『はまむぎ』 レーモン・クノー
レーモン・クノーはフランス版西尾維新ともいえよう。否、逆だ。西尾維新が日本版レーモン・クノーだ。尤も、そんなことを言う人は私しかいない。しかし、私が彼らを同列に位置付けたのは、彼らの奇想天外な発想と満ち溢れた遊び心からである。言葉遊びをふんだんに使い、コミカルなキャラクターを登場させるのも共通している。ふたりの小説には数学的関心も至るところで見受けられる。
さて、作家としてのクノーは一体どんな人物か。長篇小説作家としてのデビューは、機関誌『シュルレアリスム革命』で投稿した唯一の長篇でもある『はまむぎ』である。後生に出した、彼を有名にした『地下鉄のザジ』はフランス語の俗語をふんだんに使った、ポピュリスト的とも言えるものだった。それ以降、彼はヌーヴォー・ロマン(フランス文学に於いて、1950年代興った前衛小説。人物の性格や時間の流れ、物語性など、従来の小説が持つ性格を意図的に打破する)の先駆けとしての評価を得た。掌篇を99もの文体で書き分けたというだけの『文体練習』や、読む順番によって100兆通りもできるソネット(14行からなる押韻詩)『一千兆の詩』など、言語表現の拡大を目指した実験的文学も多数。その縁もあって、彼はフランスの実験文学集団であるウリポにも所属していた。
さて、そんなクノーをここでは、いちシュルレアリストとして捉えようとする。しかし、クノーをこの文芸運動の一員と見做すひとはあまりいないだろう。というのも、『はまむぎ』以降、クノーは運動から離脱している。シュルレアリスムの理念そのものはともかく、彼はシュルレアリスムの創始者ともいうべきアンドレ・ブルトンを好意的に思っていなかった。
ここで、そもそもシュルレアリスムとは何なのか、改めて確認していきたい。「シュルレアリスム」という語は元々詩人・ギヨーム・アポリネール(詳しくは彼の回で述べる)の造語だったが、今我々が理解するものはブルトン(同じく彼の回で詳細を述べる)による定義である。シュルレアリスムは、フロイトなどの心理学によって開拓された無意識という概念の発想が本に成立した運動である。ブルトンは『シュルレアリスム宣言』に於いて、このような定義づけがなされる。「理性によるいっさいの制約、美学上、道徳上のいっさいの先入観を離れた、思考の書き取り」であり「これまで閑却されてきたある種の連想方式の優れた現実性への信頼、および思考の非打算的活動への信頼に根拠を置く」云々。我々が普段奇天烈なものに対して用いる「シュール」という言葉は、「シュルレアリスム」からの派生語だが、本来的には異にするものである。要するに、これまで我々が理性的に持っていた先入観や価値観の一切を否定し、それを文学によって表現する試みである(のち、美術や映画にも波及)。ブルトンはその実現のために「自動記述」という新たな手法を提唱する。尤も、それを小説という形で表現することに限界があるが、この運動は以降の文学に於いて重要な役割を果たす。
さて、寄り道はこのくらいにしておいて、クノーが唯一シュルレアリスム小説として発表した『はまむぎ』について見ていこう。あらすじは以下の通り。ある日、銀行員のエティエンヌ・マルセルは存在の認識について考え始め、フライドポテト屋にやってくる。富豪ピエール・ル・グランはそんな彼を面白く感じ、観察を始める。今は失業中の音楽家ナルサンスはエティエンヌの再婚相手であるアルベルトを尾行する。それがきっかけで、アルベルトの連れの息子・テオはナルサンスと殺し合いを始める。フライドポテト屋の主人はドミニク・ベロテル。彼の息子・クローヴィスはエティエンヌとピエールの会話を聞き、古物店をやっている老人ジェラール・トープが大金持ちだと勘違いして、それを未亡人の叔母・シドニー・クロシュ夫人に伝える。クロシュ夫人はトープ爺の金品目当てに、フライドポテト屋で働いていたエルネスティーヌをトープ爺と結婚させようとする。この金品強奪作戦に、エティエンヌ、ピエール、ナルサンス、そしてドミニクの弟でナルサンスが借りている宿の主であるサテュルナンが巻き込まれていく……
登場人物はその他大勢が登場し、また時間の流れは輻輳し、実に混沌としている。一部の展開は直接小説で言及されず、専ら会話などで明かされる。この、実に読みにくい小説はルネ・デカルトの『方法序説』の俗語訳を試みたものとして作者本人が打ち出している。実際、本作は存在認識が主題のひとつとして織り込まれ、それはシュルレアリスムの理念に通ずるものがある。また、俗語表現による自動筆記的手法や、意外性や驚異などといった夢のような支離滅裂さによって、シュルレアリスム的発想が盛り込まれている。
シュルレアリストとしてのクノーはしかし、この説明で尽きてしまう。本作で何より重要視されているのは、「哲学」と「俗語的文体」である。前述にあるように、本作はデカルトの『方法序説』を基盤としているが、実際は当時の最先端の哲学ともいえる現象学的実在論に寄っている。また、本作は俗語という、これまでにない小説表現を試みた実験小説でもあり、いずれのアプローチも、シュルレアリスムの理念のとはやや外れる。何にせよ、本作は以後のクノーの文学を決定づけるものであり、彼がシュルレアリスム運動に参加した記念碑的作品であるに違いはないであろう。
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