第7話 許嫁と混乱

「許嫁?」


 俺の言葉に、エリクが屋台に視線を向けたまま頷く。


「はい。二人の実家のソノワ伯爵家とセンブルク侯爵家は昔から懇意の間柄です。婚約を結んだのもずいぶん幼い頃だったと聞いています。第三騎士団が辺境に行く前に、共に過ごす時間を取ったのでしょう」


 俺はジードと令嬢を見た。連れ立って歩く二人はとても仲がよさそうだった。令嬢は波打つ銀の髪を耳の上で編みこんで一つに結び、花の飾りで留めている。こちらの世界の女性としてはかなり細身だ。


 露店の一角には装飾品を並べている店々がある。二人は台の上を覗き込み、顔を寄せあった。令嬢が指さしたものを見てジードが頷く。店の主人は小さな包みをジードに渡し、包みはすぐに令嬢の手に渡った。二人は見つめ合って微笑んでいる。


 エリクがへえ、と感心したように言う。


「魔獣ばかり相手にしていると評判のセンブルクも、許嫁にはやはり贈り物をするんですね」


 俺は何と答えていいかわからなかった。ジードと令嬢から目を離しても、二人が微笑んで見つめ合う姿が目の奥に焼きついていた。


「レト、結構買い物をしたから、もう帰ろうか。色々まとめたいこともあるし」


 そう言いながら、ふらりと立ちあがった時だった。

 露店の方から悲鳴が上がった。


「泥棒ッ」

「返して!」


 数人の男たちがバタバタとこちらに向かって走ってくる。

 目を向ければ、ジードは令嬢を胸に抱くようにして道端に立っていた。


 ──いつもなら、ジードは真っ先に賊を取り押さえるはずなのに。


 大きな体は、令嬢だけを守っている。


「ユウ様、こちらに!」


 はっとした時には、レトが俺の腕を引いて自分の背に隠した。


 エリクがすぐさま男たちの前に出る。

 一人の腹に拳を叩きこみ、一人には足払いをくらわせて倒れた背を踏みつけた。更に殴りかかってきた男の腕を取って逆に投げ飛ばす。あっという間に三人の男たちが地面に伸びて、大勢の人が走ってくる。


 売り物を取られた店主や買い物客と共に、第一部隊の騎士たちが駆けつけた。エリクが事情を説明している間、レトは動揺する俺の肩をしっかりと支えてくれた。俺たちを取り囲むようにして、いつのまにか人だかりができている。


「──ユウ?」


 名を呼ばれた気がして視線を向ければ、碧の瞳が大きく見開かれていた。


 ジードと確かに目が合った。でも、俺はすぐに彼から目を逸らした。何も気がつかなかった振りをして、傍らのレトに話しかける。


「レト、王宮に帰ろう」

「ユウ様?」

「今日はもう十分だよ。──エリク!」


 俺は、辺りに聞こえるように声を張り上げた。騎士たちと話していたエリクは、すぐに走って戻ってくる。


「お待たせして申し訳ありません、ユウ様」

「ごめん、エリク。まだ時間かかる? ちょっとびっくりして……。もう王宮に帰りたいんだ」

「承知しました。後は団の者たちが片付けますので問題ありません」


 エリクが驚かせたことを詫びてくれる。俺は素直に頷いて、歩き出した。

 第一騎士団の騎士たちが、集まった人々に解散するよう大声で告げていた。揉めあう声が響いている。


「ユウ!」


 もう一度、名を呼ばれた。喧騒の中でもジードの声は確かに耳に響く。それでも、俺は振り向かなかった。


「エリク、今日は本当にありがとう。出かける時は、また頼んでもいい?」

「いつでもお申しつけください。すぐに参ります」


 王宮に送り届けてもらった礼を言えば、穏やかな笑顔が返ってきた。眩しいような切ないような気持ちがよみがえる。

 昼を少し回ったところだったけれど、少しも食欲はわかない。レトに、午後の勉強は休んで眠りたいと言えば、すぐに了承された。


「もちろんですよ。外でお疲れになったでしょう。食堂で簡単に食べられるものを作ってもらいます」

「ありがとう、レト。頼みがあるんだ」

「何です?」

「ゆっくり寝たいから、食事は部屋のテーブルに置いといてくれる? 後はもう全部、明日にする!」


 笑顔で言えば、レトは眉を下げて微笑んだ。

 今日購入したものを片付けておきますね、と言われてほっとする。寝室の扉を閉めた途端、力が抜けた。


「……ッ」


 ベッドまでなんとか歩いて行って、体を投げ出す。市場で見たジードの姿が、頭から離れない。


 ……何だよ。好きな人、いたんだ。俺にも教えてくれればいいのに。許嫁って、すごいな。さすが貴族。いつも魔獣倒す話ばっかりしてたけど、プレゼント選んだりもするんだな。ちゃんと女の人を守って、本当に騎士!って感じだった。こっちの女の人は俺より強そうだと思ってたけど、あんなに華奢な人もいるんだな。


『ユウは細いからな。もっと食べないと』


 ああ、そうか。

 やけに心配してくれると思ったけど、そういうことだったんだ。あれは、俺だけを心配してたわけじゃない。俺とあの人、あんまり変わらない体型だったもんな。きっと、彼女に重ねてたんだ。


「あーあ。俺って、ほんと……。ダメだ……」


 相手が口に出さないからって、気がつかないことばっかりだ。

 こっちの人は皆、異世界人を大事にしてくれる。それは国に恩恵をもたらすと言われるだからで、俺自身に価値があるわけじゃない。

 ジードは騎士だ。魔獣に襲われた者がいたら助けるし、気にかけもする。ずっと親切にしてくれてたから勘違いしてたけど、俺だけが特別なわけじゃない。それにやっぱり、騎士はお姫様を守るのが似合ってる。


『第三騎士団が辺境に行く前に、共に過ごす時間を取ったのでしょう』


 エリクの言葉が、耳の奥に響く。あんなに忙しそうなのに、許嫁とは休みを取ってまで会ってるんだもんな。二人とも、すごく楽しそうだった。


「勘違いもいい加減にしないと。ジードに頼ってばかりじゃ、まずい」


 そう呟いた途端、ずきん、と胸の奥が痛んだ。


 ──何なんだよ、これ。……何でこんなに、ずきずきするんだよ。


 思ったよりも疲れていたんだろうか。体を丸めたまま、いつのまにか眠ってしまった。目が覚めた時には、もう夜だった。

 部屋の中は真っ暗で、体を起こすとぐーっと腹が鳴った。何があっても腹は減る。枕元にある魔石のランプに手をかざせば、小さな灯りがつく。これは魔力のない俺でも使えるようにと王宮から渡されたものだ。


 隣の部屋のテーブルの上には、食べ物の載った皿が置いてあった。肉をこんがり焼いたものにピクルスみたいな野菜が添えられている。そして、パンとお茶。レトが用意してくれたものだろう。

 もう一つ置かれたコップには小さな花弁を付けた白い花が活けられていた。家で母親が時々飾っていたのを思い出す。


『花って、いいものよ。元気をくれるの。──ああ、自分は元気がなかったんだなって、逆に教えてくれるのよ』


 家で聞いた時は、ふーん、って思っただけだったけど。

 パンにがぶりとかぶりつけば、目の端で白い花が揺れる。見ていると段々、心の痛みが解れていく気がした。

 異世界に来て、母親の言葉を噛み締めるなんて思わなかった。


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