第37話 騎士の心

 テントの隙間から流れ込む空気は、いつもよりずっと冷えている。これはもう冬なんじゃないか。吐く息が白くなり、布団の中に残った温もりを恋しく思う。そんな季節を思い出しながら、ゆっくりと目を開けた。


「……え?」


 目に入ったのは、くすんだ金色の髪だった。規則正しい寝息も聞こえる。自分を胸に抱えたまま、ジードが眠っていた。まるで小さな子どものようにあどけない顔で。


 どうして、ジードがここにいるんだろう?


 昨夜の記憶を必死で思い出す。ジードは俺の隣に座って話をしていた。抱きあって、ジードの体が温かくて……。そこまでしか覚えていない。

 ジードも疲れて眠ってしまったんだろうか? それとも、知らぬ間に俺がここにいてくれと頼みこんだんだろうか。

 じっとしていたら、ジードの体が動いた。もぞもぞと動いたかと思うと、俺の旋毛つむじにキスをする。


 ジードはぎゅううっと俺を抱きしめたかと思うと動かなくなり、今度は腕の力が抜けていく。あれっと思ったら、すうすうと寝息が聞こえる。

 ああ、寝ぼけているんだと気づいたけれど、俺はしばらく動かないままでいた。ジードのこんな姿を見たのは初めてで、ドキドキしたから。

 いつのまにか、俺もジードと共に二度寝してしまい、目覚めた時にはとっくに夜が明けていた。一緒に起きたジードが困ったような微笑みを浮かべている。


「ユウが眠った後にレトに頼んだんだ。今夜はユウの側にいさせてくれって。ただ、こんなに眠るつもりじゃなかった」


 俺は、夜の間抱きしめていてくれたジードと、レトに感謝した。一人だったら、きっとつらく悲しい夢を見たような気がする。傷つけられた右手の痛みは、ほとんど消えていた。




 魔林の様子は一変した。それは、レシオンと呼ばれる氷竜たちのおかげだった。


 魔林に向かった偵察部隊の話を改めて聞くと、氷竜たちの成果たるや恐ろしいものだった。魔林の中のバズアはものすごい勢いで捕食され、魔力が溜まった竜が凍気を吐き出せば、たちどころに花は凍ってバラバラになった。魔獣のことは、やはり魔獣に任せるのが早い。

 大気は少しずつ落ち着きを見せ、魔林からバズアや魔獣が現れることも激減した。


「彼らが滞在してくれれば、魔林の中のバズアはいずれ駆逐されるだろう」


 騎士団長の言葉に、俺はふと浮かんだ質問を口にした。


「バズアを巡って、他の魔獣と争いにはならないんでしょうか?」

「氷竜に真っ向から挑むものはいない。魔林の魔獣は皆、凍気に弱いし、一頭の氷竜と戦う内に群れの他の竜から攻撃される恐れがある」


 例え体の大きさが変わらなくても、自分が苦手なタイプの魔獣と戦うことは不利になる。今の魔林では、氷竜たちよりも強い魔獣はいないようだ。

 騎士たちが刻々と変わる魔林の状況について報告し、意見を交わす。話し合いが終わると、ジードが真剣な表情でこちらを見た。


「ユウ、今、いいか?」

「うん」

「見せたいものがあるんだ。昨日は渡せなかったから」


 見せたいもの? 何だろう?


 俺はジードと一緒に氷竜たちの元へと向かった。

 テントから少し離れて、氷竜たちはくつろいでいた。バズアを食べて、群れ全体が活気づいているようだ。ジードが温熱魔法をかけてくれなかったら、俺には近づくこともできない。

 今日も薄氷色の竜と暗青色の竜は鼻先を擦り合わせ、優しく互いを舐めている。彼らはいつでも仲がいい。


「こんなに大事に想ってる相手が急にいなくなったら、そりゃあ探すよな」

「そうだな。本来、竜は人の言葉なんか聞かないんだが、あの番の竜が俺たちの力になるよう言ってくれているんだ。この魔林で俺に助けられたからと」


 ジードが薄氷色の竜に会った時、氷竜は魔林の熱を受けて大分弱っていた。他の竜種がバズアを食べることは知っていたから、これを食べれば力になるかもしれないとジードが教えたのだ。薄氷色の竜はバズアで力を回復しながら、番である王竜を呼び続けた。


 薄氷色の竜の側にジードが立つ。竜の隣に真っ白な塊が置かれていた。ジードの体の倍もありそうな大きさだ。ジードが手を上げると、真っ白な塊がふわりと舞い上がり、俺の目の前に置かれた。


「昨日、魔林から氷竜に運んでもらったんだ」


 ……まさか。


 思わず目が丸くなった。何度も目を瞬いてしまう。雪の塊かと思ったけれど、違う。今まで見てきたものとは、色が違う。でも、形は同じだ。

 体が勝手にガタガタと震え出す。


「ななななんで、それ! どどどうして、ここに!」

「……大丈夫、もう核は壊してある。ユウに受け取ってほしいんだ」

「受け取るって? それを俺に? 何で……」


 ジードが見せたものは、散々見慣れたはずの、バズアの形をしている。でも、まるで死んだ珊瑚のように真っ白だ。その場に下ろすと、変わり果てたバズアの体が地に広がる。


 呆然と見つめていると、ジードが真剣な目をして言う。


「俺の祖父は、世界中を旅していた。自分の足であちこちを歩きながら、様々な世界を見たことをよく話してくれた。祖父がよく言っていたんだ。大事な相手にはちゃんと自分の心を見せろと」


 ああ、ジードは祖父に影響を受けて、第三騎士団を希望したのだと言っていた。


「ユウはいつも、俺に新しい世界を見せてくれる。俺はいつも一緒にいられるわけじゃないし、不安にさせることも多くて、すまないと思う……。でも」


 ジードはぐっと眉を寄せて、はっきりと言った。


「それでも俺はユウと一緒にいたい。ユウの役に立ちたい」


 ジードが、しゃがみこんでバズアの花の一部を持ちあげた。まるで植物だったとは思えないぐらい硬質化している。花びらの先端をジードが折り取ると、断面からさらさらと白い砂のようなものが落ちていく。


 ……何かに似てる。


「これは、俺が自分で仕留めた。ユウ、食べてみてくれ」

「た、食べる? バズアって、ひ、人が食べても平気なの?」


 ジードが頷く。ものすごく真剣な表情をしている。

 背中に冷や汗が流れた。


 ここで食べなかったら、きっとまずい。ジードが俺の為にってきてくれたんだから。

 食べられるって言うんだから、食べられるんだろう。じいちゃんが言ってた。同じ釜の飯を食ったら気心が知れる、って。

 ふっと上を見たら、二頭の竜がこっちをじっと見ていた。


 ……ああ、そうだよな。お前たちもこれ、好物なんだよな。

 

 これを食べなかったら、竜からも冷たい目で見られそうだ。頭の上には竜、目の前には真剣なジード。もはや後には引けそうにない。ごくりと唾を飲み込んだ。

 ああ、もう!男は度胸だ!俺はジードからバズアを受け取って、思い切って口に入れた。


 ――……。


 脳を突き抜けていく強烈な味覚。この世界に来てから、ずっと長いこと口にしていなかったもの。


「……あまい」


 目の前でさらさらとこぼれていく、真っ白な姿。そうだ、これは。


「――砂糖?」


 そうだ。砂糖にそっくりだ。


「ユウが前に言っていたものに近いか?」


 ジードが不安げな顔で覗き込んでくる。

 いつ、ジードにそんな話をしたのか、もう覚えていない。ジードは俺の言葉をずっと覚えていてくれたんだろうか。


「これがあったら、ユウは作りたいものが作れるんじゃないかと、ずっと思っていた。あんなに悲しそうに泣くことはないのかと」

「そ、それってもしかして……」


 この世界に来たばかりで、プリンを失敗した時のことだろうか。


「王都に戻る時には、何としても持ち帰りたかった。今までは戦うばかりで余裕がなかったが、氷竜たちのおかげで魔林も収拾がつくと思った」


 二頭の竜は互いに体を寄せ合いながら、こちらを見ていた。心なしか優しい目をしている気がする。


「……これは、俺の世界のものと……似てる。すごく、よく似てる」


 必死に声を絞り出すと、ジードが安心したように笑顔を見せる。初めて見た時からイケメンだけど、今日はいつもの何十倍もイケメンだ。


 ありがとうと言おうと思うのに、涙が勝手にこぼれた。ジードが顔を寄せてきて、そっとキスをする。


「すごく甘い」


 俺の唇をぺろりと舐めて、ジードはまるで子どもみたいに笑う。俺はただ頷くしかなかった。ジードが手を伸ばして抱きしめてくれる。俺も背中に手を回した。


 あんなに欲しかった砂糖。

 あんなに怖かったバズア。


 ジードが俺の為に獲ってきてくれた。


「こ、これ、王都に、持って……帰れる、かな」

「解体して持ち帰ろう。ユウが使ってくれたら嬉しい」

「うん。たくさん……作る」


 一番先に、ジードの為にスイーツを作る。何度失敗しても、ジードがいてくれたら俺はもう一度頑張れる。


「よかった。受け取ってもらえなかったら、どうしようかと思った」

「バズア、だもんな」

「ああ。それに、ユウの言う『さとう』に近いのかどうかが、わからなかった」

「あり……がと。ジード」


 ソノワに、「何でこの世界に来た」と言われて悔しかった。俺が知りたい、そんなこと。勝手に巻き込まれて、来たかったわけでもないのに。


 でも。……よかった。

 ここには、ジードがいる。まっすぐな騎士が、俺が好きだと言ってくれる。俺を好きなことは罪ではないと、心から思ってくれる。


 ――この世界に来て、よかった。


「ユウには、自分の力で獲ってきたものを渡したかった」

「……うん」


 口の中の甘さは、心が溶けあう甘さと混じり合う。ジードの優しさが体の奥まで沁み渡っていく。

 俺は、後から後からあふれる涙を止められなかった。

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