第28話 落ちた先で

 体の下に、ふかふかと柔らかな布団があった。伏せた頬は、滑らかな布地に触れている。いつのまにベッドで寝ていたんだろう。花のように甘い香りもして、ここでずっと眠っていたい。ふっと浮かび上がりそうになる意識を抑えて、再び微睡まどろみ始めた時だった。


「おい! 大丈夫か? 起き上がれるか?」


 どこか遠くで、男の声が聞こえた。


 ……え? もう……少し、寝たいん……だけど。


「しっかりしろ! こんなところで死にたいのか?」


 だって、こんなに……気持ちがいい。


「そこはベッドじゃない! お前は今、魔獣の上にいるんだぞ!」


 ぱっと目を開けると、飛び込んできたのは鮮やかな黄色だった。眩しくて目がチカチカする。ふらつきながら体を起こせば、辺り一面に黄色の絨毯が広がっているのを見た。


「おい! 上だ。上を見ろ」


 言われるままに顔を上げると、天を突くように伸びる木の枝の上に、小さく人影がある。更にその上には、青空が広がっていた。


 そうだ、俺はあそこから落ちて来たはずだ。死ななかったのか?


 呆然としていると、樹上の男は俺を見て大声で言った。


「いいか! ずっとそこにいるのは危ない。立ち上がって足元に気をつけながら、少しずつこっちに来るんだ。お前、木には登れるか?」


 俺はこくんと頷いた。小さい頃からじいちゃんに連れられて山に行っていたから、木登りは得意だ。ただ、異世界の木はどうなんだろう。話しかけてくる男が登っている木は、幹がものすごく太く、立派な枝があちこちに張り出している。あの木に移ることさえできれば、上まで登ることは難しくなさそうだった。

 男に言われた通りに立ち上がると、やたら大きな平たいものの上にいた。どこもかしこも黄色だ。足が深く沈むことはないので、少しずつ移動する。端の方まで来ると、男が登っている木はすぐ側だった。


「……よし、いい感じだ。悪いが俺はこれ以上、そこに近づけないんだ。すぐ近くに張り出した木の枝に手を伸ばせ。落ち着いて、ゆっくり、木に移るんだ」


 男の指示に従って、俺は手近な枝に狙いをつけた。後は、思い切って飛び移ればいい。


「ん?」


 足元が、ぐらりと揺れた。平たいものの端がめくれあがって自分に向かって来るのが見えた。


「まずい! 急げ! 飛び移れ!」

「え? ええッ」


 ずずず……と、めくれあがった黄色いものの速度が早くなる。迷っている時間はない。


「急いで!」


 思いきり助走をつけて飛び上がり、木の枝を掴んだ。すぐさま近くの枝に足を移す。必死で枝から枝へと手を伸ばし、上へと登った。下では何か動物の咆哮のようなものが聞こえてくる。びくりと体が震えて思わず動きが止まる。


「大丈夫だ! もう少しだから上がってこい」


 男の声に励まされるように、夢中で手足を動かした。足元の方で聞こえていた声は小さくなり、その代わりに何かが砕かれているような音が辺りに響く。


 怖い、怖い、怖い。


「あと少しだ! 頑張れ!」


 目を上げると、がっしりした体躯の日に焼けた男がいた。眉は太く、鋭い目をしていた。俺は男の立っている枝まで必死で上がった。木の幹には窪みのようなところがあって、そこには大人なら三人ぐらいは十分に座れるだけの場所があった。何とかそこに座り込むと、男は心底ほっとしたように俺の顔を覗き込んだ。


「よく頑張った。下まで助けに行けなくて悪かったな。しかし、お前命拾いしたぞ。たぶん魔力をほとんど持っていないんだろう?」

「確かに、魔力は全然ないです」

「全然? 全くないのは珍しいな。だが、今回はそれが良かった」


 今なら下を見てもいいと言われて、俺は息を呑んだ。上った木の下方に、細長い黄色いものが見える。まるでチューリップの蕾のように先端は細く下部だけが膨らんでいた。蕾には茎がついている。見ていると、閉じた先端が、少しずつ少しずつ再び開いていく。花びらが広がるように黄色が円形に広がるにつれ、表面に幾つも光るものが見えた。


「なに、あれ」

「あれは植物魔獣オルン。そして、あの光っているのは喰われた魔獣の残骸だ。すぐに全部、オルンに吸収されるだろう」


 男の言う通り、見ているうちにきらきらしたものが消えていく。そして、丸く広がった姿は、花と言うよりは巨大なきのこのようだった。


「植物魔獣?」

「そうだ。他の生き物の魔力に反応する。相手が酩酊するような香りを出し、自分の上に引き寄せたものを捕食するんだ。近寄って、あの上で眠ったりしたら最後だ」


 すごく触り心地がよかったけど、あれも魔獣なんだ……。同じ魔獣でも植物型は動物型よりもずっと多いとテオが言ってた。

 オルンは俺には反応しなかったが、引き寄せられてやってきた他の魔獣には反応した。彼に声をかけてもらわなければ、魔獣と共に喰われていただろう。


「ありがとうございました。あの、あなたは……」

「ああ、自分は第三騎士団の第一部隊長を務めているロドス・ゾーエンだ。それよりも、こんなひ弱そうな……あ、いや、魔力のない者がなぜ魔林に?」


 第三騎士団と聞いて、思わず騎士ゾーエンに叫んだ。


「あ、あの! 魔林の中で第三騎士団の二小隊が行方不明だって聞きました」

「何故そんな話を知っている?」


 ゾーエンの瞳が急に険しくなった。そうだ、これは国王や王太子でなければ知るはずのないことだった。


「すみません。王太子殿下から聞きました。俺たちは王都から魔林に向かう途中だったんです」


 俺は、自分たちが応援部隊と共に魔林に向かっていたことを話した。ゾーエンは黙って話を聞いた後に、深くため息をつく。


「それでは、貴方は異世界からの客人で、王太子殿下はただ今、馬車ごとミウドールにさらわれたままだと?」

「はい。テオたちがどうなったかは、わからないんです。俺は一人だけ馬車から落ちてしまったので」

「......たまたまオルンの上に落ちたのが良かったのか、偉大なる女神の御加護なのか。よくぞ無事だったとしか言いようがない」

「あの……、部隊長?」

「ゾーエンで構いませんよ、客人殿。貴方は王宮に正式に迎えられた尊い御方だ。正直、魔力もなく騎士でもない。この世界のことすらろくに知らない者が魔林に来るなんて、正気の沙汰とは思えませんが」


 きつく睨みつけられて、びくりと体が震えた。言われていることはもっともだ。最前線に立つ者から見たら、「来てみたかった」なんて軽い言葉じゃすまないだろう。スフェンも同じことを言っていた。


「……ただ、貴方には返しきれないほどの恩がある」

「恩?」


 真剣な顔でゾーエンは頷き、腰に付けた小さな鞄の中から革袋を取り出した。中から取り出されたのは、見慣れた品だった。


「ピール!」


 大きな掌の上には、きらきらと輝くスロゥと緑のリュムがある。王都でレトたちと散々作り続けた品だった。


「ちゃんと届いてたんだ……」

「増産できたからと大量に送られた物資が、私たちの命を繋いでいる」


 怒りを含んでいたゾーエンの瞳が柔らかくなる。王立研究所からの指示の通り、騎士たちは自分の魔力に合わせてピールを食べるように、各自工夫していたという。


「特に助かったのは、魔力が切れそうになった時です。魔獣との戦いで疲弊した時に、ちぎったピールを口にして、なんとか生き延びた者は多い」

「そう……なんだ……」


 以前、研究所でラダが言っていた。これは騎士たちの役に立つことができると。本当に役に立ったよ、と王都に戻ったら教えなきゃ。こんな時なのに、大声で叫びたいぐらい嬉しかった。


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