★ 眠れない夜はココアの香りに包まれて

 ココアのおかわりを持って戻ると、野乃花さんはテーブルに軽くうつぶせて、うとうとと眠ってしまっていた。

 仕事終わりにちょっとうちに寄ってもらうだけのつもりが、もう深夜をまわってる。


 野乃花さん、明日も仕事なのにな。

 早く起こして送っていかなきゃいけないのに、起こしてしまうのも気がとがめる。


 マグカップを置きに戻り、ベッドから毛布をとってかけてあげる。

 そうして、もしものときに支えられるくらいの位置に座る。


 野乃花さんの秘密は考えていたよりも可愛くて、過去は予想よりずっと、つらいものだった。

 ある日から突然、普通の中学生が戦わなくちゃいけなくなって。怖くても、痛くても、誰も助けてくれなくて。


『もうダメだ』って思いながら、守ってもらうことにずっと憧れて……。


 それでも、ひたすら周りの心配ばかり。俺のことも巻き込んじゃった、って……泣きそうな顔をして。

 そんなことは、いいんだよ!

 野乃花さん、なんにも悪くないじゃん!!


 そもそも、中学生を口で丸め込んで危ない目にあわせるとか、絶対にダメだよ。

 そこから二十年も一人で頑張っちゃうところが、らしいんだけど、さ。


 秘密を話して安心したのか、野乃花さんの寝顔はなんだか幸せそう。柔らかそうな唇が、弧を描いてる。

 もしかしたら、部屋全体にココアの残り香が、甘くひろがっているせいかも。


 危なっかしいところあるからなぁ、野乃花さん。

 困ってる人を放っておけないし、人を疑わないし。恋人同士とはいえ、俺のこと、こんなに信頼して眠っちゃうし。

 野乃花さんが思うよりずっと。俺、悪い男かもしれないよ?


 一人暮らしの部屋は広くない。

 もし、ひょいって持ち上げれば、ほんの少し先にはベッド。

 そして、今日は帰したくないな、って思っちゃってる悪い俺……なんて、ね。


 ちょっと良いムードになると手品を披露してくれるから、野乃花さんなりに予防線を張ってるのかな、って思ってた。

 あまり距離をつめられるのも、ましてやスキンシップも、苦手なんじゃないかって。


『好き』とか恋人らしい言葉をもらったこともない。

 優しい野乃花さんが、俺にあわせてくれてるだけなのかもしれない、って不安になったこともある。


 だけど、もしかしたら。これは俺の想像だけど。


 野乃花さんが手品を披露してくれるのは、毎回、毎回、俺が距離を詰めようとしたとき。

 照れたり、ドキドキしたり、そういうふうに感情が高ぶると花があふれちゃうのかも?


 もしそうなら、あのタイミングってそういうこと!? あのときも!?

 可愛すぎない? 本当はわからないはずの気持ちを想像してしまって、時間差でドキドキしてくる。


 ダメだ。ずるいなー、俺。これは反則だよ。


 たぶん、野乃花さんは嫌がるから、この予想は言わないでおこう。

 もしも俺がそんな体質なら、もっと大惨事になってるだろうし。


 すうすう、と穏やかな寝息。

 こんなテーブルで寝ちゃったら身体が痛くなっちゃうよ。かといって、ベッドに運んじゃうのも悪い気がする。


 ずっと戦ってきた、って聞いてもぜんぜんイメージがつかない。

 優しくて可愛くて、小さくて柔らかくて。戦うよりも平和な世界でにこにこ笑ってるのが似合う。


 テーブルの硬さにも負けちゃいそうだし、おれの前で眠っちゃう無防備さだし。


 ずっと、どんな気持ちで頑張ってきたんだろう。どれだけ勇気を出して、俺に秘密を話してくれたんだろう。


「あ、あれ? 私、寝てた?」

「うん。ちょっと前から」

「……もしかして、見てた?」


 気恥ずかしそうに視線を落とすと同時に、『ぽぽんっ』とでてくる小さな花。


 平和になって魔法を使わなくなってから、暴発が増えたみたいだから、積極的に魔法を使ったらもしかして解決するのかも。


 けど、そんなことをいうと、俺を置いてもとの生活に戻っちゃいそうだから、まだ言えない。

 魔法があふれても特に悪いこともないみたいだし、ゆっくり考えていけばいい。


 それに魔法のあるなしにかかわらず、野乃花さんのことが好きだから。


「遅くなっちゃったからね。まだ居てほしいけど、家の近くまで送っていくよ」


 なけなしの理性をフル動員して、オトナの顔をキープする。本当はもう帰したくない。


「……もう少し、一緒にいたいな」


 気恥ずかしそうな様子にぎゅんっ、と心が掴まれる。可愛すぎるよ、野乃花さんっ!


 こんなふうに甘えてくれるの初めてだ……!

 もう少しで済むかな? ちゃんと帰してあげられるかな?


「だめ?」

「いいに決まってる! 好きなだけいてね」


 断れるわけないじゃん! 断れないよっ!

 俺、悪い男なんだからねっ! 危ないんだよ!!


「嬉しい。ありがとう、宙くん」


 ああぁぁぁぁ、もうっ!! 可愛い! 好き!

 ずるいよ、野乃花さん……!


「野乃花さん……、好きだよ」


 二人の視線が絡む。そっと顔を寄せると、眼鏡越しの視線が迷うように揺れた。

 吐息を感じるほどに近づくと、瞼が軽く落とされる。胸がいっぱいになりながら目を閉じて、優しく唇と唇が触れ合――『ぽぽぽぽんっ』


「わっ!」


 唇のかわりに触れた花びら。

 あふれる花たちの中心に、真っ赤になった可愛い人。


「……ご、ごめん、ね?」


「大丈夫……。

 ははっ、魔法ってすごいね」


 なんだ。俺って、思ったより好かれてるのかも。


「宙くん?」


 不意打ちで、ちゅっと軽く唇にキスをした。


『ぽぽぽぽんっ』

「へ? え?」


 増える花々。やっぱり、真っ赤な大好きな人。

 恥ずかしそうな野乃花さんの周りは、もう花でいっぱいだ。


 もし……、もしもだけど、ね。いま以上のことをしたら、もっと大変なことになっちゃうんじゃない?


 訂正。

 ちょっとだけ早めになんとかしたほうがいい、かも?

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