『超男性』 アルフレッド・ジャリ

 羽田圭介は好きな小説にジャリの『超男性』を挙げている。彼にとってそれが面白かったのは、予想がつかないとんでもな展開が満載だからだという。奇想天外はシュルレアリスムの印象を決定づける重要な性格のひとつである。ジャリがシュルレアリスムに於ける重要な仕事といえば、「パタフィジック」という概念の創出であった。それは、想像力を拠り所とし、形而上学の領域を超えたものを対象とする哲学であり、言ってしまえば空想科学である。『超男性』はまさにそれに挑んだ作品といえよう。

 正式に一員になったわけではないが、アルフレッド・ジャリは生涯そのものがシュルレアリスト的な人物である。学校の成績は優秀で、スポーツが万能な彼は、まさに文武両道の理想的な人物だった。しかし、同時に悪戯好きの悪餓鬼でもあって、それが相俟ってかなりの変人であった。異様な出で立ちから女嫌いな一面まで、彼に纏わる奇人エピソードは数知れず。

 ジャリの代表作といえば、現在に於いても上演機会に恵まれる戯曲『ユビュ王』が挙げられる。「糞ったれ」から始まるこの劇は、用いる語に統一感がなく、支離滅裂と言っても差し支えないであろう。初演時に非難囂々だったことも想像できる本作だが、従来の演劇のあるべき姿や型を破壊し、それが持つ可能性を拡大させた重要な作品と言えよう。それは、フランス演劇史に於ける、一大運動であった不条理劇の嚆矢濫觴でもあった。

 そんな革新的な『ユビュ王』は彼をいちシュルレアリストの先駆者としての評価を得ることになる。『超男性』はそんなスキャンダラスな問題作を世間に知らしめたのちに書かれた小説である。あらすじは以下の通り。リュランスの城の所有者・アンドレ・マルクイユは大勢の客を招き入れ、愛について語った。客のひとり、アメリカ人化学者のウィリアム・エルソンはその中で「永久運動食」を発明したという話をする。近日、彼はそれを食した5人の男が自転車を漕がせ、汽車と対決させるという実験を始めるという。一方でマルクイユは化学者の娘・エレン・エルソンの許へやってきてインド人(ここでいうインド人とはアメリカ先住民のこと、何という人種に対する偏見が鼻につく表象だ)に憧れを抱いた。競争の見物を終えたエレンは再び城に招じられ、インド人の扮装をしたマルクイユは彼女を襲い掛かる……

 本作はジャリの嗜好であるアルコールと自転車が遺憾なく凝縮された小説である。しかし、この小説は単なる趣味の垂らしに留まらない。『超男性』は以前に書かれた『メッサリーヌ』と対になる作品である(なんなら『超男性』作中にもその名は登場する)。『メッサリーヌ』は謂わば「超女性」の物語である。それに対し、『超男性』は(自明ではあるが)平凡の形相の、超人的力を誇る男の物語である。

 本作のテーマのひとつは、人間と汽車との対決でメタファーにもなっている人間と機械の相克である。しかし、話はそこでは終わらず、男女の性愛を乗り越えてもなお、超男性は機械に敗北してしまう。それは決して単なる愚かな男の描写ではなく、現代を生きる人類全体に対する警句でもあった。

 さて、そんなカリスマ的な存在感を発揮したジャリだったが、彼の最期はどうやらアルコール中毒と貧窮のなかにあり、結核性脳膜炎で僅か34歳で生涯を閉じたという。

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