第11話 エヴァン殿下
私はエヴァン殿下の部屋に向かっていました。
殿下のお稽古が終わったので挨拶しなければならないのです。
私が知っている殿下の情報は八歳の男の子ということだけ。
皇帝陛下ご自身から世話役に命じられましたが、殿下に関する情報がなに一つないのです。
……もしかして試されているのでしょうか。
真剣に世話役を探していたというなら事前に任命を知らされるはずです。でも今回の任命はあまりにも突然で、準備する時間も与えられませんでした。
陛下がなにを考えているか分かりません。
でも試されているというなら受けて立つまで。そうでなければ私は帝国で生きていけませんから。
案内されたのは私の部屋から少し離れた場所にある部屋でした。
「ここがエヴァン殿下のお部屋です」
「ありがとうございます」
私は大きく深呼吸すると扉をノックします。
「こんにちは、マリスと申します。ご挨拶にうかがいました」
「どうぞ」
ほどなくして室内から入室を許可されました。
あどけない子どもの声です。
その声に少しだけほっとしました。王弟殿下といえど子どもの声は故郷の孤児院の子どもたちと同じもの。かわいらしい子どもの声です。
「失礼します」
ゆっくり扉を開けました。
広い部屋の中、勉強机に向かって男の子が座っていました。エヴァン殿下です。
殿下は私を見るとニコリと笑顔になりました。
「こんにちは、エヴァンです。新しい世話役の人がくるとうかがっていました。よろしくお願いします」
「世話役に任命されたマリス・フェアフィールドと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
丁寧に挨拶されて私も慌てて挨拶しました。
本当なら私から挨拶をしなければならないところを先にされてしまいました。
でもエヴァンは気にした様子はありません。「おせわになります」とニコリと笑顔です。
……いい子じゃないですか。
試されていると思ったのでどんな子どもかと思いましたが、笑顔が愛らしい落ち着きのある子どもです。
八歳の子どもにしては大人びた雰囲気を感じますが、その容姿は整っていてまるで絵本から出てきた小さな王子さまのようです。
でもヴェルハルト陛下は精悍ながらも端正な容貌をしているので、今はかわいい王子さまのようでも大人になったら陛下のようになるのかもしれませんね。
「マリス、さっそくききたいことがあるんですが、いいですか? 生物の講義で、ちょっと分からないところがあって」
「もちろんです。お役に立てるか分かりませんが、なんでも聞いてください」
「ありがとう! それじゃあここでまっててください! 教本をとってきます!」
エヴァンは嬉しそうに言うと部屋を出て行きました。
私はそれを見送るとエヴァンの部屋で戻ってくるのを待ちます。
待っているあいだ何気なく室内を見回しました。
広い部屋の書棚にはぎっしりと書物が並んでいます。すごいですね、やはり帝国の殿下ともなると八歳が読むには難しい本ばかりです。
書棚の隣にはおもちゃ箱がありました。そこにはぬいぐるみやボードゲームや雑貨など、子どものおもちゃが詰め込まれています。やはり殿下でもこのようなおもちゃで遊ぶのですね。
なんだかほっこりした気持ちになりましたが……。
「……そうでもないんですね」
よく見ると遊ばれた形跡はありませんでした。
朝から晩まで講義やお稽古の予定が入っているので遊ぶ時間はあまりないのかもしれません。殿下はお忙しいようです。
「殿下はまだでしょうか……」
時計を見ました。
殿下が教本を取りに行ってから三十分ほどが経っています。
広い城ですから移動に時間がかかっているのかもしれませんね。
一時間後。
「……ちょっと遅いですね」
教本を取りに行ったにしてはいささか遅いような気がしました。
でも相手は殿下です。誰かに呼ばれて立ち寄っているのかもしれません。とてもいい子なので、きっと城の方々から愛されているのでしょう。
そう思うと待っているのも苦になりませんでした。
二時間後。
「さすがにちょっと遅すぎじゃないでしょうか……。……いえいえ、待っていてほしいと言われたんですから待たなければ」
子どもが待っていてほしいと言ったのです。ならば待っていてあげたい。
だって相手はまだ八歳の子どもです。どんな小さな声も取り零さずに聞いて、目線を合わせて言葉を交わしたい。約束ならなおさらです。どんな小さな約束でも守ってあげたいのです。
三時間後。
「お、おかしいですよね。こんなに遅いなんて……」
さすがに遅すぎです。
教本を取りに行って三時間も戻ってこないなんて……。
もしかして殿下の身に何かあったんじゃ……。
でもここは城内ですし、なにかあれば大きな騒ぎになっているはずです。
その時、部屋の扉がノックとともに開きます。
「失礼します。ああマリス様、こちらにおいででしたか。探しました。見つかってよかったですわ」
「えっ?」
入ってきたのは女官でした。
私を見てほっと安堵の顔をします。
「お夕食の支度が整いました。食間においでください」
「ま、待ってください。私はここで殿下を待っていないといけないんです。教本を取りに行ったまま戻ってこなくて」
「殿下でしたらすでに食間にいらっしゃいますが」
「え?」
私は目を丸めました。
女官は不思議そうに私を見ます。
「どうされました?」
「あ、いえ……」
いったいどうなっているんでしょうか。殿下は待っていろと言ったのに……。
しかし困惑する私に構わず女官が用件を伝えてくれます。
「食間で皇帝陛下と殿下がお待ちです。お夕食の支度は整っていますので、どうぞこちらへ」
「え、陛下もいらっしゃるんですか?」
それは陛下も一緒に食事をするということですよね……。私は今日来たばかりの人質なのに、そんなことってあり得るのでしょうか。
「マリス様もご一緒するようにとのことですので」
女官は淡々と言うと「さあこちらへ」と急かしてきます。
どうやら私は陛下と殿下を待たせてしまっているようです。
「わ、分かりました。すぐに行きます」
急ぐ女官に私も早足でついていきます。
なにがなんだか分かりません。
でも食事を一緒にするというのは本当のことのようで、私は訳も分からず食間に急ぎました。
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