第47話 一年の重み
目を開けたらベッドの上だった。
柔らかな白の天井と壁が目に入り、花々の甘い香りが漂う。
……あれ、俺は王宮でジードと一緒にいたはずじゃなかったのか?
「ジードっ!」
がばっと起き上がったら、部屋の中に自分一人だった。
大きな窓に下がった厚いカーテンの隙間から、陽の光が漏れていた。広々としたベッドからするりと下りる。着ていたのは頭からすぽっと被るタイプの薄手の服で、膝までしかない。長袖でも少し肌寒かった。
季節が違う、と思った瞬間に自分がエイランに戻って来たんだと思う。カーテンを開けると、眩しい陽射しと緑に溢れた庭が眼下に広がる。空はどこまでも澄んで青かった。
「ここは、王宮じゃない」
いつも眺めていた芝生の庭じゃない。ずっと暮らしていた部屋は一階だったが、ここは二階だ。
部屋の中を見回すと、あちこちに花瓶が置かれていて、無造作に花束が入っている。何というか、花はそれぞれ美しいのに、いかにも間に合わせで詰め込まれている感じがする。
「それにしても、すごい量……」
買ったら高そうだなあ、と思いながら窓際にあった花瓶の中の花を見た。一際見事な大輪の白薔薇に顔を近づけると、静かに部屋の扉が開く。
「……ユウ」
「ジード!」
騎士服姿で部屋に入ってきたジードが、目を見開いてこちらを見る。
ジードだ、ジードがいる!
俺は嬉しくなって、真っ直ぐにジードの元に走っていった。背伸びして首に抱きつくと、ジードの体が小刻みに震えている。
「ジード?」
「……ちょっと。……待って、くれ」
「待つ?」
「刺激が強い」
「刺激?」
俺はジードの首から手を離した。何の刺激だろう。服に花粉でもついていたんだろうか?
ジードは手で目を覆ったかと思うと、口から大きな息を一つ吐いた。明るいところで見るジードは、以前よりも少し痩せたけれど、精悍さは変わらない。手を下ろしてこちらを見ると、困ったように眉を寄せている。
本当にジードだ、と思ったら胸の中に嬉しい気持ちが一気に押し寄せてくる。
「……やはり、もっと露出の少ないものにしよう」
「露出?」
「その服だ」
「ああ、ちょっと寒いね。向こうは残暑が厳しかったけど、こっちは肌寒い」
ぶるっと自分の体を両手で抱きしめた。ジードは、眉を寄せたまま、いきなり俺の腰を両手で掴んだ。
「わっ!」
「……細い」
「あ、暑さで食欲がなくて」
何でも見通してしまいそうな瞳に見つめられてドキドキしていると、触れるだけの優しいキスをされた。
すごく久しぶりで頬が熱くなる。同じように顔を赤くしたジードは、俺を見た後に、もう一度大きなため息をついた。
「久々すぎて、自分を抑えられる自信がない」
「久しぶり……だよね」
「何しろ、一年ぶりだからな」
「……いち、ねん? えっ、一年!?」
呆然としている俺の手を取って、ジードは俺が寝ていたベッドに腰かけた。俺も隣に並んで座る。
「そうだ、ユウが帰ってしまってから、ちょうど一年になる」
俺が元の世界に帰ったのは七月末、ジードが会いに来たのは九月の終わりだ。そうだ、向こうの
俺はジードに何も話さず向こうに帰った。その間、ジードはこちらで、どんな気持ちでいたんだ。胸が締めつけられて、上手く息ができない。
「ジード、ごめん。ごめ……」
「ユウ」
ジードはぎゅっと俺の手を握った。
「……俺はユウを恨んだ」
ジードは、床を見ながら、静かに話し始めた。
遠征から帰ったら、ユウがいなかった。「ユウ様はご自分の世界にお帰りになりました」とレトが言った。何を言われたのかわからず、ユウの寝室に駆け込んだ。どこを見ても、使っていたものは全部そのままだった。それなのに、本人だけがいない。
――どうして。
なんで自分の世界に帰った?どうして相談してくれなかったんだ。俺は知らなかった。ユウがそんなに悩んでいたなんて。そんなに俺は頼りない人間だと思われていたのか。
ユウの役に立ちたい。ユウが喜ぶなら何でもしてやりたい。
ユウが望むなら、バズアだっていくらでも倒してくるし、どんなものでも欲しいと言えば手に入れてやる。ずっとそう思っていた。
俺のことを好きだと言ったのに。
この世界にたった一人、俺だけを置いていくのか。
レトが渡してくれた手紙を何度も読んだ。少しも心は晴れず、酒に溺れて周囲に当たり散らした。魔獣討伐で上手く共同動作が出来なくなって、小隊全体が危険にさらされたこともある。ゾーエン部隊長から呼び出しを受けて部屋に行った。
「……いきなり殴られたんだ」
「ゾーエンに?」
「いや、一緒にいた第一騎士団のザウアー部隊長に。ゾーエン部隊長は、驚いて止めに入ってくれた」
エリクが?ジードを殴る?
信じられない話に、俺は言葉もなかった。
「俺が荒れていた理由を、騎士団で知らない者はいない。ザウアー部隊長はユウが帰った理由も知っていた。自分のことしか考えられない大馬鹿野郎! と怒鳴られた。いなくなった自分のせいで親が倒れたと知ったら必死で駆けつけるだろう。ユウ様はお前のことが好きだから、逆に何も言えなかったんだと言われて、雷魔法で焼かれるところだった」
涙が勝手に、幾つも幾つも頬を流れていく。
「ザウアー部隊長が言ったんだ。騎士ならば、一度心を捧げた相手を放っておきはしない。お前はそれでも、騎士の端くれかと。殴られた後、もう一度ユウの手紙をじっくり読んだ。手紙には、涙の滲んだ痕があった。少しだけ空いた場所も。ユウは、書きたかったことが他にあったのかもしれないと思った」
凪いだ湖面のような碧の瞳が俺を見る。あの日、書けなかった言葉が甦る。
……待ってて。
書いたらきっと、ジードは待っていてくれる。何年経っても忘れないでいてくれる。そう思ったら、無理だった。二度と戻れないのに俺を待っててほしいなんて、決して書けるわけがない。でも本当は、家族に全部話して、もう一度こちらに戻りたかった。
ジードは部隊長たちの元に行って頭を下げた。ユウに会いたい。向こうの世界に迎えに行きたい。でも、どうしたらいいのかわからない。どうか力を貸してくれと。エリクたちがテオの元に向かい、エルンの魔術師に連絡をとってもらったが、いい返事は帰ってこなかった。
――自分の世界に帰った者の行方を探すのは、ひどく難しい。本来所属する世界に帰ったのだから、それが自然なのだ。せめてこちらの世界のものを持っているなら話は別だが、帰還術の成功率を上げるために、彼はこちらの世界のものを全て置いていったはずだ。
「話を聞いたスフェンが、自分の魔力を籠めたペンダントをユウが持っているかもしれないと言った。ごくわずかな魔力をまだ感じる、それで跡を追えるかもと言ったんだ。俺は、自分の贈った琥珀の気配を探ったけれど、辿れなかった。全く情けないな」
琥珀はジードの絶望を感じて色を変えた。死んだも同然の石に胸が痛む。
ジードの願いを聞いたレトがゼノに、ゾーエンがラダに頼んでくれた。二人は研究所の仕事の合間に、あちこちに声をかけて俺の世界に繋がる方法を探した。新たな魔道具を作り、スフェンの魔力を増幅させる。俺の世界に少しでも近づき、繋がるために。
ジードは何度も帰還術を行う魔術師に手紙を書いて、とうとうエルンまで頼みに行った。後押ししたのはテオだと言う。魔獣と深い森に囲まれた家を探り当てられ、根負けした魔術師が一度だけならと請け負った。
涙が止まらなかった。たくさんの人たちが俺が戻る為に手を貸してくれた。王宮で聞こえたのは、やっぱり皆の声だったんだ。
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