第31話 騎士との再会

 広大な魔林の中の一点に、目が集中した。緑が揺れ、地上からぼこりと沸き上がる。むくむくと膨れ上がったそれが、一気に周囲に広がっていくのが見えた。


「あれ……なに?」

「バズアです……。魔林を侵食している」


 見る間に増える緑に、ゾーエンは蒼白だ。魔林のあちこちで緑が沸く。あれは皆、バズアの増殖なのだろうか。

 呆然と眺めるうちに、ブゥウウンと言う音が聞こえた。続けて、飛行機が何機も飛来するような轟音が響く。


「ミウ……ドール」


 空に黒い煙が湧いたかと思うと、蜂型魔獣の群れが、一斉にバズアの元に向かっていく。目の前を通り過ぎていく姿に血の気が引いた。


「ミウドールの群れが……あんなにたくさん」

「蜂型はバズアの花の香りに引き寄せられます」

 

 バズアがたくさんあるところにジードは向かった。


「ゾーエン、あのバズアが増えてる場所は、前に目指していた場所?」

「いいえ。魔林の中で増殖しているところはおおよそ調べがついていました。でも、あそこじゃない」

「じゃあ、バズアは今、魔林のあちこちで増えてるのか」

 

 群れを成す蜂型の魔獣たちが緑の中に入ったと思うと大きな光が炸裂した。眩しくて思わず目を瞑る。


「……急いで逃げましょう。魔力が大きすぎて、互いにぶつかり合っています。巻き込まれたら命がない。それに、バズアのいる所には大型の魔獣たちが寄ってくる」


 魔林が揺れていた。

 たくさんの魔獣たちが木々の間から一斉に飛び出し、走り出す。

 地を走る者、空を渡る者。どれも皆、行動は同じだ。一斉に、魔林の外へと向かっている。


 俺たちは慌ててウーロの背にまたがった。あと二日も走れば魔林を抜けられる。

 ゾーエンが滑空を促すために、ウーロの背に触れた時だ。上っていた木が大きく揺れた。一瞬ウーロが飛んだのかと思ったが、まだ枝に張り付いている。

 

 ずずず……、と、大地が動いた。


 自分たちの上った木の根元に、ミシミシと亀裂が走っていく。裂けた地の中からごぼり、と緑の芽が出て茎が伸びた。瞬く間に葉と触手であるつるが茂り、蔓は何かを探すかのように空中を泳ぎ始めた。


「あ、あれは」


 葉の間から閉じた蕾のようなものが見え、真紅の花が開いていく。花の真ん中はぽかりと開き、花びらの表面には黄色の斑点が浮かび上がる。


「バズア!」

「ひっ!」


 木の根元から一気に這い出たバズアは、見つけた、とでも言うようにしゅるしゅると蔓を伸ばしてきた。ゾーエンの手から光が飛んで、蔓を即座に切り落とす。バズアの蔓がびくびくと動いて、宙から地に落ちた。地表ではいくつもの赤い花が咲き、葉が地上を覆うように茂っていく。蔓が周囲で蛇のようにうねっていた。


 ――ものすごく、ものすごく気持ち悪い。あまりの気持ち悪さに目が離せない。


 声も出ないでいると、体が揺れた。甘い香りが地上から噴き上がってくる。ああ、バズアは香りで相手を引き寄せるんだっけ? 魔力がなくても、吸い込んだ途端に体の力が抜ける。バズアに根元を食い破られて、俺たちの上っていた木はめりめりと倒れていく。

 驚いて跳躍したウーロが、体をいきなりぐっとくねらせた。咄嗟の動きについていけずに、背の鱗から思わず俺は手を離してしまった。


「う。うわあああああ!!!」

「ユウ殿ッ!」


 ゾーエンが俺の体を掴もうとしても間に合わない。ウーロの背にまたがったゾーエンが急速に遠くなる。代わりに真っ赤な花が、蔓と一緒にゆらゆら揺れているのが見えた。


 このまま落ちたら、間違いなくバズアの餌だ。異世界まで来て、あんな魔獣に食われるなんて。


 体が一気に下降し、手足に触手のような蔓が巻き付く。思ったよりもずっと力が強い。真紅の花々の中心にある口が大きく開いている。


 ジードに会いたかった。

 会いたかったから、ここまで来たんだ。


 ――会いたくて。


 ぐっと奥歯を噛んだ。




 


「ユウ――――ッ!」




 大好きな声が聞こえる。幻聴か。幻でも最後に聞けて良かった。

 



 不意に、驚くほど大きな金色の光が目の前を通った。自分の手や足を固定していた蔓の力が消えた。まるで鋭利な刃物を使ったかのように、周囲の緑が片端から切り裂かれる。

 バズアから自由になった体が一瞬、宙に浮く。地に叩きつけられる寸前、逞しい腕の中に抱きとめられた。誰かの胸に抱えられたまま、ごろごろと地を転がり、大木にぶつかって動きが止まった。

 俺を助けた人は、すぐに体を離そうとはせず、しっかり抱きしめたままだった。目の前で厚い胸が上下している。




 ……まさか。


 厚みのある体も逞しい腕も、ちゃんと覚えている。間違えるはずもない。それでも。


 ――本当に?



 顔を上げたら、懐かしい瞳があった。どんな色より綺麗な輝く碧。ずっとずっと見たかった色。


「……ジー……ド」

「ああ、ユウ」


 ぱちぱちと瞳を瞬いた。間違いない。

 目の奥が熱くなって、膜が張ったように何も見えなくなる。自分の気持ちなんかお構いなしに勝手に涙が目の端にたまる。


 嫌だ、ずっとこの瞳を見たかったんだ。泣いてる場合じゃないんだ。


 何度も瞬きしていたら、瞼にジードの唇が触れる。続けて唇にもキスをくれた。

 ようやくはっきり見えた顔は、以前よりもずっと日に焼けて頬が削げていた。金色の髪は土に塗れている。それでも優しい笑顔は変わらない。俺を見る瞳には、まっすぐな心が溢れている。


「ようやく会えた」


 ジードは俺をもう一度抱きしめた。


「ゆ……め? 俺、本当はバズアに食われて死んだ?」

「夢じゃないし、食われてもいない」


 会いたかった、とジードが囁いた。大きな手で俺の髪を撫で、額にキスをする。


 そうだ、会いたかった。ずっとずっと会いたかった。


 目の端から、勝手にぼろぼろと涙がこぼれた。


「……もっとユウに触れていたいけど、まずは逃げよう」


 慌てて涙を手で拭いた。二人で体を起こすと、大きな大きな影があった。近くには、さっきぶつかった木……じゃない。太い脚がある。俺たちは、デカい生き物の腹の下にいたのだ。


「……魔獣?」

「大丈夫だ、背中に乗って」

「これに?」


 ジードは頷いた。驚いたことに、魔獣は夢中でバズアを食べていた。俺を食べるはずだったバズアが、目の前の魔獣に食べ尽くされようとしていた。手を貸してもらって、小山のように大きな背によじ上る。ジードが俺を抱えるようにして、後ろに座った。

 周りのバズアを綺麗に食べ尽くした魔獣が、満足したように上を向いて、大きな咆哮を上げた。腹の底まで響くような声だ。呆然としている俺に、ジードが優しく言う。


「彼が第三騎士団の駐留地まで飛んでくれる」

「彼って」

「竜だ」


 冬の日の湖のような薄氷色の体は、なんだか魔林にいるのが不思議な気がする。もっと派手な色ばかり見てきたから。

 竜は見事な翼を広げ、周りの木々を薙ぎ倒しながら空に舞い上がった。その速さと安定感は、飛び蛇の比じゃない。魔林を飛ぶ生き物の中でも、格別に勇壮な気がした。


 空からは、魔林のあちこちで光が炸裂しているのが見えた。あの中にいたのかと思うと体が震える。落ち着こうと思っても、なかなか震えは収まらない。


「大丈夫だ、ユウ」


 旋毛つむじにジードの唇が触れた。初めての竜の背は怖くて振り向けない。口を開くと力が抜けてしまうような気がして声も出せない。それでも今、俺の背中にはジードがいる。ぴたりと付けられた温もりが、優しく体を包んでくれる。

 初めての竜の背で、泣き出してしまいたいほど嬉しかった。


 ぐんぐんと進んでいくと、広い魔林の終わりが見える。ゾーエンの言ったように、確かに俺たちは駐留地まであと少しのところまで来ていたんだ。魔林の向こうには、どこまでも赤茶けた大地が広がっている。


 魔林を抜けた時に、ジードが手から金色の光を宙に放った。まるで花火のように幾つもの光が輝く。


「無事の帰還を知らせた」

「……うん」


 ジードの手が、俺の手の上に重なる。その温もりが自分の中にゆっくりと沁み込んでいく。


 竜が下降し始めると、野営地にテントが幾つも張られているのが見えた。天を突くような木々も生い茂る葉も、魔獣もいない。俺の目からは、安堵の涙がこぼれた。

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