第13話 孤独
相川の疲労はピークに達していた。もう疑いようがない。
涼介が三ヶ月も工場を無断欠勤して、親までほったらかして、おそらく施設の賃金も滞納して……やってたことはこれだ。
昼間は工場の周りを歩き回ってゴミをかき集め、夜はずっとインターネットの海を泳ぎながら工場を監視していたのだ。
社会から孤立し、『敵』を脳内で作り、見えない戦争をすることを涼介は生きがいとしているのだ。
目の前の涼介は今まで見たことがないほど生き生きとしており、目の輝きは先ほどとは打って変わって若々しかった。
相川はあまりにもの涼介の変わりように恐怖した。いや、哀しくなった。もしかしたら、こちらが本当の涼介の姿だったのかもしれないが。
相川は目を閉じて、涼介がひとしきり喋り終わるのを待ち、きりだした。
「それで? 俺にどうしろと?」
「俺と一緒に戦ってくれ。証拠は揃った。いよいよ反撃に出るばんなんだ!日本を食い物にしてる巨大な悪をぶっ殺すチャンスなんだ!」
「俺じゃなくてもいいだろう。お前と同じアパートのやつとか」
「聞いてなかったのか!? 俺の周りはみんな『光明真教』の信者なんだ! 俺の周りは敵しかいないその中で三ヶ月も一人で耐えてきたんだ!
そしてここまで! 戦うための証拠を集めてきたんだ!! そしていざとなったら、……ほら、この画像をみろ!
この窓から工場内に侵入できる。もう耐えるのはおしまいだ! やられっぱなしで終われるはずがない!」
涼介は誇らしげに、瓦礫の山を相川に見せた。
「涼ちゃん、悪いけど俺は手伝えないよ」
「じゃあこのままだと俺は奴らに殺されるぞ! いいのか!?」
「なんで。どうしてお前が殺されるんだ?」
「事実を知りすぎたからに決まってるからだろう!そんな目で見るな違う理由もある!それを聞けばお前だって納得する!!
いいか……? 工場には機械がある。機械は定期的に使わないと性能が低下する、工場に勤めているならわかるだろ!
処分する人間を定期的に工場に連れて行ってるんだ!安い家賃で釣って、俺の住んでいるアパートからな!」
「もういいわかった。まず警察を頼れよ」
「警察なんか信用できるか! たかが認知症の老人一人満足に対処できないような奴らだぞ!」
「俺はもっと力になれないよ!」
「できることでいいんだ!お前のできることで……とにかく味方になってほしい」
「例えばなんだよ」
「例えば! 俺がやばくなったらここに一ヶ月ほど匿わせてくれ。あと金も必要になる。そういう面で助けてくれさえすれば」
「どっちも無理だ!! 冗談じゃない!!……」
相川はリビングを一旦出て、ゴミ袋と封筒を持って帰ってきた。
そしてテーブルの上の瓦礫をゴミ袋に入れ始めた。
「何をするんだ! やめろ!」
「片付けろそれ!!!」
涼介は、渋々とテーブルの上のものをリュックにしまった。怒鳴られるのが久しぶりだったのだろう。
相川は、封筒を涼介に投げ渡した。
「3万入ってる。それでタクシーでも拾って、帰ってくれ」
「相川……」
「帰れ! 警察呼ぶぞ!」
涼介は一言も言わずに去っていった。相川は部屋という部屋の窓を開けて換気をした。
そしてテーブルを掃除し、リビングに掃除機をかけ、涼介が座った座布団を洗濯機に放り込み、
床を雑巾で拭いた。
匂いが完全に消えるまで3時間を費やした。
少しでも涼介がいたという痕跡を部屋から消したかった。
3万円。涼介にあうと決まった日から渡そうと用意していた金だ。これが相川のできる善意の精一杯だった。
相川は、はじめて癌を宣告された日々のことを思い出していた。
それは気まぐれで行ってみた人間ドックで発覚したもので、初期の胃癌だった。
自覚症状もないまま、医者から事実を突きつけられた瞬間に、相川は「見えない何か」との戦いを始めたのだった。
得体の知れない、しかし確実に質量を伴う『何か』との壮絶の戦いだ。
闘病をはじめてからというもの、時間があればインターネットで癌について調べた。この時の数ヶ月が生涯で最も長い日々に感じる。
インターネットには、人間の恐怖心や不安を掻き立てる内容の、インパクトのある言葉たちが目立つ所に出てくる。
そして気がつけば、相川の所持するパソコンやスマートフォンには、どのページを開いても「癌」にまつわる広告が現れるようになった。
「敵」を知るためにそれを毎日見続ける相川にとってそれは、次々に姿を変えては目の前に現れる得体の知れない恐怖との戦いだった。
酒もタバコもやめたが、その代償としてネット依存症になり、妻や娘に対して冷たくなっていた。
気がつけば、望まずとも自ら進んで「恐怖」の材料をかき集めていた。
この時相川が感じていたのは本当の孤独だった。
自分には妻も娘もいる。毎日会社に行けば声を掛け合う仲間もいる。小学校時代からつるんでる友達もいる。社会的に見れば孤独ではない。
なのに、なのに個の内面を、個の不安と絶叫を、吐き出す相手をいざ探したときに悲しくなるほど自分の周りには誰もいなかった。
この時期で相川が覚えている景色は、四方を囲む無愛想な病院の壁だけだった。
人は誰しも、打ち明けられない孤独を背負っている。『癌』がありふれた病気なら『孤独』はさらにありふれた、逃れようのない『どく』なのだ。
ある朝、自分が何気なく放った一言で娘が大号泣し、気がつけば自分からも涙が溢れていた。
そして数分間、二人は抱き合いながら声を出して泣いていた。
相川は手術を終え、少しづつ、自分を取り戻していった。胃の大きさは3分の2になり、ついでにインターネットやSNSを生活から一切排除して、医者に止められているタバコを吸い始める生活に生還したのだった。
先ほどの涼介と話して、闘病中の自分を俯瞰的に見せられた気がした。
そして家族に自分は、こう見えていたのだと思うとひどく哀しくなった。
相川には、涼介の考えていることを理解はできなくても、気持ちはなんとなくわかる気がした。
だがもう、涼介と会うことはないだろう。連絡も取らない。でも・・・なにか、もっと別の言葉をかけてあげられるのではなかったか。
相川は言葉を探したが、同時に涼介の匂いを思い出してすぐにやめた。まずは風呂に入ってから話をしにこい。
「ますは風呂に入ってから話をしにこい」と言ってやればよかったかも知れない。と、相川は思った。
それから3日と経たない夕方のことだった。
涼介は先程発生した少女の行方不明事件のニュースに戦慄していた。
行方不明事件を取り扱うネット掲示板によると、被害者は政治家の娘。
その政治家は野党のワクチン反対派で、最近コメンテーターとして頻繁に見かける人物だという。
犯人は未だ行方不明だが、どうやら千代田区で少女は外国人グループに連れ去られ、彼らを乗せた車は国道4号線を北に向かって逃走したという。
もしかしたら今晩、この工場に来るかも知れない。
涼介は高揚した。この時を待っていた。今晩こそ、証拠を掴んでやる。それができるのはこの日本で自分だけなのだ。
そうだ! 今晩こそ!!
その時である。
インターホンがなった瞬間に、涼介は硬直した。この部屋でインターホンの音が聞こえるのは、初めてのことだった。涼介は動くことができなかった。
インターホンから5秒待たずして、次はドアをノックする音がした。コン、コン、と、どこか遠慮がちな音だ。
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