第11話 変身

 涼介が通勤している武蔵野市の工場では、彼が初めて無断欠勤して最初の4日5日は涼介の話で持ちきりだった。

やれ逃げただの、うつ病で闘病中だの、自殺しただの、人によっては反社会組織に殺されただの言われはじめた。

そのいずれにしても過去形で語られているのが共通しており、とどのつまり、涼介が戻ってくるとは誰も思っていなかった。

同僚の中で比較的会話をする仲だった相川の元に、涼介から電話がかかってきたのは、彼が「失踪」してから三ヶ月が経ち、新年がとっくに明けて冬が終わろうとしている時分だった。


「会えるか?」


相川の心配をよそに、挨拶もせず涼介が口にした一言目がこれだった。


「お前・・・元気なのか?」


元気なのか?と聞かれると涼介は少し嬉しそうになった。


「ああ、生きてるさ!…… ……話したいことがある」


「いいよ。……土曜でいいか?」


「今日会えないか?」


「今日!? 今日は流石に……」


「もういい。……土曜だな」


「お、おう。お前の家に行けばいいか?」


「いや、ここは危険だ。お前の家に行く」


「危険? 危険って何だ」


「いいから、土曜にお前の家な」


そこで一方的に電話は切られた。


 本来であるなら、生存確認ができたために喜ぶべき電話であったはずなのだが、どうにも、今の会話は胃腸に重かったので、相川は涼介と会うことに正直気乗りしなかった。

しかし、会う、と一方的に決められてしまったので彼の土曜日の予定が埋められてしまった。そして土曜日は一瞬でやってきた。



 涼介とは、相川のマンションがある立川駅に午前10時に待ち合わせた。時間は涼介が指定してきた。


妙に朝早い気もするが……きっと涼介にも事情があるのだろうと相川が予定を合わせる形となった。相川が立川駅の改札前に来た時には、すでに涼介は待っていた。



 最初彼が涼介だと、相川は気が付かなかった。たかが三ヶ月で人はこれほどに変わるものか。これが浦島現象とでもいうのかと感ずるほどの変貌の仕方だった。

41歳にしては比較的若く見えるのが、相川から見た涼介の印象だったが、今は60代後半だと言われても信じてしまいそうだった。


総白髪は手入れされておらずボサボサで、髭も剃っておらず、頬骨が浮き出るほど痩せこけている。

眼球を上下に挟む「しわ」が、かえって充血した目を大きく強調している。実際に目を見開いているのかもしれない。

そして臭い。元から口臭はあると思ってたが、今の匂いに比べたら当時の匂いは、それが口臭だとしてもまだ海外の独特な香水だったのではないかと思わせるほどの酷い匂いだ。

今はとても香水という類の匂いではない。公衆便所の匂いだ。


見覚えのある緑色のパーカーと、黒いパンツには三ヶ月前には無かった目立つ穴が空いており、靴まで穴が空いており、おそらく下着にも穴が空いていると想像できる。


 おおよそ家に上げるには抵抗がある身なりだ。妻と娘を遊びに行かせておいてよかったと、相川は心から思った。そしてそれを、数時間顔に出さない努力を相川は強いられた。

駅から相川の家に向かうまでの車で、涼介は自分から口を開かなかった。相川も一言二言、声をかけたが、すぐ口を開けなくなった。

涼介の匂いが一瞬にして車に蔓延し、正直呼吸をすることすらしんどかった。明日洗車に出そう。相川は車の窓を開けた。窓を開けるには、まだ寒い季節だった。

車内で、涼介のスマートフォンが鳴ってるが、涼介は画面を一瞬見ただけで電話に出ようとしない。幸い、風の音でスマートフォンの騒音はかき消されている。


「鳴ってるぜ」

「……いんだよ。どうせ親父んとこだ」

「施設から? 出なくていいのかよ?」


それ以降、涼介はまた黙り込んでしまった。





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