第27話 魔獣の襲撃

 ほのかに明るい闇の中。


 何かから逃げるように、ずっと走り続けている。場面は目まぐるしく変わる。城の中の真っ直ぐな廊下だったり、何段も続く階段だったり。

 後ろから大きな影が迫ってくる。ぴたりと張り付くように、ずっと追いかけてくる。どこまで行ったらいいんだ。見知らぬ城の中は、まるで迷路のようだ。


 走って走って走って。


 あっと思った時にはつまずいて、長い階段を転げ落ちた。差し出される手はどこにもなくて、あちこちに体がぶつかる。痛みに声も出せず床にうずくまった。うっすらと目を開けると、闇の中に金色の光が見えた。


 ああ、あれはジードだ。懐かしいジードの金の髪。必死で右手を差し出したら、その手は革の靴でいきなり踏みつぶされた。


「いった……!」


 痛みに呻いて目を上げると、憎憎し気に俺を見る、紫の瞳。


「目ざわりな! わずかな魔力すら持たぬ虫けらが」


 ぎりぎりと、踏みつけられた手の甲が痛い。金色の光がぼやけて消えていく。


 嫌だ、待って。まっ……! ジード……ジード!!



「ユウ様! 朝ですよ、起きてください」


 目を開けた時には、レトが目の前にいた。俺を起こしに来てくれたらしい。

 がばっと起き上がった俺に、心配げな目を向ける。体にはびっしょり汗をかいていた。


「ずっとうなされてましたよ。大丈夫ですか?」

「……ものすごく嫌な夢を見たんだ」

「慣れない旅ですから、お疲れなのかもしれませんね。お茶をお持ちします」


 レトが持ってきてくれたのは、昨日も飲んだミント味のお茶だ。ハルルと言う草の葉を入れると、疲労が回復するらしい。お茶の入ったカップを受け取ろうとした右手が、ずきりと痛む。


「いてっ」

「ユウ様? どうなさったんです、その手」


 右手を見て、はっとした。夢の中で踏みつけられた場所が赤黒く腫れている。おかしい、あれは夢のはずなのに。


「……手を踏みつけられた夢を見たけど」

「夢、ですか?」


 レトが眉を寄せて俺の手に触れる。じっと見た後に、自分の手の平を俺の手の甲に重ねた。柔らかな淡いオレンジの光が輝いたかと思うと、手の中にゆっくりと入っていく。見る間に腫れが消えて、うっすらと赤みが残るだけになった。


「すごい……! レト、もう全然痛くない」


 グー、パーと右手を握ったり開いたりを繰り返しても問題ない。ほっと息をついたレトが、実は治癒の魔力を持っていると言う。医療魔術のように大きな治療は無理だが、日常の痛みを軽減するぐらいはできると。


「助かったよ、レト。ありがとう」


 レトが心配そうに俺を見ているので、さっさと着替えた。昨夜のソノワのことが衝撃で、変な夢を見たんだろう。手が腫れた理由は謎だが、ひとつだけはっきりしていることがある。


 ――ゼフィール・ソノワには、近寄らない方がいい。


 彼は俺に良い感情を持っていない。いざという時に、テオの命は守っても俺を守りはしないだろう。

 南に辿たどり着いて、ジードに会う。その日まで、気を引き締めていかなくては。




 馬車の旅は順調に進んだ。幾つかの城を経て、どんどん周囲の風景が変わっていく。町や村が少なくなり広大な畑地が続くかと思えば、急に気温や湿度が高くなる。辺りには緑が増え、目に鮮やかな花々や生き物が目に入るようになった。


 魔林に大分近づいたんだろうか。そう思った時に、不思議な音が聞こえた。

 ブゥウウウンと、まるで飛行機が間近で飛んでいるような音がする。こちらに来てから、こんな音は聞いたことがない。窓の外が暗く陰ったと思った時だった。

 ガタン! と大きく馬車が揺れた。俺とレトは弾みで馬車の扉に叩きつけられた。痛みに呻きながら何とか目を開けると、座った姿勢のままのテオの体が銀色に光り輝いている。


「……まずい」


 テオが小さく呟き、じっと窓の外を見ている。そこにブゥウン!と、更に大きな音が聞こえる。もう一度ぐらぐらと馬車が揺れたかと思うと、興奮した馬の嘶きが聞こえた。

 テオの体から大きな光が溢れて、俺たち三人を包み込む。


「あれはミウドールだ! このままでは、馬車ごと巣に運ばれてしまう」

「ミウドールって?」

「蜂型の大型魔獣だ。飛びながら狙った獲物を狩って巣に運び、餌にする」

「ひっ!」

「二人とも、しっかり手を繋いで! ユウ、私の手を取って」


 俺はレトと右手を繋ぎ、左手で差し出されたテオの手を掴んだ。レトとテオも残った手を繋いでいる。三人で輪になった途端、体がふわりと浮いた。馬車は大きく傾いているのに、俺たちは馬車の中で転がりもせずに向かい合っていた。


「これ、どうなってるの?」

「私の魔力で何とか均衡を保っている。おそらくミウドールは、馬たちを掴み上げて飛んでいる最中だろう。彼らはこの馬車のことは目に入っていない。卵の餌にするつもりの馬しか必要ないんだ。馬車は馬と繋がっているが、いつ落ちてもおかしくない」


 テオが話している間にも、大きく馬車が揺れた。扉がバン!と開いたかと思うと、突風のような風が吹きこんでくる。風にあおられた俺の手が、テオからつるりと離れた。開いた扉に向かって体が一気に流されていく。


「ユウっ!」

「ユウ様あ!!」


 必死でレトが右手を握り続けてくれたけれど、吹き込む風の勢いが強すぎる。あっと思った時には手が離れ、俺の体は扉の外に投げ出された。風が吹いて、一瞬ふわりと体が浮き上がる。


 うわ、すっごい。


 頭の上には、大きな蜂みたいな魔獣が足に二頭の馬を掴んだまま飛んでいる。そこから垂れ下がっているのは、箱みたいな馬車だ。開いた扉からレトが泣き叫んでいるのが見えた。テオが必死でレトを繋ぎとめている。レト!と言おうとした途端、俺の体は急速に下降し始めた。


 何だっけ? こんなの向こうにあったよな。ああ、そうだ。バンジージャンプ!

 でもここには命綱なんてものはない。テオもレトもいないのに、落ちたら

――――!


「うわああああああ!!!!!」


 視界がぐるりと回って真下に広がっているのは、どこまでも続く緑だ。あれが魔林なら、すぐ近くまで来ていたってことになる。

 こんな近くまで来ていたのに、ジードに会うこともできずに死ぬなんて嫌だ。


 ――……女神様。もう一度ジードに会わせてください。


 たった一つのことを祈りながら、俺は緑の只中に落ちていった。

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