第16話 ピールの効能

 ラダは俺たちにソファーを勧め、ゼノと並んで座った。俺はレトと並び、ラダたちに向かい合う形になる。


「早速ですが、ご依頼のあった二種の分析結果についてお知らせします。正直に申し上げて、衝撃と悔しい気持ちが同時に湧き起こりました。私どもの世界に来てまだ日が浅い客人殿が、このようなものを作り上げるとは……、我らは今まで何をしていたのかと」

「えっ?」


 眼鏡の奥の穏やかさが消え、悔しさの滲んだ瞳が俺を睨みつける。


「客人殿のお作りになった食べ物の材料は、どれも我が国で普通に収穫できるものです。スロゥもリュムも、時期になればたくさんれて値段も安い。花々の蜜でさえ特別なものに偏っているわけではなく、様々な花から穫れる百花蜜です。これまで、スロゥやリュムの皮を食用にと思うことはありませんでした。実がたくさん穫れるのに、わざわざ皮を使おうなんて発想はなかったのです」


 俺の世界だって変わらない。たくさん穫れるものは、大抵中身だけ食べて皮は捨ててしまう。


「こちらをご覧ください」


 テーブルに置いた資料をラダが広げた。簡単な図があって、実と皮の栄養と共にそれぞれの魔力量が載っていた。更に皮を干して、重量が変わった場合との比較もある。


「皮の方が実よりも魔力量が高く、干せば更に倍増します。そして、蜜との組み合わせに相乗効果が見られます」

「……相乗効果」

「ええ。そして特筆すべきなのは、食べた後すぐに魔力が高まることです」


 俺とレト、そしてゼノの肩がピクリと跳ねた。


「食べた量が多いほど強い興奮作用が起こり、魔力の覚醒効果もあると思われます。普段から魔力量が多かったり、魔力過敏な状態にあったりする者は十分な注意が必要です。自分が抑えきれず、想定外の事態を引き起こすかもしれません」


 部屋の中に沈黙が落ちた。


 ――興奮に覚醒。


 レトとゼノは黙りこくっているし、俺は言葉もない。


 ……あまりにも覚えがありすぎる。ぽんと浮かんだジードの顔を、慌てて打ち消した。


「ああ、そういえば、客人殿は第三騎士団の騎士にピールをお渡しになったと伺いました。騎士が魔獣と戦う前には、かなり効果的だと思われます」

「それって、戦う前に食べるといいってこと?」

「はい。魔力が一気に増大しますから、勝負に出たい時に口にすれば、大変役立つはずです」


 ……ジードの役に立つ? そうなら、どんなにいいだろう。


 膝の上に揃えた手をぎゅっと握りしめた。ジードたちは南部の最前線にいるらしいが、連絡はない。俺は起きた時と眠る前に、部屋で一人、ジードの無事を祈ることにしている。


「今回は、結果だけをお知らせしようと思ったわけではありません。客人殿にお願いがあります」


 ラダが身を乗り出してくる。


「ぜひ、くだんの食べ物……ピール作りをこちらで行ってはいただけませんか? 必要な物は全てご用意させていただきます」

「俺に、ここでピールを?」

「ええ、実際に作っていただき、もっと詳しく研究したいのです。うまく増産できれば、魔獣との戦いに劇的な効果が表れるかもしれません」


 俺は、それを聞いてしばらく考え込んだ。


「もし、俺の作ったピールに魔力を上げる効果があるなら。ぜひ協力したいと思いますが、条件があります。それを受け入れてもらえるなら、ここで働きます」


 ラダの瞳が丸くなった。

 俺の提案は、レトやゼノにも衝撃を与えたらしい。研究所で話を終えて王宮に戻ると、レトがじっと俺の目を見た。


「ユウ様、本気なんですね」

「うん、元々スフェンに公爵家のレシピを借りたのも自立するためだったし」

「異世界人が王宮を出るには後見人が必要です。後見人が決まれば、いくらでもユウ様の自立を援助するはず。もちろん、ユウ様のご後見には何人もの有力な貴族が手を挙げております」


 レトやスフェンの話では、異世界人の後見人になることは、貴族たちにとっては一つのステータスらしい。後見人になれる者は家柄・財産・人柄の三つが申し分なく揃っていることが必須条件だという。希少な異世界人を王から預かることができるのは信頼の証。更に異世界人がなにがしかの発見や技術をもたらせば、それは格好の話題になり、後見人にも利益を与える。


「後見は心強いけど、俺はこの世界でごく普通に生活できるようになりたいんだ」


 だから、ラダに言った。


 ――研究所で働く時間分の報酬が欲しいと。


 元の世界に帰れるのかわからないなら、いずれはここで、一人で生きていかなきゃならない。先立つものは、どこにいても必要だ。


「ピールは作るし、レシピも教える。できたものが役に立つのなら、騎士たちや国の為に使ってほしい。俺は、実際に自分がピールを作って働いた分だけ、報酬をもらおうと思う」

「……ユウ様」

「変かな。レトにもたくさん協力してもらってるし、王宮で世話になってるのに」

「何もおかしくはないですよ。研究所は国の施設ですが、あそこでユウ様が働く必要はありません。労働には対価が必要でしょう。ユウ様は、本当に一歩一歩、前に進もうとしてらっしゃるんですね」

「レトが色々教えてくれたおかげで、何とかやっていけそうな気がするんだ」


 この世界での生き方を教え、いつも明るく励ましてくれたのはレトだ。ありがとうと言えば、レトは顔をくしゃくしゃにして下を向いてしまった。



 ――ジード、俺、この世界に来て初めて、働くことになったんだ。


 夜が訪れ、俺はテーブルの上の花に心の中で話しかけた。

 花を飾るようになったのは最近だ。ジードが南に行ってしまってから、無事かどうかが気になって、ずっと落ち着かない。そんな俺を見かねて、レトが教えてくれた。


「大事な人の無事は皆、女神に祈ります。私たちの世界では、全ての生き物は海から生まれたと言われています。ですから、人々は海の女神トリアーテへの祈りを欠かしません」


 レトにそう聞いてから、俺はこの世界の女神に祈ることにした。トリアーテ女神は花が好きだというから、王宮の庭の花をこっそり頂戴してコップに挿している。そこに朝晩、ジードが元気でいますようにと祈る。

 祈り方もよくわからないから、両手を合わせるだけだ。自分の世界では正月と入試の時しか神社にも行かなかった俺だが、最近は毎日真面目に祈っている。

 女神様は異世界人の祈りでも聞いてくれるんだろうか。ふと、そう思った時に、じいちゃんの顔が浮かんだ。


『神様ってのは、人間の細かい気持ちなんか気にしないもんだ。だから神様なんだからな。じっくり自分の心と向き合って祈ればいい』


 そうだよな、じいちゃん。魔力のない俺でも、祈ることならできる。 


 ――女神様、俺の大事な人を守ってください。俺もこの世界の役に立つように頑張るから。


 窓から入った風で花が揺れる。ひらりと揺れた花びらが、女神の代わりに頷いてくれたような気がした。

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