第29話 魔林を飛ぶ

「魔林に入った者は皆、このピールを携帯しています。何とか皆、無事に駐留地まで戻ってくれればいいのだが」 

「あ、あの! さっきの話なんだけど。知りたいことがあるんだ。ジード・センブルクは無事?」

「ジード? そういえば、客人とセンブルクが親しいと聞いたことがあります。あれは本当だったのですね」


 俺がこくこくと頷くと、ゾーエンの眉がひそめられた。


「センブルクとは連絡が取れていません」

「そんな……」


 待ってくれ。テオが話していたのはいつだった?こんなところで、何週間も前から行方が知れないってことなのか?


 辺りを見れば、どこまでも鬱蒼うっそうとした緑が広がっている。今座っているのと同じような大木が林立し、地上部は遠すぎてよく見えない。木々の間を飛んでいく魔獣たちには大きいものも小さいものもいて、あちこちから咆哮のような声が飛び交っている。


「ジ、ジードは! もう……魔獣に?」


 ドクドクと胸の音が早くなって、目の奥が熱くなる。


「ちょっと! 客人殿、誤解しないでください。センブルクは最初に魔林の中でいなくなった二小隊には入っていません。彼は私の直属の部下です。私たちが魔林に入ったのは三日前で、バズアが最も繁殖しているとわかった場所に行く途中でした。突然、バズアを餌にしている魔獣の群れに出くわしてバラバラに逃げたんです」

「じゃあ、まだ……」

「ええ、簡単に殺さないでください! 私たちは常日頃から魔獣相手に戦っている。そう簡単にやられはしませんよ。……ただ、今の魔林は以前とは違いすぎる。確かになにが起きてもおかしくはない」


 不気味な魔獣の声を聞きながら、俺は頭をぶんぶんと振った。

 そうだ、簡単にジードが死ぬはずがない。この魔林の中で、見たこともないものを見すぎて、俺の感覚はだいぶおかしくなっている。少しでも心を落ち着けなければ。


 ゾーエンが第三騎士団の駐留地に帰還すると言うので、俺も一緒に行くことになった。完全に足手まといなのに気にするなと言ってくれる彼に、俺は深々と頭を下げた。客人なんて大層な者じゃない、ただ、ユウと呼んでくれと言うと、ゾーエンは苦笑いした。


「魔林は夜の方が危険です。できるだけ昼間に移動しますよ」


 魔林を移動すると聞いた時に、俺には移動手段が浮かばなかった。自力で歩くか魔法での移動か、それとも他に何かあるのか。


「こう言っては何ですが、ユウ殿には魔力がない。一刻も早く魔林を出た方がいい。そして、人を長距離移動させるような魔法は私たちの専門外です。第三に所属する者が持っているのは、主に攻撃や防御に適した魔力ですからね」


 だから、魔獣を捕まえるのだとゾーエンは言った。俺たちは魔林から出るために、自力で移動手段を手にしなければならない。


「木々の間を渡れるものを探しましょう。地上を移動するより危険が少ない。ユウ殿、何か動くものを見たら教えてください」


 俺とゾーエンは背中合わせになって、辺りを眺めた。じっと見ていると、木々の間にきらりと光るものがある。


「ゾーエン! あそこで何か光ってる!」

「おお! あの色はウーロだ! 丁度いい。ユウ殿、立ち上がってできるだけ端まで行ってください。落ちないように、絶対そこを動かないでください」


 俺は窪みになった場所から立ち上がり、言われたとおりに、ぎりぎりまで進んだ。あまりに高い場所で、もう感覚が麻痺している。急に後ろから熱のようなものが当てられ、体中が温かくなっていく。


 その時だった。


 ものすごい速さで、きらきらした黄緑の光が動いていく。木から木へと飛び移り、まっしぐらにこちらへ向かうのが見えた。近づくにつれて形がはっきりしてきたが、見たことがある生き物だ。


 あれは、蛇? 


 しかも、ものすごい速さで飛び上がってくる。


 え?


 蛇の真ん丸なオレンジの瞳とばっちり目が合った。ぱかり、と口が開く。俺の背丈ほども上下に開いた口が。


「ぎゃあああああ!!!」


 のまれた、と思った瞬間に、金色の光が走った。蛇が電気に打たれたように動きを止める。光に包まれ体を何度かくねらせたかと思うと、近くの太い枝にゆるゆると巻き付いていく。俺は尻もちをついた。腰が抜けたような状態になって動けない。


 何が起こったかさっぱりわからないでいると、よし!と嬉しそうな声が聞こえた。ゾーエンが、それはそれは満足そうな笑顔で俺の顔を覗き込む。


「ユウ殿! ご協力ありがとうございました! これで乗り物が確保できましたよ。ウーロに出会えるなんて運がいい」

「……これが、乗り物?」

「そうです。魔獣の中では大人しいし、私たちと簡単な意思が通じます。素早いので捕まえるのが難しいんですが、ユウ殿がオルンの上に落ちてくれたので助かりました」

「オルンって、あの茸みたいな魔獣」

「はい! オルンが表面に出していた香りがユウ殿の体についていたので、それを増幅しました。ウーロはオルンが好物なんですよ」


 ああ、オルンの上に落ちて寝ていたからな。でも、それって、俺はおとりっていうか、生餌いきえだったのでは……?


 ゾーエンが何やら蛇型魔獣の前に移動して意思を交わしている。俺の体から熱が消えたところを見ると、魔力の増幅は終わったのだろう。


 木の枝からすぐ目の前に、魔獣がくねくねと移動してくる。蛍光グリーンの平たい蛇だ。


「さあ、乗りますよ。ウーロがいれば、かなりの長距離を移動できますから」

「乗れって言われても、いったいこれのどこに……」

「首の少し後ろから背中のあたりに、ちょうど取っ手のように突き出た鱗があります。それをしっかり掴んでください」


 言われるままに、こわごわ魔獣の背にまたがる。肌はつるつるではなく結構硬い。四メートルぐらいある魔獣の背に、言われた通りの鱗を見つけた。両手でぎゅっと握ると、後ろにゾーエンが乗る。


「では、出発します。初めての人にはきついかもしれませんが、とにかく手を離さないで」


 頷いた途端にゾーエンの手から金色の光が流れる。蛇型魔獣ウーロが前方に顔を上げたかと思うと。


 ――空を、飛んだ。


 ウーロの動きは速い。飛ぶ前に体がさらに平たくなり、空中で体をぐぐっとくねらせる。その方が滑空には有利なのだとゾーエンが言う。当然、背に乗っている方はぶんぶんっと振り回される形になる。

 俺の後ろに座ったゾーエンは、俺を半ば抱え込むようにして体を低い状態に保った。


 びゅんびゅんと耳元で風がうなり、振り回された挙句に下降しながら飛んでいく。


「むむむ無理! 無理だって! しんじゃああああああッ――――――!!」

「ユウ殿! しゃべらないで! 舌を噛みますよ。ああ、ちょっと失礼しますね!」


 思わず手を離しそうになった俺を見て、ゾーエンはすぐに魔力を使った。目の端を金色の光が掠めたかと思うと、俺の両手はウーロの鱗に張り付き、上下の唇がぴたりとくっつく。


「拘束魔法を使います! しばらくそのままで!」

「ンン――ッ!!」


 心の中に、俺の悲鳴だけが響く。


 目の前に青空が広がり、次の瞬間に体がねじ曲がり、目指す木の枝へと突っ込んでいく。枝に移った時はドン!と体に衝撃が走った。さらに、体と共に胃がねじれ、耳がおかしくなり、途中からは意識が朦朧とする。これを何度も繰り返す。

 

 ――誰だよ、魔林に行きたいなんて言ったの……。バズアをちょっと見るだけなんて無理だわ。あの日の俺を殴りたい……。


 ウーロは俺の心なんて全く気にもせず、アクロバティックな跳躍を魔林の空に繰り広げた。

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