第9話 ユウの決心

 ジードの言葉に、昨日見た光景が脳裏に浮かぶ。露店の品々を眺めながら微笑む二人、令嬢を胸に抱くジード。ぴたりと寄り添う姿を思い出した途端、痛いような悲しいような気持ちが湧き起こった。うつむいたまま、自分でも思いがけない言葉が口に出た。


「ジードは忙しいんだろ。許嫁とも会わなきゃいけないし、俺の護衛どころじゃないじゃないか」


 ジードが息を呑む気配がする。まともに顔を見ることができない。


「……俺さ、昨日、市場から泥棒が自分たちに向かってくるのが見えたんだよ。その時にジードを見かけた。泥棒を見たなら、ジードはなぜ、すぐに捕らえようとしなかったんだ。屋台の店主も買い物客も被害に遭っていた。騎士なら、すぐに駆けつけるべきなんじゃないのか?」


 もうやめろ、と心のどこかで声がする。それなのに、俺の口は勝手に言葉を続けた。


「エリクは、俺が側にいてもすぐにあいつらに立ち向かったよ。あの姿こそ……、本物の騎士だと思う」


 顔を上げれば、ジードは呆然とした顔で俺を見ていた。くしゃりと顔が歪み、絞り出すような声が聞こえた。


「そ……れは、たしかに……。俺の取った行動に、ユウは呆れていたんだな。俺が何もしなかったと」


 そんなことはない。ジードは大切な令嬢を守っていた。そこに触れずにジードを責める俺の方が卑怯者だ。マジで最悪。完全に八つ当たりだ。


「……勝手なことを言った。不快な思いをさせてすまない」


 沈痛なジードの言葉に、俺は黙っていることしかできなかった。自分がジードに放った言葉のひどさに自分で驚いている。そして、ジードが許嫁のことを否定しなかったことにもショックを受けていた。


 互いに黙り込んだまま時間が過ぎ、大聖堂の鐘が鳴った。俺たちは立ち上がって、それぞれ反対の方向に歩き出す。昼食をとらなかったことにも気がつかなかった。


 ……ああ、こんなに自分が最低な人間だとは思わなかった。

 もう、どうしたらいいのかわからない。


 王宮の廊下を歩きながら、俺は頭の中がぐちゃぐちゃだった。




「で」

「……うん」

「ジードにひどいことを言ってしまった、と」


 うつむく俺の前に座って、じっと見つめてくるのはスフェンだ。まさか、スフェンに居酒屋に連れてこられるとは思わなかった。夕暮れ時の店は繁盛していて、食事や軽く飲もうと言う人々でたちまち満席になる。忙しなく動き回る若い店員が、笑顔で俺たちの元にやってきた。


「本日のおすすめはいかがです? バジュラの燻製の盛り合わせになります!」

「ああ、それをくれ。私はいつもの、あと、彼には酒ではない飲み物を」

「承知しましたあ!」


 すぐにスフェンの前にはワインのように赤い酒のボトルとグラス、俺の前にはスロゥの生絞りジュースが置かれた。こちらでは十五が成人で酒を勧められることも多いが、俺はいつも断っている。ずっと言われてきた教えを守って、酒は二十歳はたちからだ。

 スフェンには馴染みの店のようで、香ばしく炙った肉やサグのチーズ、木の実と果実が盛られた皿が、どんどん運ばれてきた。

 

「スフェンって、お屋敷で豪勢な食事ばかりしてると思ってた……」

「そうでもない。仕事が忙しくなったら、そうそう屋敷にも戻れないし」


 役所勤めって、どこも大変なんだな。


 ジードと別れた後、ふらふらと自分の部屋に向かって歩いていたら、スフェンに声をかけられた。いつも通りの華やかな笑顔を見て挨拶を返そうとしたら、真剣な顔で大丈夫か?と聞かれた。

 スフェンが言うには、俺は人生が終わったような顔をしていたらしい。ちびちびとジュースを飲みながら、今日あったことをぼそぼそと話した。

 辛抱強く話を聞き続けたスフェンは、眉間に皺を寄せながらグラスの酒をあおる。


「……まったく面倒だな、君たちは。そして、私は何でこんなに損な役回りなんだ」


 スフェンは、俺を真っ直ぐに見て言った。


「いいか、ユウ。ジードは、あと一週間で旅立つ。任期は三か月とは言うが、相手は魔獣だ。無事に帰れる保証はない。君はこんなところで仲違いしたままでいいのか?」


「え? 出発は二週間後じゃ……」

「少し前に、南部で魔獣が村を襲った事件があった。魔獣たちの均衡が崩れていると一報が入って、急遽一週間早まったんだ」


 知らなかったのか、とスフェンが驚いている。


「ジードから聞いていなかったのか? 毎日一緒に食事をとっているんだろう?」

「最近は忙しいから、毎日ってわけじゃ……。スフェン、どうしよう」


 体が震えた。ジードはもうすぐ出発する。時間なんてない、本当にすぐに旅立ってしまう。


 ――謝らなきゃ。一刻も早く、ジードに会わなきゃ。


 「ユウ!」と鋭く名が呼ばれた。驚いて目を向ければ、普段のスフェンからは考えられない、微塵も甘さのない瞳があった。


「まずは食事だ! しっかり食べてから考えろ。空腹で良い知恵は出ない」

「う、うん」


「お待たせしましたあ!」


 笑顔の店員が大きなトレイにバジュラという魚の燻製が乗った鉄板を持ってきた。焼きたての魚はじゅうじゅう音を立てている。スフェンは熱々のバジュラを俺の皿にどんどん取り分けた。


「ユウ、焼き立てが一番だ。すぐに食べろ」


 柑橘のような絞り汁をさっとかけた料理は、魚の身がほろりと口の中でほぐれ、噛めば香ばしさと甘みが溢れてくる。

 スフェンは公爵家にいた時とは違って勢いよく食べた。綺麗な所作で品がある姿とは大違いだ。思わずつられて口にしたら、驚くほど美味しい。がつがつ食べ始めた俺を見てスフェンが笑う。


「うまい食事は生きる力をくれる。ユウの作ろうとしているものも、そうじゃないのか?」


 スフェンの言葉にはっとした。


「……元の世界にいた時は、俺の作ったものを食べて、元気が出たって言われた」

「ユウの料理には、力があるんだな。今日はしっかり食べて、ゆっくり寝ることだ。あと一週間ある。ジードに話す時間ぐらいとれるだろう。心を落ち着けて、ユウは自分のやるべきことを考えるんだ」

「うん……」

「ユウの料理ができたら、真っ先に私に……と言いたいところだが、間に合うならジードに食べさせろ。きっとユウの心が伝わる」


 スフェンの言葉は偉そうなのに、目の奥が熱くなって、じわじわと涙が浮かぶ。

 うろたえたスフェンが綺麗に畳まれた絹のハンカチを差し出す。心配そうな顔を見て、俺は遠慮なくハンカチを借りた。


 ――俺には、やることがある。


 お腹いっぱい食べた後、支払いは全てスフェンが持ってくれた。金を渡す際に、バジュラが特にうまかったとスフェンがほめると、店員は満面の笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。新鮮なバジュラが手に入ったのと、今年はリュムの出来がいいんです」

「……リュム?」

「お客様はご存知ないですか? バジュラの香りづけに使った果実です」


 知らないと言えば、厨房に行って幾つも持ってきてくれた。目が覚めるような鮮やかなグリーン。どうぞ、と渡されたリュムは十センチくらいの球形で、表面はつるりとしている。鼻を近づけると爽やかな香りがした。


「酸味が強いですが、これがないとバジュラ料理にならないんで」


 スフェンも頷く。


「……あの、これ。他にはどんな料理になるんですか?」

「料理の香りづけや味付けです。飲み物にも入れますが、そのぐらいかな」


 酸味が強くて、香り高い。


「すみません。リュムを何個か譲ってもらえませんか? あ、値段が高いのかな?」


 緊張しながら聞けば店員は噴き出して、手にしたリュムをそのままくれた。厨房から、さらに何個も持ってきてくれる。あちこちに植えられている果樹の実で、たくさん穫れるらしい。

 俺はスフェンと共に王宮に戻り、籠にリュムを入れた。部屋中に清々しい香りが満ちていく。胸いっぱいに吸い込んでベッドに入ると、すぐに瞼が落ちた。


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