第三章 二つの世界

第39話 プリン再び

 俺は待っていた。今か、今かと待っていた。この世界に来てから初めて、高級食材を買ったのだ。

 コンコン、と部屋の扉が叩かれ、ドキドキしながら出てみると、王宮出入り商人の笑顔があった。


「この度は、ご注文いただきましてありがとうございます。品が揃いましたので、お持ち致しました」


 ――来た!


「ど、どうぞ」

「失礼致します。ちょうど産卵期に入ったものがおりまして、非常に状態の良いものが手に入りました。こちらで、お間違いはないでしょうか」

「は、はい。ちょっと確認させてください」


 商人を部屋の中に入れ、箱を開けてもらって中身を確かめる。形と数を確認して、ほっと息をついた。驚いたことに、品質保証書までついていた。栄養価は高いが特に魔力などは含まれていない。


「これなら大丈夫だと思います。ありがとうございました!」

「客人殿のご注文を承ることができまして、大変栄誉なことと感激しております。どうぞまたお申し付けください」


 俺と商人は互いに深々と頭を下げた。扉を閉めて、ゆっくりと中身を見た。

 目の前には、木箱に布が敷かれ、そこに柔らかな綿がたっぷり詰め込まれている。そして、中には手の平に乗るぐらいの小さな大きさの……、俺には見慣れた大きさの品が並んでいる。


「……たまご」


 思わず涙ぐんでしまった。

 そう、卵だ。俺の国では十個で一パックに入っているあれ。それが今、俺の目の前の木箱には三十個ほど並んでいる。こちらの世界では、鶏卵サイズの卵は大変な高級品だ。気軽に手に入るようなものじゃないが、今の俺には小金がある。

 俺は陛下からもらった報奨金を大事に貯めていた。王宮を出てからは、先立つものが必要だと思っていたからだ。でも、今回ばかりはそれに手を付けた。じいちゃんも言っていた。「金には生きた金と死に金がある。使い時を間違えるな」と。


 魔林から無事に帰ってきて、俺にはジードにもらったバズアがある。今こそ、金の使い時だろう。


「……本当に、卵だ」


 野生の鳥の中で小型の卵を産むものはいるが、飼育はされていない。うまく卵を獲ることは大変らしい。

 殻の色が白なだけで、目の奥が熱くなった。何しろ、青紫だったり目が痛くなるほどギラギラしたりしないのだ。卵の中身が白と黄色だったら文句はないが、それは郷愁だから贅沢は言わない。ただ、赤や黒は怖い気がするから商人にあらかじめ確認しておいた。淡い緑だと言われて、ほっとした。


 今日は休みだから、部屋についている小さな台所で作る。王宮の厨房や研究所のほうが設備はいいけれど、今日のは違う。自分一人でひっそりと作りたかった。魔石オーブンは、ゼノが俺用に改良してくれたものを研究所から持ってきた。

 ジードからもらったバズア。届いた卵。そして、サグの濃厚な乳。これがあれば、今度こそプリンができる。サグの乳は水で少しずつ薄めていけば、牛乳の代わりになるはずだ。他には、穀物の粉も手に入れた。


「よし!」


 俺は早速、菓子作りに取りかかった。


 卵の殻をコンコンとテーブルに打ち付けて、ひびを入れる。

 ……ちょっと硬いな。まさか、これも割った場所で味が変わったりするんだろうか?

 もう少し、と打ち付けたら、ひびが入った。器に向かって、ぱかんと卵を割る。とろんと広がるのは、ちゃんと思った通りの卵白と卵黄だ。黄身じゃなくて、本当にミントグリーンみたいな色だったけど。


 生クリームみたいに濃厚なサグの乳は、少しずつ薄めて何度も味を見た。牛乳に近いところまで薄めて使う。卵と砂糖バズアとサグの乳をよく混ぜた。

 今回はバズアでカラメルも作る。バズアは断面から崩れていくので、解体して運ぶ時は魔力で固定させた。研究所では、それをいつでも使えるようにサラサラの状態にしている。

 小鍋にバズアと水を入れながらほう、とため息が出た。バズアは精製された砂糖のように水に溶けていく。


「魔林ではあんなに怖い生き物なのに……」


 火を入れて煮詰め、できたばかりのカラメルを味見した時は思わず、自分の頬をつねった。本当に……本当に、ちゃんと甘くてほろ苦い、あの味だ。

 カラメルを型に入れ、その後に卵液をそそぐ。後は魔石オーブンで焼くだけだ。魔力のない俺が一人でも使えるように、ゼノが色々と改良してくれた。

 オーブンの表面に温度と時間を指で書くと、字が光って中に吸い込まれていく。淡く発光すれば、オーブンが動き始める。


 無事にできるだろうか。いや、できなくても、何度でも作り直せばいいんだ。

 ……でもやっぱり、うまくいきますように。


 プリンが出来上がるまでの間、俺は女神にひたすら祈っていた。


 リーン、と終了の綺麗な音色が響いた。恐る恐るオーブンから出すと、目の前には艶やかな薄緑色のプリンが並んでいる。まるで抹茶プリンだ。


「やった!」


 これなら、プリンと言っても違和感はない。いそいそと取り出す間も、顔が緩んで仕方がなかった。でも、まだ安心はできない。成功かどうかは食べてみなければわからないのだ。謎の茶碗蒸しにならないとも限らない。


 粗熱が取れたら、スプーンでそっとすくう。スプーンの上で、ふるふると震えているのを見ると、めちゃくちゃ緊張する。

 ぱくり、と口に入れた。


 ――プリン、だ。


 卵のまろやかさと砂糖の甘さ、そしてサグの乳のコクが混然一体になっている。カラメルは少し甘め。


ゆうちゃん、カラメルにがーい! もっと甘くして』

『ちょっと苦めの方がうまくない?』

『えー、甘い方がいいって』

『どっちもおいしい。もっと食べたい!』

『あっ! ずるい。勝手に二個目食べてる!!』


 味覚ってすごい。いくらこっちに慣れたつもりでも、あっという間に思い出を連れてくる。プリンを作ると、いつもとんできた姉たちの笑顔が浮かぶ。


 子どもの頃、母が焼いてくれたプリン。姉たちが作ったミックス粉を溶いて固めるプリン。学校帰りに買った、コンビニのたくさんのプリンたち。

 ここに来て初めて作ったプリンは水色で、食べられるような代物じゃなかった。それをレトとジードが食べてくれた。


「……ッ」


 涙がボロボロ落ちてくる。

 味見したプリンが、舌の上で溶けていく。甘くてほろ苦くて、涙のおかげで少ししょっぱくなってしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る