第2話 邂逅①

◆邂逅


 それは会社の帰りの夕暮れのことだった。

 普段は車通勤だが、車検に出していたこともあり、その日はめったに乗らないバスだった。代車の案もあったが、断りを入れた。

 自宅から20分ほどバスに揺れ、電車に乗って徒歩で会社に着く。車だと、30分ほどの通勤時間が、一時間もかかる。

 時間は長いが、電車は須磨の海を眺めることも出来るし、バスの田舎道も悪くはない。

 駅のある海辺から自宅までのバス道は、山に上がるにつれて静かになる。南にあった賑やかさが180度変わる。まるで緑葉が枯れ葉に変わるかのようだ。そんな風景の移り変わりが私は好きだった。

人家は少なくなるが、乗客が少ないわけではない。むしろ多い。その理由は、戸建てにしろ賃貸住宅にしろ、北に行けば行くほど地代が安くなるからだ。

 私もそれに釣られて引っ越した一人だ。越してもう10年になる。家族は妻と一人娘だけだ。


 帰宅の時間は遅くなるが、たまにはバスも悪くない。そう思いながらバスに揺られていると、踏切の警報音がカンカンと鳴った。ここの踏切は長いので有名だ。

 夕暮れ時、踏切の音を聴くと、どこかの世界に引き込まれそうな感覚に陥る。

 遮断機の信号の音や、その向こうに広がる赤く染まった空にはそんな力がある気がした。

 そう思いながら窓の外を見ていると、ぐらっと立ち眩みが襲った。

 慌てて正気に戻すと、

「北原くん?」

 私を呼ぶ声が聞こえた。

 声のした方に目をやると、眼鏡の女性が吊り革を持つ私をシートから見上げていた。

 私より10歳くらい上の女性だった。おそらく勤め帰りだろう。どこかのOLのような格好だ。短めのタイトスカートから剥き出た太腿が扇情的に映る。

 それ故、目線をそらしながら女性の顔だけを見るように努めた。


 女性は私と目が合うと、少し目を細めて、「やっぱり、北原くんだわ」と言った。

 間違いない、女性の表情にはそんな確信めいたものが見られた。

「お久しぶりね」

 女性は微笑みを浮かべたが、私は戸惑うばかりだ。

 誰だったか?

 私は少ない記憶を手繰り寄せた。すると、すぐに彼女の記憶が鮮やかに蘇った。

「先生!」

 私は思わず声を上げた。

 思い出すのに少し時間がかかったのは、20年以上の時間が彼女との間に横たわっているからだ。

 お互いにその容姿が変わってしまったが、忘れるはずもない。

 彼女は、高校の時の英語の教師だ。担任ではないが、担任以上に憶えている。

 十代の頃、先生は30歳前後だったはずだ。

 一度思い出すと、次々に先生に関する記憶の片鱗が目に浮かび、それが繋がっていった。

 まず先生の名前は、森園瑛子さんだ。

 名前を思い出すと、教室での授業風景が浮かんだ。黒板の前にスッと立っている先生の姿だ。同時にその声や、仕草までが映像のように蘇った。

 最初、先生の特徴は、厳しいイメージだった。余談もしないし、冗談も通用しないことで有名だった。

 生徒たちは陰で、先生のことを「堅物女」とか、「色気がない」と言ったりしていた。中には、そんな年齢でもないのに「眼鏡おばさん」とか酷い悪口を言う奴もいた。

「眼鏡おばさん」は言い過ぎだが、「堅物」というのは的を得ていた。

 それくらい先生は真面目過ぎるくらいに真面目だった。

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