第36話 魔力と断罪



「ユウっ!」



 辺りを切り裂くような声が聞こえて、俺の手が銀色の光に包まれた。


 俺とソノワの間に一人の男が立った。彼から流れる光は他の人と違う。他の騎士たちの光は金色で熱く感じても、彼の持つ光は銀色で冷えている。その光が今、自分の痛みと熱を鎮めていく。


 地に転がったまま動くこともできず、俺は二人を見つめていた。こちらに向けたソノワの瞳は驚愕に見開かれ、見る間に蒼白な顔色に変わる。


「……で、殿下」


 俺の前に立つのはテオだ。テオの体の周りに青白い炎のような銀色の光が広がっていく。


「これは、どういうことか。答えよ、ソノワ」


 ソノワの口からは何も言葉が出ない。テオの発する凄まじい怒りに、ただ震えている。地に伏せたままの俺のところまで、彼の怒りと恐れが入り混じった思念が伝わってくる。


「答えられぬか。……ならば、ソノワ。とは何か?」

 

 テオの銀色の光が増し、あえぐようにしてソノワの口から言葉が出る。


「……しゅ、主君とッ……女神、への忠誠と……奉仕。並びに、弱者の、保護……にございます」

「では、其方の行為は、その全てにあてはまらぬ」


 テオの言葉は、底冷えがするほど静かだった。

 すっと右手が上がり、人差し指と中指が揃ってソノワの額に向けられた。

 ソノワがひゅっと息を呑む。首を振ってテオの指から逃れようとするけれど、体が固まったかのように動けない。


「私は其方に命じたのだ。女神の恩寵ある客人まろうどを守れと。魔力を持たぬ身を保護せよと」

「……あ、あ」

「女神から授かった魔力を使い、我等の恩人に危害を加えるとは。己の義務を怠る者を、私は騎士とは呼べぬ」


 テオの指が銀色に光り輝く。そして、いつもならそこから魔力が広がっていくのに、全く反対のことが起きた。目を大きく見開いたまま身動きできないソノワの額から、金色の輝きがテオの指先に吸い込まれていく。


「魔力無きままに生きよ」

「……う、あ……あッ!」


 テオの表情は動かず、ソノワの呻き声だけが漏れる。

 光が全てテオの体に収まった時、ソノワはがくりと地に膝をついた。呆然としたまま、何度も自分の手を見て、胸に手を当てる。そして、何度か手を上げ下げした。


 ……ああ、自分の魔力を確かめているんだ。


「うわあああああ! う、嘘だ。ない! わ……たしの、魔力が! ないッ!」


 ソノワは両手を強く握りしめたかと思うと、辺りに響き渡るような絶叫を上げた。


 テオは眉一つ動かさない。何人も騎士たちが遠くから走ってくる。駆けつけた騎士の一人が俺の体を助け起こした。


「ドゥエはいるか!」

「はっ!」

「ソノワを連れていけ。もはや魔力は失われた。騎士として役には立たぬ」


 ドゥエと他の騎士が、座り込んだままのソノワを立ち上がらせる。ソノワは、誰も見ていなかった。何度も、無いと呟きながら自分の手を見つめ、ぶつぶつと何かを呟いている。時折叫び声を上げるソノワを引きずるように、テントの向こうに騎士たちが消えていく。その姿を目で追いながら、俺は言葉もなかった。


「すまなかったな、ユウ」


 騎士に抱き起こされた俺の元に、テオがしゃがみこむ。テオの眉は下がり、ひどく疲れた顔をしていた。


「テ……オ。テオは?」

「私は、大丈夫だ」


 大丈夫なはずがない。信頼していた近衛の裏切りも、彼の魔力を奪ったことも。きっと、テオは大丈夫じゃない。それでも、テオは大丈夫だって言うんだ。

 

 誰かが俺たちの側に来たと思ったらレトだった。レトは真っ青になって、俺の手とテオを交互に見た。俺の手は銀色の光に包まれている。痛みがどんどん緩和されているから急激に治っているんだろう。光が徐々に収まると、僅かに赤みを帯びた状態まで回復していた。


「で、殿下、すぐに医療魔術師をお呼びします」

「……ユウの手はもう少しで治る」

「ユウ様だけじゃありません。殿下もお休みにならなければ……」


 レトは、今にも泣きだしそうだ。俺は左手でテオの服を引っ張った。


「テ……オ、休まなきゃ、だめだ。平気なはずがないのに、平気って言っちゃ、だめだ」

「ユウ」

「助けて、くれて。あり、がと」

「間に合ってよかった。尋常ではない憎悪の思念を感じてここに来たんだ。だが、この度のことは私の落ち度だ。ソノワに目が行き届かなかった」

「そんなこと、ない。神様じゃ、ないんだから」


 ソノワが私怨で動いたことはテオのせいじゃない。俺たちは人間だから、わからないことばっかりだ。テオが眉を寄せて少しだけ笑みを浮かべた。テオはたくさんの痛みを知っている。俺は、テオにもっと心から笑ってほしいと思う。

 それぞれのテントに引き上げると、俺のすぐ側に座ったレトの体が震えた。レトの瞳から涙がこぼれる。


「……レト」

「ま、魔獣に襲われるならまだしも、騎士が客人を襲うなんて! 私は、な、情けなくて」

「……うん」

「ユ、ユウ様は魔力がないんですよ。抵抗できないのに! しかもわざと手を狙うなんてひどすぎます! ユウ様の手は多くのものを生み出す手なのに」


 ショックも痛みも混ざって、なんて言ったらいいのかわからない。


「レトの……言う通りだと、思う。それでも、これから先ソノワはどうなるんだろうって思う」

「ユウ様」


 最初から魔力がない者と、あったものを失くす者は全然違うんじゃないだろうか。襲われた俺がこんなことを言うのはおかしいんだろうか。


「ごめん、レト。俺、少し寝る」

 

 どっと疲れが押し寄せて、もう考えることは無理だった。頭の中がごちゃごちゃで、悲しい気持ちばかりが押し寄せる。


 そのまま俺は、ぐっすりと眠り込んでしまった。何時間経ったのだろう。ふっと隣に温かい気配を感じると、誰かがいる。レトかなと思ったけれど、もっと大きい。仄かに明るい魔石の光の中で、俺の手を優しく握ってくれている。


「……ジード」

「ユウ」

「おかえり」

「ただいま……ユウ」


 ジードが隣にいてくれるのが嬉しくて笑うと、ジードの手から様々な気持ちが伝わってくる。

 大きな怒りと悲しみ、そして、後悔。


「ユウ、話は聞いた。俺がゼフィールともっとよく話せばよかった。いや、ユウを置いて魔林に行かなければよかったんだ」

「ジード、ソノワは俺が一人になるのを狙っていた。今日じゃなければ別の日に、と思ったはずだ」


 俺はジードに今までのことを話した。夜会で会った時からホーレンエフ城でのこと、そして、今日のことを。ジードはずっと静かに話を聞いていた。そして、俺の右手をそっと握りしめながら大きく息を吐いた。


「ユウ、俺は……本当に、何もわかっていなかった。ゼフィールがそこまで考えていたなんて」

「ジード、俺はソノワを庇う気はない。でも、もういいんだ」

「……ユウ?」

「ソノワは、罰だと言った。手を焼くのは……ジードを奪った盗人にふさわしい罰だって」

「ゼフィールが、そんなことを……」

「人にはそれぞれに大切なものがあって、みんなそれを守りたいんだ。大事なもののために必死になるんだ。ソノワもきっと……そうだった」


 俺は、彼の大事な妹の幸せを壊した。知らなかったとはいえ、その事実は変わらない。ソノワは、それが許せなかった。人は自分の大切なものの為に、暴走してしまうことがある。決して許されることじゃない。それでも、ひどく悲しい気持ちがよぎる。


 ジードが俺の上に覆いかぶさってくる。俺を抱きしめる体は温かい。


「罰なら、俺に与えるべきだ。俺がユウを好きになったんだから」

「……ジード」

「でも、俺はユウを好きなことを罪だとは思わない」

「……うん」

「ユウが好きだ」


 ――俺も、好きだよ。


 小さな声で囁くと、ジードの体が震えた。

 互いの温もりが、今はただ切なさも痛みも、全てを包み込んでいくような気がした。

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