第18話 許されない恋心
私が貧民区に通いだして三週間が経過しました。
エヴァン殿下の講義中しか城の外に出られませんが、外に出られる時間はめいいっぱい使います。市場に配給物資の買い出しに行ったり、資金調達のために私財を売りに行ったり、貧民区の畑のお手伝いをしたり。前世で家庭科や理科の授業を真面目に受けておいてよかったです。
そして私は私財を売りだしてから毎日の衣装が変わりました。
身の回りから自分の持ち物がなくなっていきますが、とくに困ることはありません。人質なので食事など必要最低限のものは帝国が用意してくれるのです。
衣装や装飾品まで用意してくれることには驚きましたが、おかげでヘデルマリアから持参した衣装など私財を売ることができます。
「マリス様、こっちの畑に肥料を撒きおわりました!」
「ありがとうございます。上手に撒けていますね」
「マリスさま! こっちもおわったよ〜!」
「とても上手に撒けましたね。きっと大きなお芋が育ちます」
褒めると子どもたちが嬉しそうな笑顔になって、はりきって農作業を続けます。
元気な子どもたちの姿に目を細めました。
貧民区に通いだしたばかりの頃は、子どもたちの表情も疲れきっていました。いつも無表情で食べるものを探していたのです。
それが徐々に顔が
私が最初に知り合ったコリンを中心にして貧民区の子どもたちがまとまりだしました。
変わっていく子どもたちの姿は頼もしいものです。
「この苗はあまりよくありませんね。今度買い付けに行ったら文句を言わないと……」
購入したばかりだというのに枯れている苗を発見しました。
ときどき腐っていたり枯れていたりするのです。苗を植える前にひとつひとつチェックしないと、せっかく畑に肥料を撒いても意味はありません。
こうして苗の仕分け作業をしていましたが、ローブの裾にパラパラと土が落ちました。
「あ、いけませんね」
パッパッとなにげなく手で払う。
でも土は繊維に入りこんでしまって薄っすらと広がってしまいました。
……どうしましょう。なんとなく気になってしまう。
畑仕事をしているのですから汚れるのは当たり前です。今まではこれくらいの汚れは気にもしませんでした。
でも今、この土の染みが気になってしまう。どうしても目について、気にしてしまう。
その理由は分かっていました。
私は思い出すと、なんとも複雑な気持ちになって小さなため息をつく。
それは昨夜の夕食のことでした。
相変わらず食事はヴェルハルト陛下やエヴァン殿下と一緒でした。
なかなか慣れない緊張感に相変わらず食事の味を楽しめません。どれもとても美味しいはずなのに、目の前の陛下の存在感が強すぎるのです。食事中は粗相しないで食べ終わることが目標でした。
でも昨夜は少し違いました。
陛下がじっと私を見ていたのです。不思議に思っておずおず見つめ返します。
「陛下、どうされました?」
「……最近、服が変わったな」
「え? ……あ。は、はいっ。ありがとうございます……」
私は内心驚きつつも答えました。
陛下が私の衣装が変化したことに気づいていたのです。人質の服装など気にされないと思っていました。
しかも驚きはまだ続きます。
「よく似合っている」
「え?」
…………似合っている?
意味を理解した瞬間、カッと顔が熱くなりました。
誤魔化しきれないほど顔が赤くなってしまって焦ってしまう。
視線を彷徨わせながら、正面の陛下をちらりと見て……。
え?
もしかして……うれしいのですか?
陛下の口元が小さくほころんでいたのです。
それはよく見なければ見落としてしまいそうな小さな変化ですが、たしかに笑っていました。
…………陛下、あなたは私が帝国に用意された衣装を着ると嬉しいのですか?
ただそれだけなのに……嬉しいのですか?
そんなはずないと思うのに、わずかに見えた陛下のほころび。
どうしてでしょうね。たったそれだけのことなのに私の胸がざわざわ騒いだのです。
それは一度終わったと思った恋を甦らせてしまいそう。
でもそれは甦ってはいけないもので、胸の奥に押し込めました。
だって私は敗戦国からきた人質なのです。許されない恋でした。
私は昨夜のことを思い出すと、また無意識にため息をついてしまいました。
昨夜のことは現実感がなくて夢でも見ていたのかと思うほど。相手は冷徹と噂される皇帝だというのに……。
こうして考え込んでしまっていると、畑の入口がにわかに騒がしくなりました。
「おい、出てこい! ここでガキどもを集めてる奴はどこだ!」
「やめてっ、やめてよお父さん……!」
そこにいたのはコリンと大人の男でした。
どうやらコリンのお父さまのようですね。
しかもコリンのお父さまは私を探しているようです。
私は立ち上がるとコリンたちのところに足を向けました。
「初めまして、あなたがコリンのお父さまですね。私はマリスと申します」
自己紹介してお辞儀しました。
近づくと分かります。まだ陽が高いうちだというのにアルコールの臭いがしました。
男は今にも掴みかかってきそうな形相で怒鳴ってきます。
「てめぇがコリンを畑仕事ばっかさせるせいで、こいつの稼ぎが減ったんだ! どうしてくれる!! 責任取れんのかよ!!」
「畑仕事は投資のようなものだと思ってください。手間をかければかけるほど後々の実りが多くなるというもの。それに食事は配給があると思うのですが」
「馬鹿かっ、酒は配給にねぇだろ! なにが投資だ! 貴族の道楽で俺たちにほどこしかよ! 俺たちにほどこしたけりゃ酒でも配ってくれよ!」
「お父さん、やめてよ! マリス様、ごめんなさい! すぐに連れていきます!」
コリンは泣きそうな顔で私に謝ると、父親を引っぱって畑から出て行きました。
「……貴族の道楽ですか。それだったらどんなにいいか」
ぽつりと呟きました。
ここの子どもたちも私がヘデルマリア王国からきた人質だとは知りません。貧民区の人々は私のことをどこかの貴族とでも思っているようです。『貴族が道楽でほどこしをしている』と嫌味に思われていることも知っています。
私はコリンが見えなくなるとまた仕分け作業に戻りました。
この世界は理不尽な不幸や不運があふれています。ここは前世とは違う世界ですが、そういうところは同じなのですね……。
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