第49話 不変の愛
帰宅後、俺たちは二人きりで向かい合っていた。部屋には、ぴんと張りつめた空気が漂っている。
ジードは扉の前に立ち、俺はベッドの上に座っている。ジードが一歩踏み出した途端、俺は枕を思いっきり投げつけた。ベッドには枕の他にクッションが幾つもあったので、それも投げた。ジードはひょいひょいと器用によけていたが、一つが顔に命中した。
「……ひどいと思うんだが」
「どっちが!」
俺が睨みつけると、ジードは呻いた。眉を下げたまま、すがるような視線を向けてくる。
「おかしいじゃないか! レトの言葉で気がついた。たしか、結婚についてはこれから考えるって言ったはずだ! でも、王宮を出て暮らす時点で婚約になるんじゃ、もう決定事項じゃないか!」
「……」
王宮を出る条件をちゃんと考えていなかった俺は、確かに悪い。ジードと暮らすのはもちろん嫌じゃない。でも、ジードはわかってて、俺を王宮に連れて行ったんだ。レトに顔を見せよう、一時的に一緒に暮らす許可を取るだけだと言って。混乱に付け込まれた気がして、無性に悔しい。
ジードは足元のクッションを拾いながら、口を開いた。
「……異世界からの客人の後見は、王族と上位貴族の力関係で決まる」
「え?」
「貴族社会では、後見人になることが自分の地位の象徴になる。力のある貴族が後見を望んだら、他の者は手が出せない。父ならまだしも、俺じゃどうやってもユウの後見人になれない」
そういえば、レトも以前、ジードは若すぎて俺の後見人にはなれないと言っていた。
「過去には、後見となった貴族が、自分の子と客人を結婚させようとしたこともある。一度後見になった貴族の元から、客人はそう簡単には離れられない。エイランに新たな風を吹き込むと言われる客人の注目度は高く、ユウは特に人気があった」
「……なんで」
「女性と見まがうような外観と若さ。それに加えて、魔力を増やす食べ物を作れる。まるで新しく発見された美しい魔石のようなものだ。後見どころか縁談も多いとレトがこぼしていた」
俺の手から、クッションが落ちた。
「そんなの……知らない」
「世話人は客人にとってより良い環境を用意する。不要な話を耳に入れないのも必要な仕事だ」
俺が考えていたのは、菓子を作って自立することだった。レトはいつも、それを優先してくれた。
「魔林から第三騎士団がたくさんのバズアを持ち帰ったことも、宮廷では大きな話題になった。さらには、ユウがバズアを使った料理を研究しているという話も。ユウが元の世界に帰った後は大騒ぎで、王太子殿下が何とか収めてくださった」
「テオ……」
元の世界に帰る日に、テオは後のことは心配するなと言った。とても優しい人なのに、テオはその能力の為にずっと冷遇されてきた。
エイランでは、魔力が何よりも重要視される。魔力を生み出すものを作るとなると、俺にも価値がつくんだろう。異世界人を大事にするこの国では、その異世界人で利害関係が生まれる。
「……騙すような真似をしてすまない。ユウが戻ったとなれば、宮廷では再び後見争いが起きる。少しでも早く王宮から離れられればと思ったんだ」
「あのさ、ジード。今の俺には本当に何もないんだよ」
保護してくれる場所も、金も仕事も家族も。魔力一つない。
「もっとよく考えなくていいの? ジードは何でも持ってるのに」
俺の呟きに、ジードはきっぱり言った。
「もう十分考えた。ユウが何も持っていないと言うなら俺が用意する」
ああ、これは本気なんだ。
「そんなこと言うと、何でもねだるかも」
「構わない」
「じゃあ、ロワグロ」
「すぐに手配する」
「バズアも」
「何体いる?」
「黄緑色のウーロに乗りたい」
「……野生の魔獣なら魔林だ。ちょっと時間がかかるな」
ジードは眉を顰めて考え込んでいる。本当に、魔林に行って捕まえてきそうだ。むっとした顔を続けようと思ったのに、段々おかしくなってきて、つい笑ってしまった。ジードがほっとしたように口元をほころばせる。俺の顔色を窺いながら、ベッドの側に立った。
「今言ったのは、全部無し。本当は一つだけ、お願いがあるんだ」
「なんだ?」
「……琥珀」
「琥珀?」
「うん。元の色に戻せないかな。……こんな姿にした俺が頼めるようなことじゃないけど」
首から下げた革袋を外して、中からピアスを出す。沈んだ黄褐色の琥珀に輝きはない。ジードの絶望を宿した琥珀を見るたびに、胸が痛む。
「ジードからもらった時、すごく嬉しかった。でも、俺のせいでこんな色になったんだ。本当にごめん」
「……ユウ、その琥珀を手の平に乗せて」
俺はジードに言われた通り、左手にピアスを乗せた。ジードの指先が金色の光を帯びて、琥珀に触れる。魔力がゆっくりと伝わる。少しずつ少しずつ、濁って沈んでいた色が澄んだ輝きに変わっていく。
「琥珀が……」
どんどん透明度が上がって、とろりと濃い蜂蜜のような色になった。凍りついた悲しみや切なさがどんどん溶けていくようだ。黄金色と明るい茶色が混ざり合ってできる美しさに息を呑んだ。手の中の琥珀が二つとも穏やかな輝きを取り戻し、とうとう、あの日受け取った姿が甦った。
ふう、とジードが大きく息をつく。琥珀のピアスを片方取って、俺の耳に当てる。
「やっぱり、ユウによく似合う」
「……俺は、ジードを傷つけたのに」
「ユウのつらさをわからなかったのは俺だ。そして」
――琥珀はいつも、不変の愛を誓う。
ジードは俺の手にピアスを戻した。そして、大きな手でピアスごと優しく包みこんでくれた。手の中の琥珀が、ほんのりと温かい。俺の手を包む大きな手は、その何倍も温かい。
美しい琥珀のゆらめきに、胸の奥が痛くなる。きらきらと輝く琥珀に、たくさんの切ない想いがこみあげる。
「……ねえ、ジード。テオが前に言ってたんだ。異世界からやって来る者は皆、女神に愛されているって。俺もそう思う。だって、この世界で最初に出会ったのは、ジードだったんだから」
揺れは、偶然生まれた空間の歪みかもしれない。でも、あの最初の日、魔獣退治の騎士に出会えたのは女神の加護があったんじゃないか。この世界で生きろ、と。そう言われたような気がする。
「たしかに女神トリアーテは慈悲深い。魔獣を退治できる騎士なら幾らでもいる。それなのに、俺にユウを助ける機会を与えられた」
……こんなの、反則じゃないか?
ジードの言葉に胸が痛い。目の奥が熱くなって涙が出そうになる。
「む、向こうで聞き取れなかった言葉が、こっちに戻ってからは普通に聞こえる。これも女神の加護なのかな」
「……ユウがこの世界に戻った。たくさんの人の祈りを女神はちゃんと聞き届け、受け入れてくださったんだ」
ジードは身を屈めて、俺の手の甲にそっとキスをする。
「本当は……、手に口づけるのってさ、女の人にするもんなんだろ?」
「エイランでは関係ない。大事な相手や自分が敬意を持つ相手にするんだ」
「……そっか」
ここでは、気にしなくていいのか。
「あのさ、ジード。俺は向こうで、気にしてたことがいっぱいあった。好きな相手が男か女か、自分がどう見られてるか。そんなことばっかり」
「……ユウの世界では、相手の性別がそんなに重要なのか?」
「うん。恋愛や結婚は異性とするのが普通だって思われてる。俺は好きになった相手が男だったから、最初は悩んだんだ」
「ユウは、向こうに好きな相手がいたのか!?」
驚いた顔をするから、何だか不思議な気持ちになる。ジードも、そんなこと気にするんだ。くすくす笑うと、じっと見つめてくる。
「いたよ。でも、気づいてもらえなかった。俺なんか、目にも入っていなかったと思う」
「……やはり、女神に感謝しなくては」
俺が首を傾げると、ジードが真剣な顔で言う。
「ユウを、俺以外の者の目に、とめないでくださった」
「……」
俺は思わず、膝に乗せていたクッションを、ジードの顔に押し付けた。ジードが、ぐううと唸っているけれど、埋まってろ!と思う。
ずるいだろう、こんなの。……何なんだよ、ほんとに。
そんな言葉を聞いてしまったら。あんなに辛かった失恋が、間違いなく浮かばれてしまうじゃないか。
……都合よく、この恋の為だったかもと、思ってしまうじゃないか。
「ユウ?」
ジードがクッションをはがして部屋の隅に放り投げる。ベッドに上がってきて、俺を膝の上に抱え上げた。
悲しくて泣いてるんじゃないから心配しなくていい。そんなに心配そうに覗き込まなくていい。
……ジードに出会えたことが、ただ嬉しいだけだから。
大きな体でぎゅっと抱きしめてくるから、涙が止まらなくなるんだ。
ジードの首に両手を回して抱きつくと、黙って背中を撫でてくれる。頬に伝う涙を手で拭って、そっと触れるだけのキスをしてくれる。
――俺は一生、この騎士にかなわない。
このあたたかい腕を、もう二度と離せそうにない。
少しずつ少しずつ、俺たちのキスは深くなった。
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