第43話 元の世界で

 目を開けたら、高校の駐輪場に立っていた。俺が異世界に行く前に、にあった場所だ。魔術師の帰還術は見事に成功して、俺は元の世界に帰ったのだ。


 今日は……何日?


 駐輪場のすぐ近くには、昇降口に繋がる小さなロータリーがある。ロータリーの中央には、時計塔があった。時刻はお昼だ。でも、校舎が静かなのは何でだろう? そういえば、駐輪場だってガラガラだった。そして、じりじりと陽が照りつけて暑い。


「……さ、佐田さだ?」


 振り返ると、小柄な男が立っていた。大きな瞳が丸くなって、半袖姿でこちらを呆然と見ている。手に持っていたコンビニの袋を落として、あっという間に顔がぐしゃぐしゃになる。


「……花井はない?」

「おっ、お前、今まで! どこ行ってたんだよ!」


 体を掴んでゆさぶる友人から、今が七月の終わりで夏休みだと知った。


 時間の流れは、向こうとこっちでは全く違っていた。俺が異世界に飛ばされたのは一学期の中間テスト前だった。そう、たしか六月の真ん中だったんだ。向こうには九か月位いたはずなのに、こちらでは一か月半しか経っていない。

 こちらの一か月が向こうの半年になるのか。


 花井は家政部で、俺の親友だった。部活に来た花井が泣きながらスマホを貸してくれたので、俺はものすごく久しぶりに自宅に電話した。一番上の姉が出て「姉さん、俺だけど」と言った途端に無言になり、いきなり電話を切られた。花井が代わりにかけてくれて、そこからが大騒ぎになった。

 車を飛ばして学校に駆けつけた姉は、俺を見た途端、泣き崩れた。花井も一緒に自宅に行き、帰宅した家族は皆、魂が抜けたような顔になって、その後もみくちゃにされた。父親も会社から早退してきた。


「……母さんは?」


 おそらく家にいないとわかっていたけれど、俺は姉たちに聞いた。


「病院。後で一緒に行こうね」

ゆうちゃんが帰ってきたから、すぐによくなるよ」


 たくさん俺の事を心配した母は、頑張って頑張って、とうとう倒れてしまった。病院に面会に行ったら、母は目を瞠って俺の手を取った。久しぶりに触れた母親の手はすっかり痩せて細くなってしまっていた。声も出さずに泣く母の姿を見たことなんて、今まであったんだろうか。


 その後、警察や学校に連絡して、病院で検査を受けた。いなくなった間どこにいたかを聞かれたので、素直に打ち明けた。ごまかしきれる自信がなかったからだが、何だか長い名前の病名がついた。健康診断もされたけれど、体には問題がない。

 取材させてほしい、と言う声もあったが、親と学校が強く拒否して庇ってくれた。


 確かにあの日、大きな地震があった。でも、行方不明になったのは俺だけだった。駐輪場の近くにはケーキの材料が入った保冷バッグが落ちていたから、誘拐かと思われたらしい。もちろん友人間のトラブルや家出の可能性も考慮された。ただ、駐輪場には既に自転車が停められていたので謎が深まったようだった。


 夏休みはあっという間に過ぎて、二学期が始まった。しばらくは、あちこちで話題の中心にされていた。ただ、学校では俺に直接、いなくなった間の話を聞くのはタブー視されている。何か事件に巻き込まれたのだという噂がたっていたからだ。ちょうどいいのでそのままにしておいた。異世界の話をしても信じてもらえるとは、もう思わない。 


 花井にだけは、俺は異世界で暮らしていたことを打ち明けた。


「……佐田の話を聞いてて、一つ不思議なことがあるんだけど」

「一つか。花井もだいぶ俺の話に慣れたよな」


 ねえ! 聞いてても全然わかんないよ。不思議なことばっかりなんだけど! と最初のうちは叫んでいたのに。


「今も全然わからないことだらけだよ。異世界もだけど、佐田だって、すっかり雰囲気代わって落ち着いてるし」

「俺、向こうに行って色々学んだんだ」

「え?」

「自分よりデカい奴らしかいない世界だと、何だか最初から土俵が違うっていうか、自分を大きく見せる必要がないっていうか」

「ふぅん。ぼくが不思議なのはさ……、どうして佐田は、こっちに帰ってきたのかってこと」

「えっ?」


 花井が長い睫毛を伏せて、小声になる。


「もちろん、佐田が帰ってきてくれて嬉しいよ。でもさ、佐田はその、異世界の話が楽しそうで、時々すごく……」


 寂しそうに見えるから、と花井は言った。


「花井の……、気のせいだよ」

「そうか、ごめん。変なこと言って」




 自宅に戻って、俺はベッドに寝転がった。四方をクリーム色の壁紙に囲まれて、エアコンが目に入る。電力が使えるのって、何だか魔力と似てるよなあ。

 異世界に行っていた時は、違いばかり目についていたのに、こちらに帰ってからは、似ているところが目につく。あの世界がすっかり日常になってたってことなのか。


 俺はヘッドボードの棚に置いたペンダントを手に取った。

 あちらの世界で使っていたものは、そのまま置いてきた。魔術師に言われたから。


『こちらの世界のものを、ご自身から離してください。帰還術はとは違う。それぞれの世界に、己に属するものをものなんです。ご自身の世界のものだけを身に着けてください』


 どんなものにも、所属する世界がある。俺は帰還術によって、元の自分の世界に呼び寄せられた。


 それでも、どうしても置いてこられなかったものがある。

 ジードからもらった琥珀のピアスと、スフェンのペンダントだ。革袋に入れて首から下げていた二つを、俺は今も大事に持っている。これがなかったら、異世界での日々を忘れてしまう気がして怖い。


 ずっと思っていた。

 これを見て何度でも思い出すんだって。大事な人たちのことを。俺のことを心配してくれた人たちのことを。


 ……何よりも、ジードのことを。


 花井には言わなかった。

 俺がこっちに帰るのを決めたのは、母さんたちの夢を見たからだ。

 母さんや姉さんたちが俺を探している夢だ。毎日必死で探している。朝も夜もずっと、俺の無事を祈っている。そして、母さんが倒れて病院に運ばれた。


 これは唯の夢じゃない、と思った。


 家族にこっちの様子を伝えられないだろうか。俺の無事を知らせたら、皆、安心するんじゃないか。


 眠れない日々が続き、レトに相談して王宮魔術師に見てもらった。魔術師は俺の夢の残滓ざんしをたどり、確かに異世界からの力だ、俺と同じ属性のものだと言う。何とかこちらの事を伝えられないかと聞いても、無理だと言われた。そんな方法は聞いたことがない。他の魔術師に聞いても同じだった。

 老いた魔術師が、望みが一つだけあると言った。隣国のエルンに住む高名な魔術師なら方法を知っているかもしれない。ただ、彼に連絡を取るのは難しい。伝手つてとなるのは王族ぐらいだと。


 俺は全てを話してテオを頼った。テオがエルンの魔術師に連絡を取ってくれた。彼は帰還術で有名な男だった。

 一度だけ会ったエルンの魔術師からは、異世界との交信手段はないと言われた。人の発する強い想いには力がある。我が子や兄弟への必死な祈りだから何とかここまで来られたのだろう。そう言われた日から、俺の平穏はなくなった。


 母たちに、自分の無事を伝える方法がない。


 家族がぎりぎりなのは見て分かった。俺だけこちらにいてもいいのか。今なら、帰還術を行う魔術師に払うだけの金も用意できる。


 テオたちは一緒に考えてくれた。日に日に弱っていく家族を見て、帰るしかないと言う俺に、二人は意を決したように尋ねた。

 ……帰ったら、もうこちらに来ることはできない。ジードと離れてもいいのか、と。


 離れたいわけが、なかった。


 それでも、家族を見捨てることもできない。

 早くしなければ、俺のせいで家族が壊れてしまう。選ばなきゃいけない。

 

 俺の頭の中にはいつも、テーブルに散った白い花びらがあった。あれは、壊れてしまった俺の家族だとしか思えなかった。

 

 何度も何度も、ジードに言おうと思った。言ったら、きっとジードはわかってくれる。でも、言えなかった。レトに託した手紙には、これまでの経緯を書いた。そして、「ごめん」と「ありがとう」をたくさん。それ以上はもう、書けなかった。

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