが、麗奈さんは少しばかりその言葉に対する返事が遅くなるくらいには驚いたようだ。


「……そう」


 麗奈さんの返答は短かったが、それだけ衝撃だったのかもしれない。

 そこから徳永は何も言わなかったが、最後に俺を一度睨んでから背を向けて走って行った。


(……何もなかったな)


 拍子抜けと言ったら悪いかもしれないが、もっと面倒な何かが起こると思っていただけに気が抜けたのは確かである。


「神木君は知ってたの?」

「えっと……はい」

「そうだったのね……まあでも、最近の瑠奈の話を聞いていたらこうなるのも予想出来ていたから」

「徳永は……いえ、何でもないです」

「そう?」


 徳永は藍沢よりも麗奈さんの方を好きになってしまったのでは、なんてことを言いそうになったが口を閉じた。


「ごめんなさいね? ちょっと変な空気になってしまって」

「いえいえ、俺の方は全然大丈夫ですから」

「……ふふっ」

「麗奈さん?」


 いきなり笑い出した麗奈さんに首を傾げた。


「少し昔のことを思い出したのよ――かつて同級生だった夫と偶然街中で出会った時に、余所見をしていた人が背中からぶつかってきて……それで夫に抱き留められたことがあったの」

「へぇ……」

「その時に夫に受け止められたことと、掛けられた優しい言葉が私に意識させるきっかけになったの。だから正に神木君とのやり取りがあの時の再現みたいで思い出しちゃったわ♪」

「っ……」

「あら、照れちゃった? 可愛いんだからもう♪」


 いやいや、夕陽を背に笑った麗奈さんがあまりに綺麗だったから!!


(なあ徳永……お前に睨まれたこととか、色々と言いたいことはあるけど俺は頭ごなしに否定しないぞ。こんな人と一緒に居たら……そりゃ心惹かれるわ)


 大人の余裕というか、包容力を感じさせるのはもちろんだけど……喋り方や接し方がこちらに寄り添ってくれているのを感じる。

 藍沢に魅力がないなんてことはあり得ないが、それでもこんな人が傍に居たら好きになっちゃっても仕方ないのかな……?


「ちなみに、徳永ともこんなやり取りはしました?」

「え? あぁそうね……瑠奈のことで相談に乗ることもあったし、こういうやり取りは何度かあったかもしれないわ」


 あ、それだわきっと。

 まあ徳永が言ったわけでもなく、麗奈さんのことを好きじゃないかと思ったのはあくまで俺の勝手な思い込みだがな。


(仮にそうだとしても、徳永が藍沢にもっと寄り添ってあげるべきだったという意見は俺も一緒だけどさ)


 その後、麗奈さんと別れて帰路についた。

 特に何事もなかったとはいえ、流石にあの僅かなやり取りを見守るだけでも気を張り詰めてしまった。


「ただいま~」

「おかえりなさい」


 家に帰ると母さんが出迎えてくれた。

 さっきの麗奈さんとのやり取りに何かを思ったわけじゃないが、自然にこんなことを口にしていた。


「母さん、いつもありがとな」

「……なに?」


 一瞬ギョッとされたが、すぐに母さんは近付いて抱きしめてきた。


「正人もありがとね。こんなに大きくなってくれて」

「……………」


 やっぱり家族って最高だなと、俺はそう思わずにいられない金曜日だった。そして――母さんが同窓会に行く土曜日の到来だ。



 ▼▽



 土曜日。

 母さんが夕方に同窓会へ行ったことで、夕飯は父さんが寿司を買ってきてくれたのでそれを食べた。


「それじゃあ風呂に行ってくる」

「うい~」


 父さんが風呂に向かい、俺は適当にテレビを見ながら時間を潰す。

 ふと時計を見ると時刻は八時半ということで、確か遅くなってもこのくらいの時間に連絡するって言ってたか。

 久しぶりの同級生との再会だし、楽しめるならもっと遅くまで楽しんでも良いとは思うけど……なんて思ったところで、リビングに置いてある父さんのスマホが震えた。


「母さんか?」


 画面を見るとやっぱり母さんからだったので、父さんが風呂に行っていることもあって俺が出ることにした。


「母さん?」

『あれぇ……? 正人なのぉ?』

「うん……大分酔ってるね」

『ちょっと飲みすぎちゃったかもねぇ……パパはぁ?』


 わお……酔った時限定のパパ呼びだ。


「風呂行ってる。迎え?」

『言ってくれるぅ? ……あ』


 ガタガタと、スマホが転がる音が聞こえて思わず耳を離す。

 完全にスマホを落としたなと呆れたが、次に聞こえたのは母さんの声ではなかった。


『もしもし? えっと、息子さんだっけ? 那智はこれから二次会に連れてくからまだ迎えは大丈夫だよ』

「……え?」

『ま、二時間くらい後かな? そういうわけでよろしくぅ』

「ちょ、ちょっと!?」


 そうして一方的に通話は切られた。


「……二次会?」


 二次会は別に珍しいことではないだろうが、それにしては母さんが何も言わなかったことに違和感を抱く。


「まさかな……」


 その瞬間、今度は俺のスマホが震えた。

 真っ赤に点滅する画面が示すのはネトラセンサーの反応――あまりにも絶妙すぎるタイミングが、俺の中にあった違和感を嫌な予感へと変えた。


「……………」


 ネトラセンサーの反応だけでは、誰がというのは分からない。

 それでもこの胸に抱いた嫌な予感を信じるならば、母さんの身に何か良くないことが起きそうな気がする。


「良い湯だった……って正人? どうしたんだ?」


 リビングに戻ってきた父さんに、俺はすぐ叫んだ。


「父さん! 今すぐ母さんを迎えに行こう……嫌な予感がする!」


 父さんからすれば何のことか分からないだろう。

 それでも俺の言葉を聞いた父さんは、すぐに表情を真剣なモノへと変えて頷いた。


「分かった。すぐに車を出す」

「……ありがと」


 もしもこれで俺の嫌な予感が杞憂であり、母さんが無事だとしてもこの判断を後悔はしない……何故かと言われれば、母さんの方が大事だから。



 ▼▽



「全く……別にこんなことしなくて良かったのに」

「まあまあ♪ 良いじゃん良いじゃん」

「……はぁ」


 疲れたように息を吐く瑠奈の頭をあたしは撫でた。

 瑠奈が徳永君と別れたということで、全然心配は要らなかっただろうけれど慰め会を実施したの。


「それでも大分食べてたみたいだけど?」

「っ……だって美味しかったもの」

「瑠奈ってば可愛い~!」


 顔を赤くする瑠奈に思いっきり飛びつく。

 あたしと瑠奈のやり取りに麗奈さんが微笑む……まあでも、本当にここまで心配は要らないくらいには気にしてないんだねぇ。


「でもさ、これくらいは良いじゃん……他でもない親友のことだもん」

「莉羅……うん、ありがとう」

「どういたしまして♪」


 あたしが大変な時に寄り添ってくれたからこそ、あたしもたとえ必要がないと言われたとしても、少しは寄り添ってあげたいから。

 そんな風に瑠奈に抱き着いたあたしは、それとなく瑠奈のおっぱいを揉んでみる。


「柔らかくて気持ち良いねぇ♪」

「自分のを触りなさいよバカ」

「だって自分のを触っても嬉しくないし?」


 なんて、そんなやり取りをしている時だった。


「……あ」


 あたしはそこで、険しい表情を浮かべる彼を……神木君を見つけた。


「神木君?」


 瑠奈も気付き、視線は彼の姿を追いかけていく。

 もちろん視線で追うだけで満足出来るわけもなく、あたしたちは彼を追いかけた。


「あ……」

「……………」


 そこであたしと瑠奈は、見てしまった。

 脳裏にこれでもかと焼き付けることになる光景を……彼の強さと優しさに夢中になるその瞬間だった。

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