第35話 ソノワの怒り

 一際大きな竜が、空からまっしぐらに降りてくる。砂埃と一緒に吹雪が辺りに巻き起こった。俺はジードにしがみつき、ジードがしっかりと俺を腕の中に抱え込む。


 大地が大きく揺れて、暗青色の竜が薄氷色の竜の元に舞い降りた。二頭の竜はすぐに鼻先を擦り合わせる。薄氷色の竜が聞いたこともないような甘い鳴き声を上げると、暗青色の竜は翼を何度か広げた。まるで薄氷色の竜を包み込もうとするかのように。


 次々に他の竜も飛来して大騒ぎになった。騎士たちがテントから飛び出してくる。なにしろ寒いのだ。魔林のある南部一帯は真夏の気候なのに、突然、真冬がやってきたようだ。さすがの騎士たちも震えるしかない。


 炎熱魔法を使う騎士たちが、キャンプファイヤーのように大地に大きな炎を作り上げる。炎を囲むように周りで皆が体を温めていた。あまり体調のよくないテオもテントを出て加わっている。

 俺はジードに温熱魔法をかけてもらいながら、竜たちを見ていた。


「彼らは氷竜の中でもレシオンという種族だ。王を中心に常に群れで行動するが、今回は王のつがいを探しに来たそうだ」

「番?」

「そうだ。突然のの後に、群れの中から王の番が姿を消した。伴侶を見失った王は半狂乱になったらしい」


 ジードの説明を聞いて、皆で思わず二頭の竜を見た。

 

 王のいなくなった番が、あの薄氷色の竜だ。時折、咆哮をあげていたのは、伴侶を呼ぶ声だったそうだ。犬の遠吠えみたいなものだったのか。

 薄氷色の竜の隣に、一回り体の大きい暗青色の竜がいる。あれが王なのだろう。鼻先を触れ合わせて、二頭の竜は何度も互いを舐め合っている。見るからにラブラブだ。特に王の方は、べろべろと番を舐めまくっている。


「それで、王様は北から群れを率いて飛んできたの?」

「王が飛べば、群れはおのずと後をついていく。レシオンは王のいるところが自分たちの居場所だからな。王は番と離れられないから、どんなに離れていても探し出すんだ。今回は番の出す僅かな魔力を辿って、一月近くかけてやってきたそうだ」

「そんなに……」


 生涯連れ添う生き物がいるって聞くけど、竜もそうなんだ。

 俺は何度も体を擦り合わせて、互いの存在を確かめ合う二頭から目が離せなかった。


「すごい愛情」

「本当だな。それに、こんなに多くの氷竜を見たのは初めてだ」


 うんうん、と頷きながら、何かが頭の中に引っかかる。


 ――たくさんの、氷竜。たくさんの……。


 はっとしてジードを見れば、ジードも目を見開いてこちらを見ていた。


「ジード! 氷竜たちとは意思が通じるんだよね?」

「ああ! 大丈夫だ」

「皆で北から必死で飛んできたんだから、絶対お腹がすいてるよね! 彼らほどの数がいれば」

「そうだ。しばらく魔林にいてもらったら、それだけで!」


 俺たちは、テオと騎士団長たちの方を見た。騎士団長が目を輝かせて立ち上がる。


「バズアが大量に減るはずだ!!」


 ジードが薄氷色の竜に駆け寄りバズアのことを伝えると、竜は静かにジードを見つめた。人間など目にも入っていなかった王竜が、番の視線の先を見る。ジードは王竜にも何か言ったようだが、金色の目がぎろりと光って、ものすごく怖い。宥めるように薄氷色の竜が王に鼻先を擦り寄せると、金色の瞳が細められて怒気が収まった。


 ……ああ、あの王様、番にベタぼれなんだなあ。


 感心して眺めていると、ジードの声が響いた。


「ユウ! 待っていてくれ。すぐに戻る」

「ジード?」


 ジードが薄氷色の竜の背に乗り、王竜が地を揺るがす咆哮を上げた。薄氷色の竜が羽ばたくと同時に、暗青色の竜も飛び立った。群れの氷竜たちは、王と番の後を追って、一斉に魔林へと飛び立つ。後に残ったのは、凄まじい冷気だけだった。


「何でジードも一緒に行ったの?」

「魔林の案内か、様子を確かめに行ったのではないかと。我々も偵察に参ります」


 そう言いながら、エリクと騎士団長はすぐに偵察部隊を編成した。多くの騎士たちが、氷竜たちの後を追って魔林へと向かった。皆、行動が早くてびっくりする。


 竜の群れと騎士たちの姿を見送った後、残った者はそれぞれの仕事を始めた。氷竜たちが戻った時に備えて、薪になるものを採取したり食事の準備をしたりと仕事が山積みだ。俺も当番の騎士たちを手伝って食事の準備をする。一通り終わった後は、少しテントで休むことにした。

 すっかり人気のなくなった駐留地を歩き、少し寂しいなと思った時だった。


 ……え?


 右手の甲がズキンと痛む。

 何だろうと見れば、どんどん痛みが増していき、見る間に赤黒く腫れ上がる。


「……ッ!」


 思わず右手を左手で庇うようにして、その場にしゃがみこんだ。痛みで額に脂汗が浮く。右手の腫れはどこかで見たことがあると思った。


 そうだ、これは……。


 ホーレンエフ城に泊まった日だ。革靴で右手を踏みつけられる夢を見て、起きた時には甲が腫れていた。でも、レトが治癒魔法で治してくれたんだ。どうしていきなり、こんな痛みが出るんだろう。

 ふっと頭の上に影が差す。目の前の地面にあるのは、夢で見たものと同じ革靴だった。

 

「……送った悪夢の残存魔法で、じわじわと痛めつけたかったのに。治癒魔法などを使われては痕も残らない」

「っ」


 見上げれば、ぞっとするほど酷薄な紫の瞳があった。最近は俺を見ても顔をそむけるだけだったのに。


「……ソノワ」


 あれは、ただの夢じゃなかったのか?


「どうして……」

「わざわざ言わなければわからないのか? ジードを奪った泥棒猫が。いつもジードと一緒で忌々いまいましい限りだ。ようやく一人になってくれた」


 ソノワが何を言いたいのかは、すぐにわかった。ジードが、ゼフィールは妹のことになると見境がないと言っていた。妹の婚約者をお前が奪ったのだ、決して許さないとその瞳は語っている。俺が一人になるのを、ずっと狙っていたのか。


「異世界人など来なければ、妹はジードと結ばれていた。何故この世界に来た? お前さえいなければ、あの子は誰よりも幸せになれたのに」


 ……たしかに、揺れで俺がこちらに来なかったら、ジードには会えなかった。ジードは彼女と結婚していたのかもしれない。でも、俺だってここに好きで来たわけじゃない。


「俺は、来たくてきた……わけじゃない。揺れに、巻き込まれた……だけだ」

「何だと?」

「ジードとあんたの妹のこと……は、知らなかった。でも、人を好きになるのは……自由だ」


 ソノワの顔色が変わり、手の痛みが激しくなる。ギリギリと手首を捻り上げられるような痛みも加わっていく。


「ッ! 本人なら……まだしも、兄貴に……文句を言われる覚えは、ない」


 手を容赦なく何度も踏みつけるような痛みに俺は動けなくなった。地面に転がったまま呻き続ける。


「少しものを作れるぐらいでいい気になって! ならば、身の程を知るがいい。その手を潰してくれる!」


 ……手を!?


 ソノワの手の中に、まるで炎のような金色の光が湧き上がった。


 ――嫌だ!


 手を潰されたら、もう何も作れない。作りたいものが、たくさんあるんだ。この世界のものだって、まだほんの少ししか作ってない。

 

「やめろ!!」


 炎と化した光が大きくうねり、自分の右手に向かってくる。それは自分を喰らおうとする憎悪の塊だった。


「ぅわあああああ!!!」


 手が炎に包まれ、焼けつくような熱を感じた。肌が火に炙られ、痛みと衝撃で意識が遠くなる。体が地を転がっても、手を焼く炎は消えない。


「ゆっくりと焼いてやる。ラフィーナからジードを奪った盗人ぬすっとにふさわしい罰だ」


 ――罰。

 熱い、熱い、痛い。手だけじゃない。心までも焼かれていく。

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