第48話 騎士の求婚
「あ……りがと」
ジードの唇が俺の涙を吸って、唇に触れる。優しいキスがしょっぱくて、それなのにとても甘く感じる。
「この部屋の花は皆、戻ってきたユウへの贈り物だ。何とか花瓶を探し出して、片端から入れておいた」
「ああ、だから……」
こんなに、ちぐはぐなのか。思わず、泣きながら笑ってしまった。
「ユウがさっき、窓辺で触れていた薔薇は……、王太子殿下からだ」
「そうなんだ。テオによく似合うな」
咲き誇る見事な白薔薇は、テオのように毅然としている。窓際を見ると、ジードが眉を寄せた。
「……薔薇が好きなら、今度贈る」
「うん? ありがとう」
「だから、ユウ。俺の隣で、……笑っていてくれないか」
「俺はジードが側にいてくれたら、いつでも笑顔でいられるよ」
「……そうか。いや、そうじゃなくて」
ジードは、隣に座っていた俺に向き直って、真剣な目になる。
「ユウの母君に約束したんだ。絶対、ユウを幸せにしますと」
そう言えば、母がジードと話していた時に何か言っていた。
――いいえ、後は直接自分で聞きなさい。
「ジード、母さんと二人で話していたことが、俺にはよくわからなかったんだ。何て言ってたの?」
ジードはまるでこの世の終わりみたいな顔をした。眉間に皺が寄り、口元が引き結ばれる。
「ユウ、ここでユウの母君と話したことを答えると、俺はザウアー部隊長に殴られるぐらいじゃすまない気がする」
「何でエリク? 俺からもエリクには謝るよ。心配をかけてジードと揉めるようなことになってしまって」
これ以上、ジードとエリクの仲が悪くなるのは申し訳ない。全部俺が悪いのに。
「いや……、ああ、もう仕方ないな。ユウ、聞いてくれるか」
ジードは、俺の両手をぎゅっと握った。
「エイランでは異世界からの客人が正式に王宮を出るには、二つの方法がある。国王に認められた後見を受けるか、もう一つは……」
ジードがごくりと唾を飲む。
「婚姻だ……。ユウ、俺と、結婚してほしい」
…… 今、なんて言った?
呆然としたまま目を瞬いていたら、ジードがきっぱりと言った。
「ユウが好きだ。この先何があっても必ず幸せにする。母君にも約束したんだ。だからどうか、うんと言ってくれ」
馴染みのない言葉が耳の奥に何度もこだまする。
……結婚。
「結婚……と言われましても、ですね」
驚きすぎて変な言葉遣いになる。ジードが、さっと青ざめた。
「ま、まさかユウは、他に誰か」
「はあ?」
誰かって何だ。ジードは言葉が続かずに、俺を見たまま固まっている。微妙な空気が流れたので、何とか心を落ち着けて、はっきり言った。
「俺はジードが好きだよ。他の人と結婚なんて、考えたこともない」
ジードの顔がぱっと明るくなる。碧の瞳が、まるで陽を浴びた新緑みたいにきらきらと輝いた。
「じゃあ!」
「いや! そもそも結婚なんて思ったこともないから。ちょっと考えさせて!」
「……考える?」
「だって俺、この国のことよく知らないんだよ。結婚相手の性別とか、えっと人数とか? 色々あるよね?」
ジードの眉が上がり、きりっとした表情になる。
「エイランでは女神に誓って伴侶は唯一人だけと定められている。性別や種族は問わない。もちろん、俺はユウしか考えたことがない」
「あっ……そう」
かあっと頬が熱くなる。嬉しいけどいきなり真っ向から言われると、動悸が激しくなるじゃないか。ドッドドッと鳴り続けて、胸が苦しい。
「もし子どもが必要なら、専門の魔術師がいる」
子ども? 子どもって……。
だめだ、俺のキャパは狭すぎる。いきなりの結婚話に子どもの話なんかされても、猫や犬しか浮かばない。もこもこしたのが、頭の中でみゃーみゃーきゅうきゅう言ってる。
「……無理」
「ユウ!」
「急に結婚なんて言われても考えられない。俺の国では、十代で結婚する人はすごく少ないんだ。ずっと先の話なんだよ。それに、今の俺には何もない」
ジードは、鼻先が触れ合うほど顔を近づけて、真剣な瞳で言う。
「俺はユウさえいてくれればいいんだ」
「そ、それは嬉しいけど……。結婚して暮らすには金がいるだろ。俺、帰還術で使っちゃったし」
「金の心配はいらない。第三騎士団は魔獣相手な分だけ、他の騎士団より給料が高い」
危険手当でもついてんのか?そう言えば、魔獣討伐の報奨金もかなりの額だったとゾーエンが自慢していたっけ。
「いや、ジードだけが稼ぐのは変じゃない? 俺も自分で働けるようになりたい」
「ユウは、この先二人で生きることを考えてくれるんだな?」
それは、まあ……、と言ったらジードは嬉しそうに笑った。
「ならば、まずは一緒に住まないか? ここは俺の屋敷なんだ。部屋は幾つもあるから、王宮に許可をもらいに行こう」
「えっ」
「必要なものは用意する。何も心配しなくていい」
「ジ、ジードがいいなら」
ここはジードの持ち物なのか。この、お貴族様!と思った途端に抱きしめられた。ちょっと待てと言っても全然聞かない。何度もキスをされ、いつの間にかレトに報告するために王宮に向かうことになっていた。
「ユウ様! ユウ様ああっ!」
「レト――ッ!」
王宮の応接室に通されて待っていたら、レトが飛び込んできた。俺たちは抱き合って、わんわん泣いた。
レトは王宮で選抜され、客人に付けられる世話人だ。世話人は、客人が王宮に入ってから出るのを見届けるまでが一連の仕事になる。俺が元の世界に帰った時点で世話人の仕事は仮終了となり、記録だけが残されていた。
「無事に戻られて本当に良かった。ジード様の元でお暮らしになるなら、書類を出していただきます。これを出されたら、王宮での私の務めも全て終了となります」
「レト、……本当に本当にありがとう」
「ユウ様のお側で過ごすことができて、とても幸せな日々でした」
レトが泣きながら微笑む。俺もすぐに目の前が涙で霞んでしまう。
「先日はジード様がご自宅に連れ帰ってしまわれたのでお話もできなくて……。でも、こうしてお二人の門出に立ち会えるとは感無量です。どうぞこちらに御手をお願いします」
国王陛下に提出する書類に、俺とジードはそれぞれ手をかざす。書面に俺たちの名が浮かび上がり、レトが立会人となって届け出が受理された。
涙ぐむレトが、ご婚約おめでとうございます、と言った。
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