第26話 危険な近衛

「私に向かって、大変だろうと気遣う者もいない。ユウは全く、面白いな」


 俺は妙な気持ちになった。

 王太子って、もっと色々大事にされたり、心配されたりするものじゃないんだろうか? テオはもう大人だからそんなことはないんだろうか。この世界の常識ってのが、俺にはどうもよくわからない。


「この先は、王家の直轄地を通るとは限らないから、ゆっくり食事をとったり眠ったりできないかもしれない。今夜は早く休んだ方がいいだろう」


 テオの言葉に、俺はとりあえずスープを口にした。ほんのりと温かくて、優しい味がする。テオが自分と同じものを食べるのを見た途端、食欲が湧いてきた。


 目の前のスープや肉をどんどん口に運ぶと、テオがこちらを見つめて、楽しそうに笑った。


「この間も思ったが、ユウはすごくおいしそうに食べるんだな」

「この間って……、もしかして夜会?」

「そう。私は次々にロワグロを平らげる姿に驚いたんだ。あんなに勢いよく食べる者を今まで見たことがなかった。もう一度ユウに元気に食べてほしくて、果実を送った」

「……ッ! げほっ」


 食べかけの肉が喉に詰まって、俺は思い切りむせた。給仕が急いで水を持ってきてくれる。そんな理由で送られてきたなんて知らなかった。そう言えば、まだろくにお礼を言ってなかったことを思い出す。


「テオ、たくさんの果物をありがとう。俺だけじゃ全然食べきれなかったから、王立研究所に持って行って皆で一緒に食べたんだ。すごく喜ばれたよ」

「皆で?」


 テオの目が大きく見開かれた。もしかして、何かまずかったんだろうか。


「えっと、いけなかった?」

「いや、そんなことはない。私が人と一緒に食べることを思いつかなかっただけだ」

「たくさんあったら分けるだろ? うまいものは皆で食べたら、もっとうまいし」

「……私には、そんな経験はない」


 テオの眉が少しだけ曇る。美しい王太子は、何か言いたげな目をしている。

 そうか、王族は望めばいくらでも高級品が出てきそうだもんな。食べ物を分け合うなんてのは、庶民のすることなんだろう。


「そっか。でも、テオのおかげで、食べながら皆で色々な話ができたんだ。初めてロワグロを食べた人もいて感激してたよ。ありがとう」

「……」


 テオは黙ったまま、手元の酒をぐいっと飲んだ。頬が赤くなってるから、酒には弱いのかもしれない。給仕にどんどんがせているけど、大丈夫なんだろうか。


 俺はふと、不思議なことに気がついた。王太子なんて偉い人と食事をしているのに、全然緊張していない。この世界に来てからずっと特別待遇で、誰かと食べる時はいつも気が張っていた。ジードが毎日のように昼食を共にしてくれるまで、人との食事は苦痛でしかなかったのに。


 スフェンの屋敷に招待してもらった時も、ジードが作法は自分を見ていればいいと言ってくれたことを思い出す。


「これも、ジードのおかげかな」

「……ジード?」

「あ、この世界に来てからずっと世話になっている人なんだ。第三騎士団の……騎士なんだけど」

「もしかして、ユウの会いたいと言っていた者か?」

「う、うん」


 何だか改まって言うと恥ずかしい。テオはジードがどんな人物なのかを俺に尋ね、俺はこの世界に来てジードにどんなに助けられたかを話した。


 食事が済んでテオが立ち上がると、部屋の隅にいた近衛たちが、すっと付き従う。さっきまでは、まるで影のように気配を消していたのに。すごいなと感動しながら自分も立ち上がった。テオが近衛たちに向かって、一人が部屋まで俺を案内がてら警護するようにと言った。


「テ、テオ! 俺……」


 確かに城の中がよくわからないから案内はしてほしい。してほしいけど! どうか選ばせてほしいんだ。二人の近衛はすぐに小声で話し合った。


「承知しました。ユウ様は、わたくしがお部屋までお送りします」


 よく通る声でそう答えたのは、ゼフィール・ソノワだった。


 あああああ! 俺のバカバカバカ。何でもっと早くテオに言わなかったんだよ。絶対、気まずいと思うのに。

 人と人の相性なんて、お互いに何となくわかるものだ。動物的な勘で言うなら、俺とソノワは相性が悪い。下手に近寄らない方がいい。


「では、ユウ。良い夢を」

「お、お休み、テオ」


 俺の気持ちなんか伝わるわけもなく、テオはドゥエと共に廊下を歩いていく。


 急にしんと静まり返った廊下に、残されたのは俺と彼の二人だけだ。傍らに立つ男を見上げると、いきなり冷ややかな瞳と目が合った。ごくりと唾を飲みこむ。


「では、お部屋に参りましょうか」

「……うん」


 先に立って歩くソノワの背中はまっすぐで、姿勢がいい。しかし、とても話しかけられるような雰囲気じゃない。黙って廊下を進み、下の階に繋がる広い階段を降りた。階段の段差が思ったよりも急で、あっと思った時には足がつまずいた。ぐらりと体が傾いた先にはソノワがいる。まずい、ぶつかる!と思った瞬間。


 


 いきなり開けた視界に、階下までのまっすぐな階段が見えた。


 ……嘘だろ? 


 まるでスローモーションのように自分の体が落ちていく。階段が目の前に迫ると、俺の体はぴたりと動きを止めた。ふわりと宙に浮いたかと思うと、階下の床に足から着地する。膝が崩れ、背中から一気に汗が拭き出した。


「大丈夫ですか? 思ったよりも急な階段でしたので、つまずかれたのですね」


 抑揚のない声が響き、ソノワが俺のすぐ隣にやってくる。


「……いま、の。魔法?」

「はい。ああ、そうでした。ユウ様は魔力をお持ちではありませんでしたね。そんな者は王宮におりませんので、失念しておりました」

「お、俺の世界……に、魔法は、ないから」


 途切れ途切れに答えれば、くすりと笑い声が聞こえた。聞き間違いなんかじゃない。思わず顔を向ければ、ソノワの美しい瞳は氷のように冷たかった。手を差し出されたけれど、俺は即座に首を振った。


「いい、自分で立てるから。部屋に……案内してくれ」

「かしこまりました」


 それ以上俺たちは何も話さずに歩き、一つの部屋の前に着いた。ソノワが扉を叩くと、中からレトが出てきた。レトの顔を見た途端、安心して力が抜ける。


「ユウ様、こちらは私と続き部屋です。騎士殿、ご案内ありがとうございました」

「はい。ユウ様はお疲れのご様子、どうぞごゆっくりお休みください」


 ソノワが美しく一礼して、扉を閉める。


「やっぱり、近衛騎士は所作が美しいですねえ。……あれ? ユウ様。どうなさったんです?」

「……レト、俺、思ったより疲れてるみたいだ」


 手近にあったソファーに座り込むと、レトが心配して鎮静作用のあるお茶を勧めてくれた。有り難いがもう寝ると言えば、急いで寝間着を持って来てくれる。着替えた俺は、よろよろとベッドの中に入った。


 今日はもう寝よう。後はまた明日だ……。


 ぷつんと糸が切れたように、俺はすぐに眠りについた。

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