第10話 ピールと挑戦
翌日すぐに、騎士棟をたずねた。
たくさんの騎士たちに好奇心いっぱいの目で見られて、正直怖かった。それでも、勇気を出して受付で「第三騎士団のジード・センブルクを」と言えば、実家に戻っていると返ってきた。家族に会える者は会っておけとの通達があったらしい。
ああ、そうか。……無事に帰れる保証なんかない、ってスフェンが言ってた。
ぎゅっと胸が痛くなる。
ジードが帰ってきたら謝ろう。そして、間に合ったら渡すんだ。俺が作ったスイーツを。
俺はレトと一緒に、市場で買った果物を前に話し合った。
こちらの世界でも果物は大切な栄養源だ。身近な甘味だから、料理にもよく利用する。ただ、菓子にするとなると、当たり前のように入手できた素材を使えない状況は厳しい。卵だって乳製品だって、ここは日本と同じじゃない。向こうなら簡単に手に入るものが、どこにもない。何よりも、砂糖がないのだ。でも、考えろ。ないものよりあるものだ。ここで代用できるものは何かないのか。
「ユウ様の世界では、果物の利用法が多いのですか?」
「こっちと同じだと思う。そのまま食べたり、ジュースや酒にする。後は砂糖を加えて煮たり、干したり」
……干す?
エリクの言葉を思い出した。
『果物は貴重な栄養源です。戦いが長引けば長引くほど、皆、疲弊します。食べ物の力は大きくて、もっと携帯できればいいのですが』
じいちゃんが鹿や猪を追って山に入る時に、持っていくものを聞いたことがある。保存性が高くて持ち運びしやすいものがいいとレーズンやナッツが鞄に入っていた。
「……そうか、干せばいいんだ」
俺の高校の家政部では、バレンタインは一番の書き入れ時だった。この時期だけは特別に注文を受けた品を販売する。
試作的に作ってみた商品の中に、驚くほど人気が高いものがあった。オレンジピールのチョコがけだ。オレンジの皮には栄養が詰まっている。ビタミン・食物繊維・カロテン。実際にはピール作りに結構手間がかかって少量販売になったが、後々まで問い合わせが来た。
果物そのものは無理でも、干せば携帯できる。
ドライフルーツなら、保存の為に大量の魔石はいらない。でも、今から作るには時間が足りないだろうか。チョコはない、砂糖もない。でも、花の蜜はある。
「レト、俺、作ってみたいものがあるんだ」
レトに、ドライフルーツの説明をした。ああ、これですねと公爵家のレシピの中から一つを見せてくれた。干した果物を戻して水と酒と花の蜜につけた記述がある。
「干した果物を食べることはあるんだ?」
「あまり一般的ではありません。干しても、うまくいかないことが多いので」
この国は温暖で湿度が高い。果物を干すとうまく乾かずに
……ドライフルーツを市場で見かけなかったのは腐るからだったのか。
水分が多いものは生で食べた方がいい。今ある果物の中で、たくさんあるものはスロゥと居酒屋でもらったリュムだ。スロゥは水気たっぷりでリュムは酸味がたっぷり。
「もし中身がだめでも、皮はどうだろう」
「試してみましょうか」
俺とレトは、部屋の中の小さな台所で、片端から残った果物の皮を剥いた。実は薄く切って並べて、日に干す。剥いた皮は、三回ほどゆでこぼして細く切る。さらに、鍋に切った皮と花の蜜と水を入れて煮詰めた。
何回もゆでこぼしたスロゥの皮はあんなにギラギラしていたのに、やや色が落ちて、きらきら、位になった。リュムの皮も、少し明るい緑に落ち着いた。ちょっと、ジードの瞳の色みたいだ。
蜜が絡んだ皮を大きな
「電子レンジ、いや、オーブンか。早く乾燥できるものがあれば、一番いいんだけど……」
「ちょっと待ってくださいね! 何とかなるかもしれません」
レトが嬉々として、部屋を出て行った。
俺は目の前に並んだ薄切りの果物たちを眺める。これが無事に出来上がったら、ジードは食べてくれるだろうか。
きれいに並んだ食材に、ふと高一の時のことを思い出す。
バレンタインの少し前に、俺は好きな人にチョコレートケーキを渡した。美術部の部長で優しい人だった。好きだと告白もできず、ただ食べてほしいと彼のために焼いたケーキを無理やり押しつけた。
『ケーキ、すごく美味しかった。……みんなで食べさせてもらった。おかげですごくやる気が湧いたし、皆のデザインも増えたんだ』
家政部は当時、美術部にバレンタイン商品のパッケージデザインを考えてもらっていた。あの人の為に焼いたケーキは、部員を励ますための差し入れと勘違いされたけれど、それでも誰かの役に立った。
『……お前の気持ちはさ、伝わらなかったかもしれないけど。お前のケーキで美術部は頑張れたんだよ』
好きな人に恋人がいたことを知って泣く俺を、いつもは厳しいうちの部長が慰めてくれた。
「……今度こそ、ちゃんと言おう」
ジードに伝えよう。
――これは、お前の為に作ったんだ。だから、どうか食べてほしいと。
レトが戻るまで、俺は庭の芝生の上にしゃがみこんで、じっと笊を眺めていた。
……乾かない。
予想以上に乾かない。これはやはり、湿度が高いからか。それに、皮の水分量も向こうの世界とは違う気がする。
俺の部屋は、王宮の貴賓室の一つだ。異世界人の長期滞在の為に用意されたもので、小さな台所や浴室もあれば、部屋のすぐ前には広々とした庭もある。
庭師の皆さんが日々手入れをしている庭は、柔らかな芝生が青々と茂り、すぐ隣に美しい花々が咲いている。芝生は裸足で歩いても心地よく、いつでも枯れ落ちた花一つ見当たらない。その見事な庭に、今や所狭しと大きな笊が広げられている。芝生の上に木箱を幾つも置いて、笊を乗せたのだ。必要だからやっているのだが、何だか庭の景観が悪すぎて申し訳ない。
笊の上には、きらきらしたスロゥと爽やかな碧のリュムの
……のどかだ。
空を見上げれば曇天で、風一つ吹かない。
ああ、最悪。泣きそう。
思わず立ち上がって、空に向かって叫んだ。
「晴れろ! 頼むよ、眩しい陽射しか乾いた風か、どっちかだけでもいいから! このままじゃ、レトと俺の努力がぜーんぶ無駄になるッ!」
俺は焦っていた。
異世界に来たからって、天気は思い通りにならないし、魔力が使えるわけでもない。たとえ今回作った分が失敗しても、何度でも作り直すことはできる。だけど、出発までにジードに何か渡したいんだ。そのためには何が何でも乾燥させなきゃならない。実を乾かすのは無理でも、スロゥとリュムのピールだけでも成功させたい。
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