第20話 似たもの兄弟


◆◆◆◆◆◆


 最近、いろいろ変わった気がする。

 ヴェルハルトは気づいていた。

 まず先日からマリスが帝国で用意した衣装を着るようになった。どんな心境の変化か分からないが、帝国の衣装を着るということは帝国への印象が軟化している証拠だ。話したわけではないので確信はないが、だいたいそういうものだろう。


(あれは良かった……)


 ヴェルハルトは報告書を真剣な面差しで眺めながらも、マリスが初めて帝国の衣装を着た時のことを思い出していた。

 目の前には報告書を提出した士官が直立不動で立っているが今のヴェルハルトには見えていない。思い出の反芻はんすうが最優先である。

 あの衣装はヴェルハルトが直々に命じて仕立てさせた衣装だった。

 絶対似合うと思ったのだ。ヘデルマリアから持ってきていた衣装も悪くなかったが、ヴェルハルトとしては自分が仕立てさせた衣装もずっと着てほしいと思っていた。

 念願が叶って気分がいい。また新しく衣装と靴と装飾品を仕立てるように命じたところだ。喜んでくれるだろうか。

 ヴェルハルトは初めて褒めた時のことを思い出す。


『よく似合っている』

『え?』


 マリスの形良い瞳が大きく見開かれた。

 こんな表情もするのかと見つめていると、マリスの顔がカッと赤くなったのだ。あれはとてもいい反応だった。


(あの時、たしかに俺たちは見つめあっていた。すごくいい雰囲気になってた気がするな……)


 我ながら最高のタイミングで最高の言葉を贈った気がする。


「あれはよかった。悪くない……」


 陛下がぽつりと呟いた。

 瞬間、報告書を提出した士官が涙ぐむ。


「はじめてだ……。はじめて陛下に褒められたっ」

「良かったな、お前。ずっと陛下に認められたいって頑張ってたもんな」


 執務室の片隅で士官たちが喜びを分かち合っている。

 もちろんヴェルハルトの視界には入っていない。

 そしてそんな執務室のカオスをグレゴワールだけがひらたい目で見ている。

 だが、機嫌がよかったヴェルハルトが今度は眉間に皺を刻んだ。

 なにか考え込むように腕を組みだして、その姿は士官たちを震え上がらせる。

 見ていられなくなったグレゴワールは「仕事の続きは別室でしろ」ととりあえず執務室の士官たちを退室させた。これでは仕事にならないからだ。


「陛下、いい加減にしたまえ。さっきからなんだ。ニヤニヤしたと思ったら、急に気難しい顔で悩みだしたりして」

「マリスのことを考えていた」

「そうだろうね。だいたい分かる。だがそれであんなひどい顔をするのか。士官が怯えていた」

「俺がマリスのことでひどい顔なんかするわけないだろ。エヴァンのことだ」

「エヴァン殿下?」


 意外な名前にグレゴワールも少し驚いた。

 そう、ヴェルハルトが急に気難しい顔になったのはエヴァンのことを思い出したからだ。


「あいつ少し変わったか?」

「さて」

「この前、俺に突っかかってきたんだ」

「それはたしかに妙だな」


 グレゴワールもようやく納得した。

 エヴァンは陛下である兄上の前では基本的に優等生である。兄弟なのにエヴァンは怒ったり突っかかったりしたことなど一度もなかったのだ。

 だがこの前、ヴェルハルトの執務中にエヴァンがムスッとした顔でやってきたのである。

 しかもエヴァンは講義中だったというのに専属講師にワガママを言って抜け出してきた。


『兄上、どういうことですか。マリスはぼくの世話役じゃなかったんですか? 毎日どこか行ってるんです』

『それはお前が講義中のことだろ。その時間はマリスの自由時間だ』


 外出届が出ていることは確認しているし、制約が破られたこともない。ならばその時間はマリスの自由時間である。

 ヴェルハルトとて『どこへ行くんだ』『誰と会うんだ』『なにしに行くんだ』『いつ帰ってくるんだ』『俺も一緒に行きたい』などなど言いたいことはたくさんある。だがそういうのはかっこよくない。束縛する男だと思われたくないので我慢している。

 だが八歳のエヴァンは苛立ちが隠し切れない。

 ムスッとした顔をますますムスッとさせた。


『そうですけど、そんなのやっぱりおかしいです……。だって、ぼくの世話役なのに』


 納得いっていないようだった。

 とりあえず弟の訴えを聞いたが、これはエヴァンのワガママだ。

 珍しいのでとくになにもしなかったが、珍しいことなのでよく覚えている。

 ヴェルハルトはその時のことを思い出しながらグレゴワールに話した。


「珍しいだろ? 俺はエヴァンがああいう面倒くさいことを言う奴だとは知らなかった。あれが誰かに執着するなんて初めてだ」

「そうだね、兄弟そっくりだ」

「おい、どういう意味だ」


 ヴェルハルトは思わず突っ込んだが、その時、執務室の扉がノックされる。


「失礼します。少しよろしいでしょうか」


 侍従長だった。

 ヴェルハルトは「入れ」と入室の許可をする。

 侍従長は少し困った顔をしていた。


「どうした」

「それが、陛下に会いたいという者がいるんですが」

「追い返せ。今は忙しい」


 ヴェルハルトは不機嫌に答えた。

 執務中だというのに謁見希望とは無能な者がいたものだ。

 そもそも皇帝に軽々しく謁見できるなんてあり得ないことで。


かしこまりました。ではマリス様にはお断りして」

「ちょっと待て!」


 ガタンッ! ヴェルハルトは椅子を蹴って立ち上がった。

 今マリスと言ったか。マリスが俺に会いたがっているというのか!


「へ、陛下?」

「構わん。会う」

「しかしお忙しいと」

「そんなことはなかった。大丈夫だ。ちょうど暇になったところだ」


 きっぱり答えたヴェルハルト。

 陛下に暇な時間などないのだが、陛下が暇になったと言ったら暇になったのだ。


「すぐに連れてこい」

「か、畏まりました」


 侍従長は恭しく一礼すると待たせているというマリスを呼びに行った。

 それを見送ったヴェルハルトはすぐに執務机の書類を片付け、執務室がかっこわるく散らかっていないか確認する。

 皇帝陛下の政務は多忙を極め、気を抜くと書類が山積してしまうのだ。せっかく稀代の名君と名高いのだから、そんな仕事ができない男みたいな真似はしたくない。

 そんなヴェルハルトを横目にグレゴワールが盛大なため息をつく。


「君という男は……。ほんとに兄弟で似ているよ」


 こうしてヴェルハルトはマリスの入室を許可したのだった。


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