第24話 陛下の逆鱗➀



「うっ……ぅ」


 沈んでいた意識が浮上していく。

 重い瞼をゆっくり開けると、視界に映ったのは城にある私の寝所の天井でした。

 どうしてここに……。


「目を覚ましたのか」

「へ、陛下!」


 ガバリッ、と跳ね起きる。

 枕元に陛下がいたのです。

 でもいきなり起きたので頭がくらりとしてしまう。

 倒れそうになったところを陛下に受け止められました。

 変化の大きな手が私の肩を支えていて動揺してしまう。


「陛下……」

「まだ横になっていろ」

「も、もう大丈夫ですから……」

「ならばここにいろ」


 陛下はそう言うと私の背中にクッションを置いてくれました。

 思わぬ気遣いに困惑してしまう。

 でもそれどころではありません。私は殿下を危険な目に遭わせたのです。


「陛下、殿下は大丈夫ですか!? 殿下は今どこにっ」

「エヴァンなら心配ない。今は部屋で休んでいる」

「そうですか……」


 あの時、私は殴られて意識を失ってしまいました。

 もし殿下も同じ目に遭っていたらと思うと……。

 殿下はまだ幼い子どもです。あんな場面は見せてはいけないものでした。


「……あのあと何があったんですか。教えてください」

「男は護衛兵に捕縛された。今は収監している」

「収監……」


 息を飲みました。

 どうやら殿下の護衛兵がすぐに男を取り押さえたようでした。

 私は小さく息を吐く。そして陛下に向き直りました。


「陛下、今回の騒動は私の責任です。大変申し訳ありませんでした。なんなりとご処分ください。どんな処分でも謹んでお受けいたします」


 深く頭を下げました。

 そして懇願します。


「コリンのお父さまを釈放してください! あれは腕が当たっただけの事故なんです! どうかっ、どうかよろしくお願いいたします……!」


 正直、あの男の安否など私には関係ありません。どうでもいいです。

 でも、あのような男でもコリンの父親なのです。

 コリンの目の前で捕縛されて連行されたのでしょう。その光景はコリンの心に刻まれてしまっているはずっ。だからどうか、どうかっ……!


「陛下、お願いします! 事故なんです! だからどうか釈放してあげてください!」


 私は必死にお願いしました。

 陛下の視線を痛いほど感じます。

 縮こまってしまいそうな威圧感に息が詰まってしまいそう。

 重い沈黙が落ちました。

 でも少しして陛下が口を開きます。


「……もういい、顔をあげろ。暴漢に襲われたお前を処罰するつもりはない」

「そ、それなら」

「だが、あの男はそれなりの処罰を受けてもらう。お前に暴行した。それを許すことはできない」

「陛下! そう言わず、っ」


 追い縋ろうとして、言葉が止まりました。

 言葉が続けられなかったのです。

 陛下が怒っていました。

 声を荒げるでもなく、憤怒で荒れるでもない。でも嵐の前の静けさのような静謐な怒りを纏っていたのです。

 私は言葉がでてこない。陛下の怒りの前ではどんな言葉も届かない気がして、恐ろしくて。

 また重い沈黙が落ちました。

 でも少ししてバタバタと子どもの足音が近づいてきます。

 バタンッ!


「マリス、目がさめたのか!」


 寝所に飛びこんできたのはエヴァン殿下でした。

 殿下は私を見ると泣きそうな顔になります。でもグッと唇を噛みしめると私のもとに駆け寄ってきて、飛びつくように抱きついてきます。


「マリス、マリス、大丈夫か? どこか痛いところは!? どうしてぼくを庇ったんだバカ!!」

「で、殿下……」


 ぎゅ〜っと強く抱きつかれて困惑してしまう。

 私は少し迷うように両手を彷徨わせましたが、意を決してぎゅっと抱きしめました。


 ああ……、ため息が漏れましたよ。


 抱きしめた瞬間、両腕が甘いぬくもりに満ちて心が安堵で満たされていく。

 怪我はしていないのですね。よかったです。ほんとうに。


「殿下、あなたがご無事でなによりです」

「うん。でもマリスがなぐられた」


 殿下はその時のことを思い出したのか、顔を怒りでいっぱいにしてしまう。

 そして枕元にいる陛下に嘆願します。


「兄上、あの男を処刑してください! あいつはマリスを殴ったんだから暴行罪です! 不敬罪もあわせたら、こんなの処刑でもたりません!!」

「殿下、そんなことを言ってはいけません!」

「どうしてだ! あいつはマリスをなぐったし、ひどいこと言ったんだ! 許しちゃダメだ!!」

「殿下、どうか落ち着いて……」


 癇癪を起こしたように怒鳴る殿下に困惑しました。

 生意気なところがある子どもですが、こんなふうに感情を荒れさせることはなかったのです。

 動揺してしまいましたが、殿下の瞳いっぱいの涙を見ると胸が痛いほど締めつけられました。


 ……ああ、あなた怖いのですね。怯えているのですね。


 無理もありません。あなたはまだ八歳の子どもなんですから。


「ごめんなさい。殿下に怖い思いをさせました。ごめんなさい」

「どうしてマリスが謝るんだ!」

「私が簡単に殴られたりしなければ、殿下をこんなに悲しませませんでした。ごめんなさい」

「っ、マリス……」


 私は安心させるように笑いかけます。

 そして手を殿下の頭に乗せました。いいでしょうか、なでなでしても。いいでしょうか。

 身分を思って躊躇しました。

 でも慰めてあげたい気持ちに突き動かされて、……なでなで。なでなで。


「ぅっ、まりす……」


 殿下が震える声で私の名を呟きました。

 殿下の瞳がまんまるになって、かわいいですね。あなた、とてもかわいい。


「私はもう大丈夫です。殿下が守ってくれました。あの時の殿下の御姿はとてもかっこよかったですよ」

「…………かっこよかった?」

「はい、とても」


 私が笑顔で頷くと、殿下がまたぎゅっと抱きついてきました。

 なでなで。私は殿下をまたなでなでしてあげます。

 すると殿下は気持ちよさそうに目を細めて、あなた、やっぱりかわいい。

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