第42話 ユウの決断

 王立研究所にレトと通いながら、俺は毎日、レシピを紙に書きつけていた。砂糖バズアさえ使えれば、できることはたくさんある。それに、今は魔石オーブンと魔石冷蔵庫も身近にあるのだ。菓子作りの幅が大きく広がることは間違いない。

 魔力分析研究室の主任であるラダは、俺の作った菓子を片端から解析にかけると言う。


「ピールは偶然の産物だよ。そうそう、あんな魔力を高めるものなんてできないって」

「わかりませんよ。またその万が一に当たるかもしれないんですから」

「プリンや卵ボーロは何もなかっただろ?」

砂糖バズアから魔力が得られることはわかりました。それに」

「それに?」

「……スイーツを食べたら幸せな気持ちになるってことも」


 ラダの口元に笑みが浮かぶ。俺はうんうんと頷いた。それが一番大事なことだと思う。疲れた時にほんの少し口にする。それだけで、心がずっと楽になるんだ。


 俺の母は、仕事が休みの日に時々菓子を作った。甘い香りが漂ってくると、俺はすぐに台所に向かう。「目ざといなあ」と笑いながら、いつも俺に味見の分をくれた。

そんなことを思い出したからかもしれない。


 一つの夢を見た。


 初めて見た日は、真夜中にベッドから跳ね起きた。動悸が激しくなり、全身に汗をかいていた。喉がからからで、とにかく水が欲しい。ふらふらと起き上がり、隣の部屋に行ってコップに水を汲んだ。一気に飲んだ後、コップを置いたテーブルには、白い花が揺れていた。

 もう一度眠ろうと思っても、朝まで一睡もできなかった。


 日を置かず、まるで続きのように夢を見ることが増えた。切れ切れに訪れる夢は、まるで映像の一部を切り取ったように鮮やかだ。夢の内容が気になって、昼間でもぼうっとすることが増えた。最初に気づいたのはジードだった。


「大丈夫か、ユウ。顔色が悪い」

「ちょっと疲れてるのかな。最近よく眠れないんだ」


 しっかり休んだ方がいいと言われ、ベッドに横になっても体は楽にならなかった。俺にはわかっていた。夢が気になって仕方がないのに、夢を見るのが辛い。だから、眠るのが怖いのだ。


 ジードは短期間の遠征が入り、俺を心配しながら出かけて行った。無理はするな、何かあったらすぐに連絡をくれと言って。俺はジードを見送った後、すぐにレトに相談した。夢の内容を、何もかも。

 驚いたレトは、親身になって話を聞いてくれた。魔法で何とかならないかと王宮魔術師にも相談に行った。彼らは沈痛な顔をして、一様に首を横に振った。


 夢の訪れは止まなかった。どうしていいかわからなくて、食欲はどんどん落ちていく。夜中に目覚めた時、水を求めて小さな台所に向かう。ふと見たら、テーブルの上に白い花びらが散っていた。コップには、枯れかけた花が寂し気に揺れている。


 俺の目からは、涙が溢れて止まらなかった。椅子に座り込んで、朝までずっと花を眺めていた。外が明るくなった時、俺はテオの宮殿に向かった。隣国の深い森の中に住むという、一人の魔術師に連絡を取ってもらうために。






 エイランの王宮の奥にある一室は、魔術師の為の部屋だ。強固な結界魔法が張られ、王族の許可なくしては入れない。周囲は常に屈強な護衛騎士たちで守られている。その部屋の中心で、俺は一人の魔術師と向かい合っていた。


 真っ黒なローブをまとった男が俺の目の前に立つ。この世界では珍しい黒髪黒目で、背もそんなに高くない。俺より少し小さいぐらいだ。見た感じは穏やかで、ごく普通の印象を受ける。とても、この道において右に出る者はいないと言われるような、力のある存在には思えなかった。


 彼は静かに、俺を見た。会うのは今日が二度目だ。

 会ってもらえるだけでも大変なことで、彼が納得した者しか引き受けてはもらえないと聞いた。


 初めて会った時に俺の話を全部聞いた彼は、じっと俺を見た。そして、貴方はよく考えた方がいいと言った。何度も何度も考えましたと答えれば、彼は俺を見つめてしばらく考え込んでいた。そして、今日を指定されたのだ。


「客人殿、準備はよろしいですか?」

「ええ、大丈夫です。後のことは頼んであります」

「これが最後の確認です。はこちらの世界から、元々いらした世界に渡るものです。完全に一方通行しかない。もし、少しでもこちらに残るお気持ちがあるなら、考え直された方がいいでしょう」

「何度も考えて……。決めました」


 漆黒の瞳が俺の瞳を見据えた。俺よりも少し年上にしか見えないのに、彼はまるで長い時を生きているような老成した雰囲気があった。


「……わかりました。では、こちらへ」


 自分の目の前に、直系一メートル位の丸い輪がある。輪の中は虹色に揺らめいて、ずっと見ているとくらくらしてくる。


「私が詠唱を始めたら、その輪の中心に進んでください」


 俺は、こちらに来てからずっとしまいこんでいた制服を着て、革靴を履いていた。クローゼットの中にあったブレザーの上下にネクタイ。ずっと馴染んでいたはずの服が、今では違和感しかない。


 自分の後ろを振り返った。

 真っ青な顔のレトと、唇を引き結んだテオが立っている。初めて相談した日から、ずっと真剣に話を聞いてくれた。二人とも何度も、他に方法がないか考えようと言ってくれた。


「ごめん、二人とも。最後まで迷惑かけて」

「ユウ」

「……ユウ様」

「テオ、皆に伝えてください。レト、手紙をどうか……お願いします」


 テオが頷き、レトも涙を堪えながら頷いてくれた。


「……ありがとう」


 俺は精一杯の笑顔を作った。最後の顔は笑顔でいたかった。

 テオの端正な顔が歪む。レトは笑おうとしたのだろう。眉が寄ったかと思うと、見る間にくしゃくしゃになる。それでも必死に目をこすって、俺を見送ろうとしてくれた。

 

 俺は今度こそ前を見て、輪の中に進んだ。魔術師の澄んだ声が大きくなって、耳から体の奥に響く。足元の虹色の光が渦を巻いて立ち上り、下から少しずつ、巻き付くように俺の体を包んでいく。


 ……ああ、ここに来た時によく似てる。


 あの時は、学校の駐輪場にいた。体が大きく揺れて気がついたら、魔獣に喰われそうになっていたんだ。助けてくれたのは、ジードだった。


 食堂で、たくさんの人の視線から遮ってくれたのも。

 魔林でバズアの元に落ちていくところを助けてくれたのも。


 ――いつだって、進んで俺を庇ってくれた。



 ……好きだよ、ジード。


 異世界で出会った俺の騎士。

 俺のことをずっと大事に思ってくれた騎士。


 ちゃんと、話をしなくてごめん。

 何度も言おうと思ったけど、言えなくてごめん。


 手紙、読んでくれるかな。きっと、すごく怒るよな。

 せめて嫌わないでくれたら……いいな。そう思うのは虫がよすぎるだろうか。


 体が段々熱くなって大きく揺れる。目の前が虹色に包まれて、何も見えない。自分の周りにあるのは、光の輝きだけだ。


 運命、って聞いても今までよくわからなかったけど。

 こっちの意思に関係なく人を振り回すものなら意地が悪い。そのくせ、選ぶ時だけはいつでも、自己責任だって言うんだろう。



 ごめん、ジード。

 俺の運命は、ここにいることじゃなかったみたいだ。


 ――……俺、元の世界に、帰るね。


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