第5話 招待と砂糖

 スフェンはジードの言葉に、それ以上なにも言わなかった。

 琥珀がどうしたんだろうとジードを見ると、少しだけ眉を下げる。ちょっと困ったような顔に、何だか気軽に聞いてはいけない気がした。ピアスを付けた耳が、ほんのりと熱い。


「ようこそおいでくださいました」


 王都屋敷に仕える人々に迎えられ、スフェンについていく。公爵家の食卓には、広いテーブルに真っ白なクロス。そして、たくさんの磨き抜かれたカトラリーが用意されていた。


 ……こちらでも、マナーは大切なんだろうな。王宮の職員食堂には、スプーンとフォークしかなかったけど。

 ごく普通の家庭で育った俺は、残念ながら元の世界でもテーブルマナーといったものに馴染みがない。箸遣いは厳しく躾けられたが、こっちにはそもそも、箸がないんだ。


「あの、スフェン。俺、申し訳ないけど、こちらでの食事の作法がよくわからないんだ」

「ユウ、気にしなくていい。今日の食卓には私たち三人だけだ。君の好きなように食べてほしい」

「好きなようにと言われても……」


 整然と並ぶ銀器を見て、最初から最後まで同じスプーンとフォークだけで食事をしていいとは、とても思えない。


「ユウの席は俺の隣に。できるだけ、近づけてくれ」


 ジードが側に立つ給仕に告げる。あっという間にカトラリーが運ばれ、椅子が並んだ。


「ユウ、俺を見て食べればいい。スフェンが言うように、ここには俺たち三人だけだ。作法を間違ったところで、誰も咎める者はいない」


 ジードの言葉に、ほっと胸を撫でおろす。そういえば、こんなことが前にもあった。


 こちらの世界に慣れるために、王宮の職員食堂で昼食をとり始めた時だ。

 食器を使うたびに騒めきが起こり、多くの人が俺を見た。出された食事の内容よりも、周りの人たちの視線と言葉が気になって、食ベ物の味なんか、なにもわからない。胃がぎゅっと締めつけられ、早く部屋に帰りたいとそればかりを考えていた。毎日これが続くのかと思うと、ぞっとした。


 そこに現れたのがジードだ。大柄な騎士が食堂に現れた途端、人々の注目は一斉にジードに移った。俺を見てにっこり笑い、盛り付けが少ないからと二人分の食事を注文する。誰もが普段見ない騎士の登場とその食べっぷりに仰天した。そして、ジードは言ったのだ。


『俺を見て食べればいい。他は気にするな』


 ジードが勢いよく食事をする姿につられてぱくりと食べたら、味がわかった。おいしい。視線を感じて顔を上げると、碧の瞳が安心したように俺を見ている。泣きそうな気持ちを堪えて食事を続けた。


 ジードにはいつも助けられている。魔獣から助けてもらったあの日から、ずっと。


「ありがとう、ジード」

「いや、公爵家の食事は王都でも美味だと評判だ。折角の招待だ。気兼ねなく味わった方がいい」


 スフェンが、驚いたように目を瞬いた。


「……なるほど。君は思ったよりも気が回る。鍛えているのは、体だけじゃなかったんだな」

「お前の言葉は、昔からとげがあるんだよ!」


 料理人が今日の為に腕を振るったという料理の数々は、どれも素晴らしいものだった。何よりも、俺の前に置かれる皿は、盛られている料理の量が少ない。これなら何種類も食べられる。


「ユウは少食だと聞いたから、ごく少なめにしてある。もっと食べられそうなら遠慮なく言ってくれ。すぐに用意させるから」

「スフェン、十分だ。ちょうどいい」


 ジードが素早く自分の皿に目を走らせたのを、スフェンは見逃さなかった。


「ジード、君の分は通常の量にしてあるだろう。うちの料理で満足できなかったなどと言われては困るからな!」

「ふん、お前だってちゃんと気が回るじゃないか」


 珍しく意地悪な笑みを浮かべるジードに、スフェンは嫌そうに目を細めた。


 この二人は仲がいいのか悪いのか全然わからないな……。

 俺がじっと見ていると、ジードは微笑んで、次に使うカトラリーを教えてくれる。嬉しくなって、いつもよりずっと食が進んだ。


「すごい……。どれもおいしい」

「光栄だ。料理人に伝えておこう」

「ユウがこんなに食べるのを初めて見た」


 ぱくぱくと食べる俺を見て、ジードはとても嬉しそうだ。そうか、いつもたくさん食べろって言うからな。これもジードが隣にいてくれるおかげだ。料理を次々に平らげると、きれいに皮を剥かれた小さな果実が出された。一口食べて、はっとする。


 ──甘い。


「スフェン! こ、これ、すごく甘い」

「ああ、それはロワグロの実だ。今日の為に取り寄せた」

「……よく手に入ったな。こんなに甘いロワグロは初めてだ」


 白くつるりとした実は瑞々しくて、まるで、砂糖を舐めたような甘さだ。こちらに来てから、はっきりした甘さのものを食べたことがないから、より甘みを強く感じる。


「こんな果実があるなら、砂糖の代わりになるかもしれない」

「ユウ、これはすごく珍しい果樹の実なんだ。しかも大層出来がいい。公爵家だから手に入るような品だ」

「じゃあ、気軽には手に入らないのか」


 期待で膨らんだ心が、一瞬でしぼむ。


「ユウの言う『砂糖』とは、どんなものなんだ?」


 スフェンが興味津々といった顔で聞いてくる。俺は必死で説明した。植物からとれたもので保存性が高く、様々な料理に使われていることを。


「俺の世界では、今みたいな食事の最後には、果実だけでなく砂糖を使った甘い料理が出てくる。それを食べると、みんな幸せな気持ちになるんだ」


 黙って聞いていたジードが、眉を顰めながら口を開いた。


「一つだけ、ユウの言う『砂糖』に近いものに心当たりがある。このロワグロよりもさらに甘い」

「えっ、どんなの?」


 この世界には、他にも砂糖に近いものがあるのか?

 俺の真剣な目に、ジードは頷いた。


「巨大植物の形をした魔獣に、甘い香りを放ち、近づけば体液を放って獲物を捕らえるものがいる。核を潰すと死んで硬質化するが、死骸には脳が痺れるほどの甘さがある」

「そ、それ、食べても平気なやつ?」

「死んでいれば問題ない。現に、うまく死骸が手に入れば、かなりの高値で取引されているからな。ただ、南部の魔林にしか存在せず、死骸は滅多に手に入らない」

「何で?」


「あっという間に他の魔獣に食べ尽くされるからだ」


 思わず、ひっ! と声が出た。

 魔獣にはここに来た時にしか会っていないけれど、あんなのがぞろぞろ寄ってくるなんて。


「……いい。他の方法を探す」


 スイーツへの道は、なんて遠くて険しいんだ。


 お腹いっぱい料理を食べた後は、特別に厨房に入らせてもらった。

 公爵家の料理人たちに礼を言うと、みんな驚いて目を見開いている。こちらでは、主人の客が料理人に直接声をかけることは、滅多にないらしい。


 スフェンは約束通り、夕食に使った材料を見せるよう、料理人に指示を出した。

 大半はよくわからない食材だったが、市場で簡単に手に入るものを教えてもらった。穀物は多く栽培されているから安価だし、果実もロワグロは無理だが、今の時期に出回っている新鮮な物がたくさんある。

 レトに解読してもらったレシピからいくつか質問すると、料理人たちは真剣に答えてくれた。やはり、実物を見て話を聞くのは違う。俺はずっと興奮しっぱなしだった。

 あっという間に時間は過ぎて、玄関まで送ってくれたスフェンの手を握った。


「スフェン、今日は本当にありがとう! 今度、何か礼をするから」

「どういたしまして。……じゃあ、今がいいな。遠慮なくもらってもいいかな?」

「今? 俺にできることなら」


 スフェンは、聞くが早いか、俺の顎に手をかけた。顔が近づいたかと思うと、唇に一瞬、柔らかなものが触れる。びっくりしているうちに、スフェンはさっと体を離した。ジードが俺の前にぐいと進み出て、ぶ厚い壁に変わる。


「おっと、これはユウからの申し出だからな」


 スフェンはジードから目を逸らし、満面の笑顔で俺を見た。

 いや、確かに言った。礼をするとは言ったけど、この国ではキスが礼になるのか?


「おやすみ、ユウ。今夜はいい夜だった」

「あ、うん。……おやすみ」


 帰りの馬車の中は、とてもとても静かだった。


「こ、こっちの慣習には、なかなか慣れないな」

「……」


 ぽつりと呟いた俺の言葉に返答はない。ジードの機嫌はいつまでも、超絶に悪いままだった。

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