第19話 殿下はプンプン


 私が貧民区に通うようになって一カ月ほどが経過した頃でした。

 私の毎日の予定は、午前中はエヴァン殿下を講義に送りだしてから市場いちばに行きます。市場では買い出しと私財の換金です。

 昼頃に一度城に帰らなくてはいけません。殿下の休憩時間なので私もそれに合わせて帰城です。これは世話役として大切なお役目ですから。

 殿下を午後の講義に送りだしたらまた貧民区へ行きます。食料など支援物資を配ったら子どもたちと畑を耕すのです。

 それが終わったら城に帰ってすぐに入浴しています。農作業後の姿で城内をうろうろするわけにはいきませんからね。

 というわけで、私は今日も昼頃に城に帰ってきました。

 身支度を整えて講義が終わった殿下を出迎えます。


「殿下、今日の講義もお疲れさまでした。昼食の支度は整っていますので、どうぞこちらへ」

「ん」


 殿下はムスッとした顔で頷くと昼食のテーブルに着席します。

 私は首を傾げてしまう。

 どうしたのでしょうか。いつもより不機嫌なような?

 といっても殿下は基本的にいつも不機嫌です。外面は優等生の殿下なので陛下やおおやけではかわいい王子様をしていますが、隠す必要のない場所ではときに傍若無人の不機嫌なわがまま王子になることもあるのです。

 芋団子を一緒に食べた時は少しは打ち解けた気持ちになったんですが、どうやらそれは勘違いだった可能性があります。だってその時から生意気度とワガママ度があがったのですから。


「殿下、お疲れのようでしたら少し休まれますか?」

「べつに」


 ツンとした口調で返事をされました。

 生意気な。なんですかその返事は。

 でも殿下はムスッとしたままで給仕に命じます。


「食事にする」


 そのひと言で給仕や侍女が動きだします。

 殿下は給仕を一瞥すらせずにナイフとフォークを使って食事です。八歳の子どもながら優雅な手付きですね、作法も完璧です。さすが帝国の殿下でいらっしゃる。

 私はその姿を見つめていましたが、ふと殿下が食事をしながらぽつりと言葉を漏らします。


「…………いつまで行くつもりだ」


 小さな呟き。

 それは聞き間違えかと思うほど小さくて……。


「殿下、なにかおっしゃられましたか?」

「っ、だから、いつまで貧民区に行くつもりだってきいてるんだ!!」

「わあっ! そんな大きな声で……」


 突然でびっくりしたじゃないですか。

 でも内容のほうにもびっくりですよ。

 まさか私が貧民区に通っていると知っていたなんて……。

 私は誰にも話していません。外出届は毎回必ず提出しているので話す必要がなかったからです。


「知っていたんですか?」

「……侍女たちが噂してた」

「なるほど。それなら知られて当然ですね」


 人の噂を止めることなんて不可能です。

 きっと誰かに見られて噂されていたのでしょう。とくにバレて困ることはありません。

 でも殿下はムスッとした顔で聞いてきます。


「それで、いつまで行くつもりだ!」

「いつまでと言われましても……」


 答えなんかありません。あえていうなら貧民区に誰もいなくなるまで、でしょうか。貧民区の人々が自立して誰もいなくなったらもう必要ありませんから。

 でもそれはあまりに非現実的で返事に困ってしまいます。

 しかし返事に悩んでいる私に殿下がイライラしていました。意味が分かりません。


「殿下、先ほどからなにをイライラしているんですか?」

「してないっ」

「しています」


 基本的にいつも不機嫌な殿下ですが、今日はいつにも増して不機嫌です。

 しかも幼い子どもが癇癪を起しているようなプンプンの不機嫌。

 殿下はまだ八歳なので年相応といえばそうなのですが、いつにない様子でした。


「殿下?」


 顔を覗きこんでみます。

 すると殿下はムスッとしたまま目を逸らしてしまう。

 ……これ、もしかして拗ねていませんか?

 至近距離でじーっと見つめていると、殿下が目を逸らしたまま口を開きます。


「……マリスは、ぼくよりも貧民区のほうがいいのか?」

「ッ!?」


 思わず口元を手で覆ってしまいました。

 この子、今なんて!? いいえしっかり聞きましたとも! もしかしなくても、それは嫉妬!

 芋団子の一件でワガママ度と生意気度があがっていたので打ち解けたのは勘違いだと思っていましたが、どうやら殿下は殿下なりに思うところがあったようです。かわいいところもあるじゃないですか。


「そんなことありません。殿下は殿下ですよ」

「でも、貧民区ばっかり行ってるだろ! ぼくはしってるんだぞ、市場いちばの苗木屋さんで『なんですか、この苗はっ。売り物にしてはヘタクソですね!』て文句いってたのを! 侍女が見たって!」

「そんなところも見られていたんですか……」


 考えていたよりも侍女は市場をうろうろしているようです。

 私は誤魔化すようにコホンッと咳払いを一つ。

 殿下が部屋に入ってきた時からムスッとしていた原因が少しだけ分かった気がしました。

 ごめんなさい。寂しい思いをさせてしまったようです。


「殿下、よかったら一緒に行ってみませんか?」

「ええ!?」


 殿下が目を丸くしました。

 びっくり顔の殿下はいつもよりかわいく見えます。

 だからもう一度提案してあげます。


「私と一緒に行きませんか? いい気分転換になると思いますよ」

「ぼ、ぼくが貧民区へ!? そんな勝手にっ、でも、ちょっとくらい、でもでも」


「でもでも」と動揺しまくる殿下。でもその顔は期待を隠しきれていません。

 行きたいのですよね。動揺しながらも瞳が期待に輝いています。この輝きは消したくありません。

 殿下の外出にはたくさんの制約が必要でしょう。なりより皇帝陛下の許可が必要になります。

 私は大きく深呼吸して決意する。皇帝ヴェルハルト陛下にお願いをしてみようと。

 ひどく叱られてしまうかもしれません。激怒されて世話役を辞めさせられるかもしれません。最悪の場合はヘデルマリアまで処罰対象になることもあるでしょう。

 でもね、でも今はどうしても殿下と一緒に外出してみたかったのです。




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