第10話 すれちがう溺愛


「マリス様、どうぞこちらへ」

「はい……」


 謁見えっけんで皇帝陛下への挨拶を終えたあと、広い城内を女官に案内されていました。

 なんだか予想外の展開が続いて動揺しています。

 それというのも謁見が終われば私は城の一画に軟禁され、人質として制限のある生活が始まると思っていたのです。

 それなのに私が案内されているのは本殿です。他にも本殿にある立派な園庭やサロンなど、人質が自由に出入りすることは本来許されない場所を案内されました。

 でもね、これはもちろん私のためではありません。これから私がお世話をする王弟殿下のためなのでしょう。


「すみません。こちらのサロンは王族専用だとうかがいました。私はどこまで入室を許されていますか?」

「このサロンではとくに制限させていただくことはありません」

「そうですか……。でも迷子になりそうなので地図をかかせてください」


 私は迷子にならないように小さなメモにサロンの地図をかきました。

 私の故郷の城にも王族専用のサロンや庭園などありましたが、帝国のそれは比べものにならないほど広いのです。

 先ほどからメモしている私を女官がいぶかしげな顔で見ていますが構いません。世話役の私が迷子になるなんて情けないことはできませんから。


「それでは最後にマリス様のお部屋に案内いたします。こちらは皇帝陛下や王弟殿下も生活をされている区域です」

「はい」


 緊張します。決して粗相は許されない場所です。

 広い回廊を進んだ先に華やかな装飾をされた両扉がありました。女官がゆっくりと扉を開きます。


「こちらです。どうぞお入りください」

「はい。っ、ええっ!? ここ本当に私の部屋なんですか?」


 部屋に入ると驚きを隠し切れませんでした。

 世話役の部屋にしては豪華すぎるのです。


「あの、なにかの間違いでは?」

「いいえ、この部屋だと言付かっています」


 そう言って女官は粛々と部屋の説明をしてくれます。

 扉を開けた先に広がっていたのはひと目で値打ちものだと分かるアンティーク調の応接セット。その先の扉には書斎、また別の扉には専用の寝所、私専用のバルコニーや箱庭まであったのです。しかもそこに揃えられた調度品や雑貨はすべて一級品だと分かる品々でした。

 しかも女官の説明はまだ続きます。


「こちらにマリス様の衣装を用意させていただきました。ヘデルマリアから運ばれた衣装も確認しておりますが、ぜひこちらで用意させていただく衣装をご着用ください」


 そう言って女官が衣裳部屋の扉を開きます。

 そこには私が故郷から持ってきた衣装の他に、帝国で用意された数えきれないほどの衣装が整然と並んでいました。


「現在クチュリエが新たな衣装を仕立てておりますので、後日そちらもご確認ください」

「え、わざわざ仕立てているんですか!? ……あの、やっぱりなにかの間違いでは」

「間違いではございません。たしかに言付かっています。それではマリス様、こちらへ。案内は終わりましたので時間まで居間でおくつろぎください。疲労が癒える薬湯を淹れさせています」

「そんなことまで……」


 私は促されるまま居間のソファに腰を下ろしました。

 すぐに温かな薬湯を用意され、続いて紅茶やお菓子がテーブルに並びます。

 私の困惑と戸惑いはますます深まりました。

 王弟殿下の世話役という大役を仰せつかいましたが、それでも人質という立場であることに変わりありません。

 本来ならあり得ないことです。でもだからこそ世話役が重責だということですよね。

 相手は皇帝陛下の弟なのです。重責だからこその待遇たいぐうなのでしょう。

 衣装を用意されたのも私の衣装がみすぼらしいからかもしれません。みすぼらしい姿で城内をうろうろするなということですね。

 故郷から持ってきた衣装はどれもしっかり選んだつもりですが恥ずかしい真似をしてしまいました。気を付けなければ。


「あの、王弟殿下はどちらに?」

「現在算術の講義を受けております。その後は剣術の稽古です。マリス様にはそれが終わり次第ご挨拶にうかがっていただきます」

「分かりました。お忙しいんですね」


 王弟殿下は八歳だとうかがいました。

 幼いながらもたくさんの講義を受け、剣術や体術や馬術などのお稽古を受けているのですね。

 どんな子どもか分かりませんが、役目を受けたからにはしっかりまっとうしなくては。

 決して粗相や失敗はできません。

 人質である私の行ないは故郷にも影響してしまいます。

 重責で押し潰されそうですが泣きごとは言えません。帝国で新たに始まった生活に緊張が高まりました。




◆◆◆◆◆◆


「マリスは部屋に不自由を覚えてないだろうか……」

「不自由もなにも、まだなにも始まってないよ。さっき帝国に来たばかりだ」


 グレゴワールはじろりとヴェルハルトを見た。

 会議が終わって執務室に入ったが、ヴェルハルトはいつになく心ここにあらずである。

 普段は大国ダラム帝国の皇帝らしく威厳と風格に溢れ、政務に対しても責任をまっとうしている。皇帝でありながら度を越えて我欲に走ることはなく、広大な帝国を安定して統治している名君である。

 しかも広域支配に必要なのは畏怖いふであることを心得ていることもあって、ヴェルハルトの近しい者以外は冷徹な皇帝だと思っている。帝国民は皇帝に畏怖を抱くも、ときに見せる慈悲に涙するのだ。巨大な帝国を治めるに相応しい人心掌握だった。


「気になる。様子を見てきたほうがいいかもしれん……」


 ヴェルハルトは深刻な顔で呟いた。

 恋とはこれほどに人を変えるものなのか……とグレゴワールは内心感心していた。誰にも見せられない姿である。


「様子を見に行く必要はない。マリスの世話係に用意した女官や侍女はベテラン揃いだ」

「そうか。ならば今晩の食事は一緒のテーブルを囲みたい。呼んでくれ」

「嘘だろ。人質が王族と食事を囲むのか」


 さすがにこれには驚いた。

 人質を食事に呼ぶなどあり得ないことである。


「それはやりすぎだろう。他の人質に示しがつかない。後宮にどれだけの王女や令嬢がいると思っているんだ」

「マリスはエヴァンの世話役だ。あいつは手がかかるから食事も同席させたほうがいい。これも世話役の仕事だ」

「なにが仕事だ。私事だろ」


 グレゴワールは文句を言うが、そんなものはヴェルハルトの耳に入っていない。


「今夜の夕食の食材は帝国各地の美味と珍味と高級食材をふんだんに使ったものにしろ。気を引いて会話がしたい。飽きさせたくない」

「…………」

「これからの食事には定期的にヘデルマリアの料理や食材を使うようにしろ。故郷の味を恋しく思うこともあるだろう。慰めてやりたい」


 次々に注文されてグレゴワールは眩暈を覚えた。

 食事にまでヴェルハルトが口を出すのは初めてなのだ。


「君、面倒くさい男になったね……」


 心底呆れた様子のグレゴワールにヴェルハルトは苦い笑みを浮かべる。

 自覚がないわけではないのだ。


「言うなよ。自覚していないわけじゃない。だが欲しいという気持ちが抑えきれないんだ」

「ならば寝所に呼べばいい。君は皇帝だ」

「…………」


 ヴェルハルトは黙った。

 グレゴワールの言いたいことは分かるのだ。そしてそれを許されていることも分かっている。

 抱きたければ寝所に呼んで抱けばいい。側に置きたければ側に置いて、永遠を誓わせたければ誓わせればいい。それは可能だ。帝国の皇帝であるヴェルハルトが望んで手に入らないものなどないのである。

 だが。


「それ、かっこわるいだろ」


 ヴェルハルトはあっさり答えた。

 強引に手に入れてしまいたい衝動や欲望がないわけではない。そのほうが手っ取り早いことも分かっている。

 でもそれはヴェルハルトの理想とするところではない。帝国を統治するために冷徹で非情な判断をすることもあるが、それでも基本路線はかっこよくありたいのだ。

 そんな皇帝ヴェルハルトにグレゴワールは少し呆れた顔になったが、やれやれと口元に微かな笑みを刻む。


「この時代の帝国民ほど幸運な民はいないだろうね」

「俺は帝国民が誇れるようなかっこいい皇帝でいたい。即位した時からそう決めている」

「そうだね。君はそうだ」


 グレゴワールは納得して頷いた。

 しかし、それならば意見が一つ。


「それなら余計にエヴァン殿下の世話役で本当にいいのかい? 前の世話役は殿下にクビにされたと聞いたが」

「…………」


 ヴェルハルトが真顔になった。

 次になにかを考えこむように渋面になり、困ったようにグレゴワールを見る。


「……やっぱりまずいと思うか」

「そりゃね。何人の世話役や女官が泣かされてきたことか」

「はやまったか……」


 ヴェルハルトはため息をついた。

 勢いでマリスを世話役に任命したが、弟のエヴァンは一筋縄ではいかない八歳児なのである。


「…………」

「…………」


 エヴァンを思い出してヴェルハルトとグレゴワールは疲れたようなため息をついたのだった。


◆◆◆◆◆◆




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